月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

272.三田天満宮旧・南町だんじり、なぜ南嶽?(月刊「祭」2020.4月5号)

2020-04-30 18:16:00 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の題材-
●三田が誇るだんじり文化
 三田市にも、独特のだんじり文化、太鼓台文化があります。今回の画像は全て三田天満宮の祭礼、2005年頃のものです。
①だんじりは、外ゴマの神戸市の東灘区で見られるものや、内ゴマのものがいりまじっています。
 

内ゴマの宮本だんじり 

外ゴマの西山だんじり
 
②太鼓台は屋根が分厚く、その分欄間・狭間がありません。担ぎ棒は井の字形に組まれています。
 

東区
 
 
③刺繍は元来、厚みのないものが多く、聞くところによると、京都の昔の日本刺繍のものが多数あるそうです。最近は見るかぎり厚みのあるものが。増えてきているように思えます。
 
●三田天満宮旧・南町だんじりの提灯(アクセス等)
 名品ぞろいの三田のだんじり文化の中でも、その代表格と言えるのが、三田天満宮の旧・南町だんじりです。詳しくはこちら(アニキ@川面東さんのサイト・非常によくできています。)で見るとよく分かりますが、弘化三年(1846)の非常に古い物です。
 刺繍の龍は祇園祭の山鉾を思い出させる物です。後の富士の巻狩りの刺繍は、有馬富士から連想したものかもしれません。
 


 
 


 
 では、なぜ、「南嶽」という文字があるのでしょうか。
 これは、だんじり創建の三年前まで三田藩主であった九鬼隆国(リンク先はwィキペディア)の隠居後の名前を取った物だと思われます。彼の隠居が、旧・南町だんじり制作3年前の天保14年(1843)です。「南」嶽と名乗った、藩校の発展などに寄与した地元の人物名をだんじりに刻むのは自然な行為だったのでしょう。
 


 
 
 ただ、提灯は、だんじり制作当時のものかどうかはわかりません。いずれにせよ、南嶽という地元の発展に寄与した人物を今も抱いて運行しているということは確かです。
 
編集後記
 新型コロナ禍で数々の祭が中止に追い込まれています。また、現在の日本のトップがこの新型コロナ禍にうまく対応できているとは到底できません。
 ちょっとした工夫で、感染のリスクを減らすのは、運転中にちょっとした確認で事故のリスクを大きく減らすことに似ていると考え、その方法を提示しました。それは、本来なら運送大手の企業のトップや、国交省がすべき政(まつりごと)ですが、そこまで手を回せないのが実状で、その関連の記事を書き続けました。
 
 でも、やっぱり、祭の記事が今月一本もないのは、やりきれません。新型コロナに月刊「祭」は飲み込まれていないことを示したいという思いから、一本書き上げました。
 
 
 
 


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