月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

<月刊「祭」2013.4月 第13号> 二十一年に一回、三つ山祭 祝・月刊「祭」一周年 

2013-04-01 09:35:11 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-

月刊「祭」一周年記念、今回は播磨一の宮・射楯兵主神社で二十年に一度行われる姫路市三ツ山祭(臨時祭)についてです。なお、六十年に一度行われる一ツ山祭(影向祭)は六十年に一度行われます。

  


●二十一年に一度?
 一ツ山祭(影向祭)と三つ山祭(臨時祭)が行われた年を西暦に直すと下のようになります。
 これを見る限りでは、特殊な限りを除くと1593年以降は、三ツ山祭(臨時祭)は二十年に一度行われているようです。それを示す書物の一つに、宝暦三年(1752)の「播磨国惣社由緒書」があり、
「往古不限廿一年也 -(中略)- 定廿一年近世事
(昔は21年に一度の祭とはかぎらなかった。  近世に21年に一度の祭と定まった)」
とあります。広告などでは、二十年に一度とでていますが、これは数え方の違いによるものです。
たとえば、前回の祭の行われた1993年を1年として順に数えていくと、昨年の2012年が20年になり、2013年は21となります。これは、0を基準としない数え方によって、現在より1年多くなる数え方になります。このような例は、8年に1度といわれる灘のけんか祭の神輿の修理は、実際は7年に一度行われています。


*A 大正天皇崩御により一年延期
*B 市長選により変更
*C ペリー来航により延期
*D 姫路藩主不在により延期

●三ツ山大祭、一ツ山大祭と伊和神社
 先ほどの「由緒書」には、「三山者移宍粟郡神戸之三山也」と、三ツ山は宍粟郡から移してきた山と伝わっています。その元の神社が伊和神社といわれており、同じように三ツ山祭が20年に1度、一ツ山祭が60年に一度行われます。
 姫路の三ツ山祭が作り山で行われるのと違い、伊和の三ツ山は実際の山で、山上の祠を作りかえる神事が行われるようです。神社は北向きで、西、北、東に「三ツ山」があり、東北、つまり「鬼門」に一ツ山があります。

            北 花咲山

                   東北 宮山(一ツ山祭)

西 高畑山    伊和神社(北向)     東 白倉山

   
三ツ山祭や射楯兵主神社の元とされる宍粟郡伊和神社。  西側に位置する高畑山

●射楯兵主神社と広峯山と「鬼」と武士
 射楯兵主神社の真北には、祇園社の元宮とも言われる広峯山の広峯神社があります。
 言い換えれば、射楯兵主神社の背後には、広峯神社がひかえることになります。広峯神社の祭神はスサノオノミコトで、射楯兵主神社の大乙貴命や五十猛命にとっては、ご先祖さまになります。これらの神は、まつろわぬ神などといわれ、残念ながら皇統に入れなかった神様たちですが、その一方で、彼らの祟りを天皇家は常に恐れてきました。
 この三ツ山大祭の起源も将門の乱や、純友の乱を鎮めることを祈念したとも言われており、これらの反乱も「まつろわぬ神」の祟りとかんがえられてもいたようです。さて、「三ツ山」のうちの五色山のモチーフは源頼光の鬼退治となっていますが、源頼光は鬼の首を埋めたと伝わる鬼石も射楯兵主神社に残っています。小袖山のモチーフも俵藤太の百足退治であり、俵藤太は将門を誅した武将として知られております。
 これらを見ると、「まつろわぬ鬼退治」の祭とも見れます。三ツ山に宿る神は九所御霊、神社の神はまさしく「まつろわぬ神」であり、退治して天に送り返した後は丁重にまつっていることがうかがます。そして、まつろわぬ神の祟りを封じることができるのは「武士」であり、しかも、スサノオやオオナムチといった「武神」は皇統からはずれた「武士」によってこそ祭られるものでした。つまりは、姫路城下でこれら三ツ山大祭を行うメリットは、幕府や姫路藩主にもあったのでしょう。

 

 
鬼退治をモチーフにした五色山 鬼の首を埋めた標石と伝わる「鬼石」

●作り山に宿る神
 三ツ山祭では、赤い横断幕に囲まれた門上殿(写真左)に射楯兵主神社の祭神・五十猛命と大乙貴命が移動します。
 さらに、二色山(写真左中)には播磨国の祭神が、五色山(写真右中)には九所御霊が、小袖山(右)には天神地祇が祭一日目の夜に降りてきます。多くの祭が、その神社の祭神が神輿で移動すると思われがちです。が、もしかしたら、神輿以外に神が宿る作り物が以外と多くあるのではないかと思わされます。


 
左から門上殿、二色山、五色山、小袖山           門上殿に神が移動する


●編集後記
 とうとう一年がたちました。
 これもひとえに皆さまのおかげです。
 今年度は、今回提出した論文が見事掲載になったら、一旦研究を休もうと思います。
 というのは、祭探求を始めてからはや17年になりますが、未だに古文書や東洋諸言語ができない状態です。
 今年一年は、これらの勉強をがんばりたいと思いました。
 しかし、この月刊「祭」は続けたいとおもいますので、今後ともよろしくお願いします。

 さて、この三ツ山大祭見学の時にお世話になった、おすすめの「古本喫茶店(あまり「カフェ」という言い方は好きじゃないので^^;)」が有るので紹介します。その名は、「されど」 加古川にもあるのですが、古本に囲まれており、非常におちつくたたずまいで居心地がいいです。下戸の自分としては、この年にしてはじめて「行きつけ」の店ができたようで嬉しく思います。ちなみに、梅宮クラウディアさんと堺正章さんが表紙に写っている「anan」もありました!!

 ところで、最近話題になっている本で、「スクールカースト」という本があります。
 いわゆるイケテルグループ、イケテナイグループの悲喜こもごもが描かれています。イケテナイグループは大きな声で笑う権利がない。イケテルグループは、ノリに率先して従わねばならない。
 著者の鈴木氏の別の研究では、カースト上位者の条件として必要と思われていた「同調力(ノル力、ノリを作る力)、自己主張力、共感力」のうち、「共感力」は関係ないことを示したそうです(リンク先p197右L17-19)。イケテルグループもまた、非常なストレスを抱えているそうですが、これは、「ノリ」が「共感力」にかける行動を強いた時にうまれるような気がしてなりません。

 宮川大輔さんが主演「お助け屋陣八」第三話で、いじめをテーマにしていました。「教員のことなかれ主義」と「加害者の巧妙な言い逃れ」は大津のいじめ事件の批判であったような気がしました。それを自分の中で確信したのは、加害者の親の一人がPTA会長だという設定です。 随分思い切った設定をしたもんだと拍手を送りたいと思います。大津市出身の宮川さんにとっても、あの事件は他人事ではなかったんだとも思います。 ただ、現実問題PTA会長というだけでは、そんなに力はないと思います。
+αの社会的な立場があるという設定の方がよりリアリティがあったのですが。




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