月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

<月刊「祭」2013.5月 第14号> もう帰さない。神の行く手を阻む三種のだんじり 淡路市伊弉諾神宮春祭

2013-04-28 23:11:49 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-

 淡路市伊弉諾神宮の春祭りは毎年、4月20日から22日にかけて行われます。
 「神宮」の名の通り、神社の社格は高く、記紀神話に出てくるイザナギノミコトの終の棲家・幽宮(かくりのみや)とされています。イザナギノミコトは、皇祖神である天照大神、国津神の祖ともいえるスサノオノミコト、月の象徴であり浦島子(浦島太郎)の祖先とされる月読命の三兄弟を産んだ神でもあります。

■役割を同じくする四種類のだんじりと「ねりこみ」
 この神社で、宮入りするだんじりは、大きく分けて三種類、もう少しこまかく分けると四種類にわけられます。一番多いのが布団だんじり、曳きだんじりが二台、船ダンジリが一台です。曳きだんじりのうちの一台・里だんじりは今年、やり回しをする岸和田型のだんじりを購入しました。
 これらのだんじりは、形態や練り方、曳き方は違えど、役割に共通するところがあります。それが、「太鼓演奏台」としての役割です。宮入後、本殿の前で二礼ニ拍手一礼をすませた後、だんじりの太鼓にあわせて、伊勢音頭に似た伊弉諾音頭ともいえそうな歌(歌の名前はしりません)を神前に奉納します。一方の御旅所では、だんじりを宮入させたのは一台だけで、他は、締め太鼓をもって、その伴奏にあわせて同じ歌を奉納していました。 

映像は伊弉諾神宮内にて
伊弉諾神宮春祭  大木 曳き、布団両だんじりによる神宮歌の共同奉納 20130422
伊弉諾神宮春祭  里 だんじり 神宮歌の奉納 20130422
伊弉諾神宮春祭 濱 船だんじり 神宮歌の奉納 20130422
淡路市伊弉諾神宮春祭 井出 ふとんだんじり 神宮歌の奉納 20130422

写真は、御旅所の濱神社へのねりこみ。北山は、ふとんだんじりを伴奏に使っていたが、他は締め太鼓を伴奏に使っての奉納となった。

 ちなみに、遠く、京都府の丹後半島伊根の浦島神社でも、ひきだんじりを思わせる太鼓台を演奏台としてつかいます。そして、その中の締め太鼓のみをもって、拝殿で歌を奉納するところも共通します。
 

■気合の差し上げ 布団だんじり
 伊弉諾神宮の布団だんじりは、淡路島南部に多く見られるような、かつぐことをあきらめただんじり唄奉納用の大型のものです。しかも、担ぎ手に優しくない太い棒(T T; 普通の担ぐためのだんじりの本棒の太さが直径15cm弱としたら、ここのものは、おそらく30cm近くあったでしょうか。ようは、担ぐのには、全く向いていないだんじりです。 が、多くの布団だんじりが宮入の時は台車をはずして 宮入していました。それどころか、台車どころか、男たちの肩からもはずし、天高く差し上げていきます。本棒と脇棒の間もかなり狭くバランスをとるのも、非常に難しい中で果敢に差し上げていました。
淡路市伊弉諾神宮春祭 井出だんじり 差し上げ 20130422

■前梃子なし、綱なしのヤリマワシ 里だんじり
 大阪府岸和田市などでは、前梃子を使ってブレーキをかけ、先に曲がっていた綱を曳き、後梃子を一気に回してカーブさせるヤリマワシを行います。しかし、里だんじりは、人数の不足もあってか、前梃子を使わずにヤリマワシをしていました。
 それだけではなく、場合によっては、曳き綱もなく、つまり曳き手もいない状態で、押し手と後ろ梃子のみでだんじりを走らせ、ヤリマワシを行っていました。
伊弉諾神宮春祭  里 だんじり 前梃子なしのやりまわし 20130422

■伝説の御旅所御ひざ元の船だんじり
 この中で唯一正面の楼門から入場するのが、最後に宮入する濱の船だんじりです。
 まずは、船だんじりの前にこの御旅所についてです。この濱の御旅所あたりから、イザナギノミコトが上陸し、幽宮(かくりのみや)・伊弉諾神宮に鎮座したと伝わっています。濱の御旅所では、神輿と本殿を向かい合わせにしてその間で神事を行うという特殊なやり方をとっています。なお、この御旅所の建物を見ると、元々は神社というより、お寺のお堂だったように思えますが、まだ、「地名辞典」を見ていないので分かりません^^;  

 

■「あなたを帰さない」神の行く手を阻む三種のだんじり
 さて、神輿が御旅所渡御を終えて、神社への帰途へつこうとすると、異様な光景に出くわします。まず現れたのは、船だんじり。向こうに、里だんじりと、撫の布団だんじりが見えます。ああ、神輿をお見送りするんだと思っていると・・・・・ 船だんじりが行く手を阻みます。
 これじゃ神輿は通れません。なんと、せっかく出てきてくださった神様を帰してしまうと祭が終わってしまうということで、だんじりを使って通せんぼをしているそうです。あれよあれよという間に、船だんじりと、布団だんじり、曳きだんじりが力を合わせて、神様の神輿を閉じ込めてしまいました。閉じ込められた神輿の関係者たちも「帰られへんがな」と言いながら、嬉しそうです。その間に、里の獅子が撫の布団だんじりに舞を奉納するなど、楽しい光景が見られました。
 その時に聞こえてきた声は、「ええ祭やなー。」「十一時までやったらええねん。」などなど。最後まで見ようとしていた、島外の人間としてはヒヤッとさせられました^^;  このようにだんじりが神輿の行く手を阻んで祭を終わらせない風習は、他にもいくつかあるそうです。

  
 


編集後記
 小説を紹介します。中場利一「岸和田 だんじりグラフィティ -走らんかい!-』2010(集英社)
 内容はネタばれしますので控えますが、だんじり祭をよく知る作者ならではの作品です。青年団と青年団に未練が残るOBとのやりとりなどは、自分も経験したものです。また、木下瞬次郎など、このブログを読んでくださる皆さまにとってはおそらく聞いたことがあるだろう彫刻師の名前が出る点でも非常に貴重な作品といえるでしょう。そして、祭に参加するために、仕事をやめて岸和田に戻る父親も登場します。
 社会的には、祭のために仕事を休むことは許されないとされています。ですが、社会は神社の社。社を奉る祭のために仕事を休むことは、本来なら「社」会人としては権利どころか、義務として認めてくれたらいいのに・・・ この小説が多くの人に読まれることで、日本人が忘れかけた認識を取り戻して繰れたらと思います。

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