●絹常の故郷!?小野の祭展示
小野市立好古館では、「祭りとくらしの移り変わり 〜小野地区の近現代〜」という特別展が行われています。小野市内の小野地区と呼ばれる地域・中学校で言えば小野中学校区を中心とした地域の近現代史と祭りの展示です。
今でも名門大学への進学者多数輩出する県下でも有数の公立名門校である小野高校の前身の小野中学の草創期の展示や、各地域で小規模ながらも大切されている行事の紹介がなされています。
その中でも屋台大好きマツオタ垂涎の展示があります。一つが、小野天満宮の天神屋台の担ぎ上げているビデオです。伊勢音頭を歌いながらの担ぎ上げで、歌は三木の大宮八幡宮や岩壺神社などで歌われているものとかなり似ています。しかし、アヨイヤサーの掛け声はなく、延々と歌だけで担ぎ歩くというのは加東市の担ぎ方に近いと言えるでしょう。
そしてそして、今回の見ものは何と言っても葉多町所有の屋台の水引幕、乗り子衣装、高欄掛の展示です。
●葉多町の屋台の刺繍
展示中のものなのであえて画像はなしで書いていきます。
葉多町の屋台は神輿屋根型のものが担がれていました。現在もその担ぎ棒が荒神社に(アクセス)残されていました(管理人は2010年に確認)。葉多在住の友人は最近見たと2019年の十月に聞きました。
↑荒神社2010年
↑荒神社本殿
↑荒神社に残る練り棒。角棒であったようです。内グリがほどこしてあり、カンは現在のように棒先を覆っていません。
高欄掛は武者ものでどこから購入したのかは分からないそうです。乗り子衣装と水引幕は昭和九年(1934)に大塩天満宮の中之丁より購入したものだそうです。
●綱のみの水引幕
-作られた背景-
この水引幕は金色の注連縄が縫われているのみのものです。注連縄が縫われている作例としては加西市住吉神社の黒駒屋台の先代水引幕(綱の下に浜千鳥)がありますが、しるかぎりではこの二点のみで、かなり珍しいものと言えるでしょう。
制作は大正十三年(1924)に社(やしろ)の縫師(といっても絹常ではないようです)に縫われたものです。となると大塩中之丁の水引幕だった時期はわずか10年ということになります。この10年で手放すことになる水引幕はなぜ作られたのでしょうか?
その手がかりは水引幕を保存する道具に書かれていた文字です。
「御成婚ニ付新調 大正十三年六月」
大正十三年に結婚した人で「御成婚」という言葉を使っていることから、当時の皇太子・後の昭和天皇の結婚を奉祝するために作られた物のようです。
注連縄は二束の藁をより合わせてより強固なものが作られます(参考)。その御結婚が幸せなものになり、国や大塩の地が繁栄することを祈った物だったのでしょう。このお二人は、関東大震災などで結婚が延期になっていました(参考: Wikipe●ア)。それだけに、二人の結婚は、復興の象徴そのものであったのかも知れません。
その水引幕を受け継いだ葉多の地にも屋台はもうありません。しかし、祭の灯は消えずに葉多の地に受け継がれていくことを管理人は確信しています。
小野市立好古館 令和元年度特別展
祭りとくらしの移り変わり
〜小野地区の近現代〜
入場料
高校生以上300円
小・中学生100円(ココロンカードは有効)
2019.10.5-12.8(日) アクセス