大田實 海軍中将の電報
以下ウィキペディア(Wikipedia)より
沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。
沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛招集に進んで応募した。残された老人・子供・女は頼る者がなくなったため自分達だけで、しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝されながら窮乏した生活に甘んじ続けている。
しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、艇身斬込隊にすら申し出る者までいる。
どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。
看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。
さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。
つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。
食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。
沖縄県民はこのように戦い抜いた。
県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする
当時の訣別電報の常套句だった「天皇陛下万歳」「皇国ノ弥栄ヲ祈ル」などの言葉はなく、ひたすらに沖縄県民の敢闘の様子を訴えている。
太平洋戦争時の沖縄の現実は以上に尽きると思われる。
これをかつての沖縄担当大臣自民党の鶴保は
辺野古反対闘争の沖縄県民を土人と呼んだ機動隊員を擁護した。
こんな沖縄担当大臣が居るのか呆れる。
マスコミも沖縄が辺野古沖やコロナ問題で窮地なのにもかかわらず
相も変わらず電報の心を汲んだ報道をしない。
この心を伝えるのがマスメディアだろにね。
40年以上前のNHKラジオの報道で沖縄で志願した従軍看護婦さんが
米軍より日本軍の軍人から身を守る事のほうがつらかったと言っていた。
放送でそれ以上の表現が出来ないことが聞いていても理解できた。
そんなことを思い出した終戦記念日の2日前でした。
沖縄戦の事をブログに載せて戴き、ありがとうございました。
一県民として感謝致します。
戦時中、沖縄の住民がどんな扱いを受けていたか、母からよく聞いています。まさに土人扱いだったことも。
実家には20~30人の軍人さんが駐留していたそうです。その中にはちゃんとした人もいたようで、戦後、実家を探して訪ねてきてくれた方があって、ずっと連絡の取り合いがあったそうです。
私が高校を出て、上京した頃は、今の沖縄ブームとは想像もつかないような時代でしてね、いろんな思いはあります
でも、これは止めておきましょう。
載せてくださってありがとうございます。
取り上げるだけしか能力有りません。沖縄好きになる事で応援しています、娘も那覇在住ですのでね。
此方からも訪問させていただきます。よろしくおねがいいたします
又のコメントありがとうございます。素晴らしいふるさと羨ましいです。冬になったら暖かな沖縄へ行こうと計画しています。コロナ次第ですが。楽しみです。
事らからも訪問させていただきます。よろです。
人には素晴らしいところもありますが、信じられないほどの蛮行をすることもあります。自分も含めて立ち止まり考えなければ…でしょうね。哀しいです。
沖縄を好きになり訪問できればいいのかなと今思ってます。
どれ程の日本人が知っているでしょうか。
沖縄だけに地上戦があり多くの市民の犠牲のうえに立つ
今の日本の幸せ 未だ基地問題も政権が変わるたびに
県民は翻弄され辺野古移設も県民の総意を無視した形で工事の着工が行われ75年経っても沖縄はまだ戦後です。
6月23日慰霊の日が近づくと <月桃>のうたをしみじみ聞いています。
月桃の歌ユーチューブで聴きました。淡々と同じリズムで情景が歌われていて心に滲みました。さとう宗幸さんの青葉城恋歌に少し雰囲気が似てるかなと思いました。また一つ沖縄について知ることが出来ました有難うございました。