HIZAKURI

旧東海道踏破の覚書、ただし日本橋から箱根まで

小田原宿をあとにして

2014年08月14日 | 小田原宿-箱根宿

さて、小田原宿をあとにして、次なる目的地の箱根宿を目指しましょう。
といっても、天下の険・箱根をいきなり踏破できるのか?そんな隊員一同の不安の声により、とりあえず湯本まで頑張ろうということになりました。
スタートは御幸の浜交差点から。窪田本陣のあったところです。それではいざ!湯本に向け出発!!
(…小田原宿に入ったのが去年の12月。出発は7月。長逗留でした…)


さてさて、意気込んで歩き出してすぐ、HIZAKURI隊には欠かせない甘いもの発見。店内にはまだ朝の10時なのに、けっこう人だかりが。車で買いに来ている人もいるようでした。此処はあんぱんで有名なお店のようです。

↑あんぱんが有名らしいです

さっそくM隊長の出番です。異なる4種類のアンパンを買って、さっそくみんなで味わいました。ごちそうさまでした。
まだ小田原宿内なのに、もう茶店の団子を頬張っている…江戸時代だったら、そんな感じなのかな?ありえないよね、きっと。

↑割と小さめです

甘いものを充填し、では、あらためて、いざ参ろう!

↑消防署(南分署)

街道沿い、早川口交差点にある消防署も、それなりに江戸チックです。後ろの火の見櫓も間近で見上げると、けっこう迫力あります。


【大久寺】
↑小田原宿の西のはずれです

此処は小田原城主・大久保家の菩提寺です。初代大久保忠世が小田原城主となった際に開かれたそうです。大久保家が小田原を離れた一時期、寺も江戸に移りましたが、大久保家が小田原に戻ると、寺もかつての地に再建されました。
う~ん…見てみたいなぁ…なんて思っているうちに、一行は寺の前を通過。車道の向こう側だったのもよくなかったのかな。


【居神(いがみ)神社】
↑かつての山角町(小田原宿内)と板橋村の鎮守様

居神は「堰神(いがみ)=井神」に通じ、水の神様となんらかの関連があるのでは…と、ものの本に書いてありました。
祭神のうち、戦国時代の武将、三浦荒次郎義意(よしおき)は、北条早雲に敗れ自害して果てますが、首がこの地へ飛んできて(!)人々を苦しめたそうです。とある住職によって成仏した義意は、「この地に留まって守護神となろう」ということで、祠に祀られ、武門の神として崇拝されたとのことです。

…で、ここも見たいなぁ…と思っているうちに、またもや通過。なんだか久しぶりの街道歩き、カンが戻らないのかな。


【板橋見付】
↑板橋見付。小田原宿ともお別れです

いよいよ小田原宿を出ます。此処から先は板橋村。とくに見付の遺構が残っているわけではありませんが、案内板を読んで、当時を偲びましょう。


↑夏空と東海道とM隊長とW隊員と

東海道は板橋見付で国道1号線と別れ、細い旧道に入ります。
なんとものどかな雰囲気で、朝から酔っ払いのおっちゃんが自転車をこいで、街道に異変がないか見回っていました。

このあたりも、いろいろと名勝旧跡があるようですが、何分、今回は準備不足の感が否めず、下調べも皆無の状況で歩いているため、とりあえず、そのまま湯本を目指します。

↑とうふ工房。街かど博物館が此処にも

途中の下田豆腐店は街かど博物館。店内には昔の写真など店の歴史が展示されているそうです。
ここも外から見ながら通過。この辺り、味のある建物があって、なかなかいい雰囲気です。

-H-



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