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【じごく耳】基本的人権は~現在及び将来の国民に対し侵すことのできない永久の権利として信託されたものである

国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

違憲状態の選挙で復権した党 国民を締め上げるような憲法改悪に抗議しよう

2012年12月18日 | ☆ツブヤキ・つぶやき☆

 日曜日の選挙結果は、やっぱり想定していたとおりだった。1票の格差が著しく『不平等』な違憲状態の選挙制度では、投票

した人々の死票が多く、民意が反映されない。復権した自民党のような大政党に都合の良い選挙制度(違憲選挙)の中で、直

前まで安倍・石原・橋下担ぎと選挙の争点をウヤムヤにするような報道ばかりだったのも結果の一因だと思った。

 想定していたとはいえ、この不平等で違憲状態の選挙に、この理由とは違う幾つかの疑問がある。

私が投票所に行ったのは、午前8時過ぎ。受付開始から1時間しか経っていないのに、大勢の方がもう投票所で列を作ってい

事に驚いた。それなのに、大マスコミは、盛んに「投票率が低調」である事を報じていた。選挙に行こうと促されても夕方に終

了した投票所が多々あり、日本が抱える最大危急な課題である『原発事故』の最たる被害県である福島県の投票終了時間が

夕方の5時や6時に決められたことだ。夜にしか選挙に行けなかった人は、勝手に投票所が早期終了していたら、否が応でも棄

権となる。普段の投票時間は、7時~20時。省エネだとか云う理由にもならない理由を付けて、国民の権利をおざなりにしてい

るのが、ここにも表れている。

 そして、手書きの投票用紙を機械で読み取る『電子読み取り機』の謎。これは、以前、米国フロリダ州知事選に出馬する民主

党候者を決める予備選で、読み取り機の『プログラムミス』が起き、民主党員への投票は共和党員への投票に置き換わって

しまった。後に発覚したからミスだと判ったが、発覚しなければそのままで、市民は、間違いを知る由もなかっただろう。

今回の衆院選と合わせて行われた『最高裁判所裁判官国民審査』では、静岡県沼津市選管が10人の裁判官の免を求める

票と罷免に反対する票を取り違えて入力し、本来5万6300票だった罷免を求める票が85万1460票になってしまったミスがあっ

た。これが逆の場合、はたして真剣に『間違い探し』をしただろうか?米国でも日本でも起きている電子読み取り機の入力ミス。

今回の衆院選は、入力ミスが全く無かったのだろうか?最高裁の審査は、殆どの人が×を付ける手間を掛けないので、選管も

意外な『結果』に疑問を持ったのだと思うが、例えば入力ミスがあったとして、○党20万票、▼党35万票(本来は○党35万票、

党20票)の結果に疑問を持つ選管の方がいるのだろうか?とても不安な機械でもある・・・

 最高裁判官の国民審査は、良い人に○印を 選挙の票数を数えるのは、機械でなく人力で!そうすれば『ミスや不正』は監

カメラさえあれば直ぐ判る。間違いやすい高価な機械を重要な選挙に導入する事は、その他不正プログラミングの可能性も

示唆している。

 1票の格差の違憲状態は、小選挙区で全有権者の約25%(投票した有権者の約34%)の得票しかしていないのに300議席中

237議席獲得し、比例代表では、全有権者の約16%(投票した有権者の27%)にも関わらず180議席中57議席獲得こういうマ

ジックのような選挙制度のお陰で自民党は復権したのだ。

本来、有権者の真摯な意見表明を優先するならば、得票で議席が確保されて然るべきだ。全有権者を対象にすれば、復権政

党の小選挙区議席数・75議席 比例代表・29議席で、100歩譲って投票した有権者だけを対象にしても、小選挙区

席数・102議席 比例代表・49議席になる。

 この違憲状態の中で復権した党は、福島原発事故の被害を今もこれからも受け続ける国民の生活や福島原発の処理策、高

レベルの核のゴミ問題は眼中にないかのように無視して、早速、憲法96条【この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二

以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は

国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。】を変えて、憲法を都合よく直ぐに変えられ

るよう『3分の2以上→過半数』にするつもりだ。先ず、己達に都合の悪い憲法を変え易くして、9条を破棄して徴兵制を復活させ

国民を戦争へと駆り出そうとしている。近隣諸国との危機をメディアを使って煽り、その関係改善の努力はせずに、ひたすら米

の意向に沿って防衛費を増大し、米国の軍需産業の僕となる策を次々と出してくるだろう。この族の目には『国民』の姿

活は見えていないのだろう。