安らぎの里・お絵描き、写真、時々古典

次男の絵・ワードでお絵かき・街の鳥、花、景色の切取・時々古典文学・いろいろ発信しています。

母の俳句ー7

2018-07-29 13:01:45 | 母の想い出

 

 

母の俳句ー7

 

台風、私のところは、被害勧告は出ましたが、無事被害も無く今は静かな日常に戻っています。が・・・・過ぎた後に大雨があるとか言ってましたから、まだ油断はできないのかな?

現在、台風の最中の地域もありますのでくれぐれも被害がないことを願っています。

 

母の俳句、珍しく変わったものに目を付けた句がありましたので、まとめてみました。   

 

 

 

 

 

珍しい進路の台風、初めてですが、今後なにがおこっても不思議ないのかもですね・・・・

 

今日も見ていただいて有難うございました。

では又~~

 


母の俳句ー6

2018-07-27 20:38:07 | 母の想い出

 

 

母の俳句ー6

 

私が写真を撮り始めて、暫くした時、「フォト五七五」というものがあることを知りました。写真と俳句のコラボ。

母に頼んで、私の撮った写真を見て俳句を創ってもらいました。

右端のが特にお気に入りです。紅シジミ蝶も好きです。

 

 

  

 

 

このブログでも、何回目かの登場です。

明日、台風どうなるのでしょう??"(-""-)"嫌です。

 

今日も見ていただいて有難うございました。

 

では又~~  

 


母の俳句ー5

2018-07-26 21:56:03 | 母の想い出

 

母の俳句ー5

 

義兄が亡くなったのは、義弟が亡くなったあくる年だった。。

体調が悪いと言って、病院で診てもらったら即、大きい病院を紹介され入院、手術・・・あっという間の出来事でした。手術出来ない状態だった。

それでも体調が楽な時は仕事を続け、2年ほど闘病し、天国へ旅だった。40歳半ばだった。

世間では良いことは重ならないけれど、悪いことは2つも3つも重なるといわれるが、本当にそうだった・・・。

手術を待っているときの様子、退院してからの様子を母の俳句が物語っている。。

優しい、面白い義兄だった。。子供が中学生、下がまだ小学生だった。。

暗い話がつづいてすみません。

 

 白い花を手向けます。

 

 

 

 

 

冷房の効いた部屋の中にいると割と涼しかった。でも、一歩部屋から出るとむぁ~とするほどの暑さ!!差が激しすぎる。怖いほどだった。

何とか無事一日が終わった。

 

今日も見ていただいて有難うございました。

 

では又~~   


母の俳句ー4

2018-07-25 19:45:53 | 母の想い出

 

 

母の俳句ー4

 

冬の句です。

カレンダー・・・が好きです。家から駅まで歩いたら30分はかかる遠い道を(自転車なら10分くらい)通勤していました。40分ほど汽車に乗って、京都駅まで何年間か通いました。母は歩いてですから30分かかる道を娘のために迎えに来てくれたんですね。。。

最期の胡蝶欄・・・は、義弟(夫の弟)がハウスでいろんな花をそだてていました。胡蝶蘭は新しい花を育て始めて無理をしたのか、一夜のうちに天国へ・・義弟も若かった・・40代前半。

 

 

 

暑さ、少しましだったかな?今度は台風。。"(-""-)"

おとなしくサッと過ぎ去ってください。。

 

今日も見ていただいて有難うございました。

 

では又~~  

 

 


母の俳句ー3

2018-07-24 22:18:01 | 母の想い出

 

母の俳句ー3

 

たった「1反」の田んぼでしたが、良く田んぼの世話をしました。田植えも手で植えて、稲刈りの後は麦も育て、麦踏もしました。昔は機械もなく、手作業で一応の事はしてきました。母は京都生まれ、京都育ちでしたが、頑張り屋さんでした。その母の背中を見て、母を助けたい一心で手助けをしました。

そんな中から生まれた俳句。私が好きな句は右端の「迷い傘・・」です。

 

 

 

 

 

今日は少しましだったのかな?こう毎日暑いと感覚が麻痺して、少しましだと昨日より涼しいとかんじます。風があった分ましに感じたのかも。。

 

今日も見ていただいて有難うございました。

 

では又~~