安らぎの里・お絵描き、写真、時々古典

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近世の俳人 芭蕉・蕪村・一茶

2018-01-03 15:23:20 | 古文

 

あけましておめでとうございます

 

 

~近世の文学締めくくり~

近世の文学の中の代表的な俳人の句を掲載して近世の文学の締めくくりとします。三人三様ですが、良く知っている句が誰のだったというのがごっちゃになっているので、整理して覚えなおします

●松尾芭蕉

●与謝蕪村

●小林一茶

 

 

松尾芭蕉 

(1644~1827) (三重県)上野で生まれる。藩主の死後、武士をやめ三十歳ころ江戸に出る。当時流行していた「談林風俳諧」に満足できず、独自の俳諧理念「蕉風」を作り上げ、物の本質の美しさをよんだ。もっと上を目指し晩年は旅に出た。

※赤字の句が知っている句でなじみ深い句です。

 

春の句

 

雲雀(ひばり)より上にやすらふ峠かな

 

古池や蛙(かわず)飛びこむ水の音

 

 

夏の句

 

面白うてやがて悲しき鵜(う)舟(ぶね)かな

 

やがて死ぬけしきは見えず蝉(せみ)の声

 

秋の句

 

名月や池をめぐりて夜もすがら

 

秋深き隣は何をする人ぞ

 

冬の句

 

初時雨(はつしぐれ)猿も小蓑(みの)をほしげなり

 

旅に病んで夢は枯野をかけめぐる(芭蕉、最期の句)

 

 

 

 与謝蕪村(よさぶそん) 

(1716年、芭蕉没後23年目)大阪府の農家に生まれる。17,8歳の頃江戸に出て俳諧を学ぶ。その中で絵画も修行、絵画的な句や単純で鮮明な句が多い。芭蕉の死後衰退していた蕉風俳諧の復興に励んだ。

※蕪村の句はあまり知りません。春の句は二つとも教科書でも出てきて習った気がします。

 

春の句

 

菜の花や月は東に日は西に

 

春の海ひねもすのたりのたりかな

 

夏の句

 

さみだれや大河を前に家二軒

 

夕立ちや草葉をつかむむら雀

 

秋の句

 

去年より又さびしいぞ秋の暮れ

 

山は暮れて野はたそがれのすすきかな

 

冬の句

 

磯千鳥足をぬらしてあそびけり

 

子を捨る藪(やぶ)さへなくて枯野(かれの)哉(かな)

 

  

 

小林一茶(こばやしいっさ)

 

(1763~1827) 江戸後期の俳人。 

長野県の農家に生まれる。三歳で実母と死別し、継母に育てられる。一五歳で江戸に出、俳諧を知り、句作に励んだ。子や妻に先立たれ、六十五歳で孤独のうちに死去。 

一茶の句は、俗語や方言をまじえて、人間味あふれる俳句を作った。

 

※やはり一茶の句が一番多く知って馴染みが有ります。庶民的な感じです。

同じ名月の句でも、一茶の句は思わず笑えるような気がします。

 

春の句

 

目出度さも中位也(ちゅうくらいなり)おらが春

 

痩(やせ)蛙(がえる)まけるな一茶是(これ)に有り

 

我と来て遊べや親のない雀(すずめ)

 

雀の子そこのけそこのけ御馬(おうま)が通る

 

夏の句

 

五月雨(さみだれ)も中休みかよ今日は

 

やれ打つな蠅(はえ)が手をすり足をすり

 

故郷は蠅(はえ)まで人をさしにけり

 

秋の句

 

秋風に歩行(ある)いて逃(に)げる蛍(ほたる)かな

 

名月を取ってくれろと泣く子哉(かな)

 

冬の句

 

是がまあ終(つい)の栖(すみか)か雪五尺(ごしゃく)

 

心から信濃(しなの)の雪に降られけり

 

 

 

今年もよろしくお願いします 。

もうしばらくゆっくりのペースでいきます。(*_ _)

 

では又~~  


近世の文学-3

2017-11-30 23:41:33 | 古文

 

 

近世の文学-3 

 

東海道中膝栗毛 作者十返舎一九(じゅっぺんしゃいっく)

(1765年~1831年)江戸後期の戯作者。駿河の人。本名、重田貞一。初め江戸に出て、のち大坂に行き、浄瑠璃の合作で文筆活動を始めた。江戸に戻り、洒落本・黄表紙を書き、滑稽本「東海道中膝栗毛」で有名になった。

 

 

弥次郎兵衛と喜多八の、東海道珍道中を舞台に当時の世相を面白おかしく描いたもの  

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南総里見八犬伝  作者 滝沢馬琴(たきざわばきん)

 

(1767年~1848年) 江戸時代後期の小説家

 

室町時代の名将、里見家の興亡を背景に八人の犬士が活躍するという、構想雄大な勧善懲悪(善を勧め悪を懲らしめる)小説。中国の水滸伝の影響を受けている。 

 

 

蘭学事始    作者 杉田玄白(すぎたげんぱく)

(1733~1817) 江戸中・後期の蘭方医。蘭学の祖。

前野良沢らとで翻訳した医学書「ターヘル・アナトミア」が「解体新書」です。

解体新書は日本医学史上に絶大な貢献をした。 翻訳作業をした際の苦心談が「蘭学事始」

  

 

おらが春(俳文集) 作者 小林一茶(こばやしいっさ)

 

(1763~1827) 江戸後期の俳人。信濃国柏原生まれ。一五歳で江戸に出、俳諧を葛飾派の二六庵竹阿に学び、のち夏目成美の庇護を受ける。

 

五十七歳の元旦に始まり、同年十二月二十九日の一年間の随想と発句を収めたもの。 

 

 

今日も見ていただいて有難うございました。 

 

 

では又~~  

 


近代の文学 2

2017-11-16 01:55:54 | 古文

 

近世の文学 2

 

 

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世間(せけん)胸算用(むねさんよう) 作者 井原西鶴

 寛永19年(1642年)~元禄6年(1693年)

本名平山藤五といい、大阪の富裕な町民であった。十五、六歳ごろより俳諧(俳句)を学び、二十一歳で談林俳諧の点者〈採点する人〉になる。 

 

 浮世草子の代表的な傑作で、五巻二十五話からなる短編集。ことごとく大晦日の一日を描く。借金を取り立てる者、あるいは取り立てられる者金策に走る者など中下層町民の喜びと悲しみの入りまじった生活を、あざやかに描く。 

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曽根崎心中(浄瑠璃の台本) 作者:近松門左衛門

  承応二年(1653年)~享保九年(1724年)

 越前藩士の家に生まれたが、十五歳の頃京都へ移住し、公家に仕えた。延宝年間(1673年~81)より劇作家として活躍し、歌舞伎や浄瑠璃の脚本を数多く残している。

  

 当時実際に起こった町人平野屋徳兵衛と遊女お初の心中事件を素材にして作られた世話物浄瑠璃の代表作。初演当時から大変な人気を得た。

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古事記伝 作者 本居宣長(もとおりのりなが)

享保15年(1730年)~享和元年(1801年)

 18世紀最大の日本古典研究家。 伊勢国松坂(三重県松阪市)の人。
木綿商の家に生まれるが、医者となる。医業の傍ら『源氏物語』などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する。

 

 

 

今日は寒かったです。見ていただいて有難うございました。  

 

では又~~  


古典 近世の文学 奥の細道2

2017-10-31 20:55:32 | 古文

 

古典 近世の文学 奥の細道2

 

上代、中古、中世と見てきて、江戸時代(近世)にきました。わたし的には近世のほうが馴染みがないような気がします。。(*_ _)

ひとの名前は知ってる!て感じです。でも歴史の流れは激動的な事が起こった時代だったことが解ります。

鎖国、赤穂浪士、百姓一揆、ペリー来航、大政奉還。。。

あぁ~社会の勉強、嫌いだったぁ~"(-""-)"

ということで、奥の細道をもう少しおさらいします。お付き合いください。

 

近世の文学の代表的な作品 

 

 

 

 

 

門人、河合曽良(かわいそら)と江戸の芭蕉庵を出発。

・・

 

 

 

 

 

  

 

 旅の後半は病に倒れ、無念な想いで旅立った。とされている。

 

 

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

                芭蕉最後の句とされている。

 

45歳の芭蕉による奥の細道の旅程は、六百里(二千四百キロ)にのぼり、一日十数理もの山谷跋渉もある。これは当時のこの年齢としては大変な健脚でありスピードである。 と、記されている

   

 

今日も見ていただいて有難うございました。

   

 

では又~~  

 


鎌倉・室町時代の文学 小倉百人一首

2017-10-02 15:16:35 | 古文

 

~小倉百人一首~

 

 

百人一首といえば、私の小さいころはお正月に「坊主めくり」や大人と一緒にかるたをしたものです。あまり遊ぶものがなく、「いろはカルタ」や「福笑い」をして遊んびました。今は「百人一首」は競技としてのかるたが印象的ですが、ちょっと早すぎて・・・(?_?) でも、案外Eテレの朝の子供向け番組で取り上げられていますね。百人一首、やはりいいですね。。。何百年も昔の歌が、いまでも生き生きと引き継がれています。

 

鎌倉・室町時代(中世)の文学

源頼朝が鎌倉に幕府を開いた西暦1192年から徳川家康によって天下が統一される17世紀初めの約400年間の文学を中世の文学という。

中世の代表的な文学

~小倉百人一首~

 

西暦(1235年頃)

藤原の定家(さだいえ)が、上代から鎌倉時代初期までの勅撰集(ちょくせんしゅう)の中から、百人の歌人について、各一首づつ選んだ。

定家の別荘が京都の小倉山にあるとろからこの名がついた。古今集から選ばれたものが最も多く、また歌の内容は恋をうたったものが約半数を超えている。

独断と偏見で選んで紹介します。

  1番

秋(あき)の田の仮廬(かりほ)の庵(いほ)の苫(とま)をあらみ 我が衣手(ころもで)は露にぬれつつ 

  天智天皇(てんちてんのう)

  9番

花の色はうつりにけりないたづらに 我が身世にふるながめせし間(ま)に

 小野小町(おののこまち)

  12番

 天(あま)つ風雲の通ひ路吹きとぢよ おとめの姿しばしとどめむ 

僧正遍昭(そうじょうへんじょう)

24番

このたびは幣(ぬさ)も取りあへず手(た)向山(むけやま) 紅葉の錦神のまにまに 

菅原道真(すがわらのみちざね)

 33番

久方の光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ 

紀友則(きのとものり)

 35番

人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香ににほひける 

紀貫之(きのつらゆき)

 57番

めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間(ま)に 雲隠れにし夜半(よは)の月かな 

紫式部(むらさきしきぶ)

61番

いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重(ここのへ)ににほひぬるかな 

伊勢大輔(いせのたいふ)

 62番

夜をこめて鳥の空音(そらね)ははかるとも 世に逢坂(あふさか)の関はゆるさじ 

清少納言(せいしょうなごん)

 86番

嘆(なげ)けとて月やは物を思はする かこち顔なるわが涙かな 

西行法師(さいぎょうほうし)

 87番

村雨(むらさめ)の露もまだひぬまきの葉に 霧たちのぼる秋の夕暮(ゆふぐれ) 

寂連法師(じゃくれんほうし)

 97番

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩(もしほ)の身もこがれつつ 

藤原定家(ふじわらのさだいえ)

 100番

ももしきや古き(ふるき)軒端(のきば)のしのぶにも なほあまりある昔なりけり 

順徳院(じゅんとくいん)

 

今日も見ていただいて有難うございました。

 

 

では又~~