神代植物園
花は歩きながら発見し
近づき
あちこちと花の周辺を周り
花が花らしく見える場所を見つける
カメラをもっていると
できあがりの写真を想定してみてしまう。
それがいいことかどうか・・・・・
花は見る人の心の持ち方でしか見えない。
だから、同じものを見ていても
同じではない。
ある人はきれいな花の前を素通りする。
「あの花は・・・」と声をかけても
「何?」と言って
全く気付かない人もいる。
・・・・・・・・・・
今日の芭蕉
さざ波や風の香りの相拍子 芭蕉
湖岸にひたひたと打ちよせるさざ波の音は、あたかも涼しく薫風に相拍子をうっているようである。能役者である主人に対する挨拶。
古典的教養と弟子に対する挨拶などを絡めた作品は
関係者や傍にいるもの、あるいか日記等で確認する人でなければ理解できない。
芭蕉の句の大部分はそのような特徴を持っていますね。
そのような探す楽しみ
裏を読む楽しみかもしれませんが
今の私にはめんどくさいが先にです。
・・・・・・・・・・・・・
朝の風
見えないのにそれと感じる
朝の野原を吹き抜ける風のような・・・・
それがいい。
見えるって恥ずかしいことなのです。
花は歩きながら発見し
近づき
あちこちと花の周辺を周り
花が花らしく見える場所を見つける
カメラをもっていると
できあがりの写真を想定してみてしまう。
それがいいことかどうか・・・・・
花は見る人の心の持ち方でしか見えない。
だから、同じものを見ていても
同じではない。
ある人はきれいな花の前を素通りする。
「あの花は・・・」と声をかけても
「何?」と言って
全く気付かない人もいる。
・・・・・・・・・・
今日の芭蕉
さざ波や風の香りの相拍子 芭蕉
湖岸にひたひたと打ちよせるさざ波の音は、あたかも涼しく薫風に相拍子をうっているようである。能役者である主人に対する挨拶。
古典的教養と弟子に対する挨拶などを絡めた作品は
関係者や傍にいるもの、あるいか日記等で確認する人でなければ理解できない。
芭蕉の句の大部分はそのような特徴を持っていますね。
そのような探す楽しみ
裏を読む楽しみかもしれませんが
今の私にはめんどくさいが先にです。
・・・・・・・・・・・・・
朝の風
見えないのにそれと感じる
朝の野原を吹き抜ける風のような・・・・
それがいい。
見えるって恥ずかしいことなのです。