あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

急ぎ足秋の記憶も遠くなり  あきオジ

2010-09-15 20:12:19 | 日記
名月や西に向へばぜん光寺  一茶

中秋の月。その明るい光のなかで、わたしは、どうしても西の方にひかれる。それには、ひたと、善光寺さまがおわす。

「文化12年秋。一茶神妙なときの句。善光寺は、いうまでもなく、いまの長野市にある八宗兼学の名刹で、一茶はしばしば詣でている。地理的にも、柏原のほぼ西の方角にあたる。彼は耳をすますようにして月光のなかに佇んでいるのだ。」
「『有明の窓からおが善光寺』が翌年ありますね。月がありながら夜が明けてくる、その得もいえぬ明るさの窓に身を寄せて、遠く善光寺をおがむのです。措辞としては『おがむ』が未熟なんで『西に向へば』にくらべて劣ります。」(金子兜太解説9

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今日は寝不足で疲れました。
早く寝ます。
といっても9時です。
周囲の人に聞いたら
11時なら早い方
1時ならそんなものなのだそうです。

そのかわり私は原則4時起床です。
4時から8時まで
することは少々
全部自分だけの時間です。
贅沢ではありませんか。

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秋風に悟ったような愚痴をいい  あきオジ

2010-09-15 17:50:39 | 日記
湯島聖堂の黒い門
黒く塗られて堂々としている門
圧倒されますね。

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撞鐘もひびくやうなり蝉の聲  芭蕉

おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉  芭蕉

面白くやがてかなしき鵜飼かな  芭蕉

暑き日を海にいれたり最上川  芭蕉

(こうやって、あげてみると、知っている歌がずいぶんありますね。どうしてでしょうか。観光冊子などに利用されていたり、観光バスなどで紹介されるからでしょうか。もう、芭蕉は俳人ではなくてコピーライターですね。でも、そんな見方をするのも面白い。素人の強みですね。)

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勝つた日は意見をいわぬが女なり  俳風柳多留

(この先、取りあげようと思っているのはこの「柳多留」です。私のような素人で、まともにものを見ることができないものには、この「柳多留」あるいは「武玉川」は、いいですね。爽快感があるし「あるある」「うまいこと言うね」の連続ですからね。この句もいいですね。)

親の闇只友達が友達が   武玉川

(笑えますね。)

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トンネルを抜ければ北国青い柿   あきオジ

2010-09-15 17:16:13 | 日記
お茶の水を通過する東西線です。
朝のうちは大学生が溢れだす駅なのでしょうね。
ホームで突き飛ばされないようにしないといけませんね。
東京は怖いところです。
自分で自分を守るしかない。
きっと、心も同じなのでしょうね。

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マッチの棒で耳かいて暮れてる  放哉

心をまるめる鉛筆とがらす  放哉

仏にひまをもらって選択している  放哉

(放哉と山頭火、どちらが書き写す意欲を減退させているか。それは放哉です。山頭火には日記があり、それをセットにすると、俳句も「読める」ようになります。でも、放哉は黙ってしまうタイプの人らしく、背景にあるものを読みとれません。その差ですね。でも、退屈して飽きてきたところから始まりますから、楽しみです。放哉の雑記を読めば状況が変わるかもしれませんね。)

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古本屋で中村憲吉と佐藤佐太郎の歌集を手に入れました。特に欲しかったわけではなく、岩波文庫であるから、それなりの評価を得ている人なのだろうな。そんなことです。二人の名前は聞いたことがあるようなないような。当然、歌集の内容は読んだことがありません。これから読み始めます。

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白菊の白妙甕にあふれけり  水原秋櫻子

(「折々のうた」で大岡信があれこれ解説していました。読んでみてなるほどと思いますが、どこかで技巧に傾斜する危うさを感じますね。野暮ったくていい。乱暴でもいいから、そのまま、そんな句に出会いたいですね。)

綿入や妬心(としん)もなくて妻哀れ  村上鬼城

(現代作家の驚くような冷徹さ、突き放した表現は、「逆に哀れが深まる」というような解説ではカバーできないものですね。それが好きかどうかということになりますが、「好き嫌い」では判断できない無機的なものですね。現代俳句は、そんな状況なのでしょうか。)

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春の次猛暑がありてやがて秋  あきオジ

2010-09-15 05:33:38 | 日記
昭和記念公園の日本庭園です。
人がいないので池に穏やかです。
トンボも蝶も音を立てません。
猛暑なのに静か
その奇妙な組み合わせが夏から秋にかけての
庭なのですね。


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昨日は9時には寝てしまいましたので今朝は早起きできました。
こんな一首があります。なるほど、同じような人がいるのですね。

はやく寝て目覚むる老夫婦寝語り尽きず午前四時頃  谷 邦夫

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春潮のテープちぎれてなほも手をふり  山頭火

神戸直行の汽船、がいかる丸に乗りこむ。さようなら、黎々火君、さらばm九州の山よ海よ。テープを投げる。神戸までの片道切を手に入れて、船に乗った。今日は晴天で、見送りの人もにぎやかだった。わたしもデッキから数本のテープを投げ、友人ふたりと別れを惜しんだ。こんなことはめったにないけれど、なぜか感傷的な気分になった。(昭和11年)

(山頭火がこのような場面を取りあげ、通俗的なさよならをしたことを句にするのは珍しいですね。でも、当たり前のことを当たり前にする。何の不思議もないのですが、他の行動からして「しないだろうな」と思いこんでいるのでしょうね。人の思い込みは、対象となるものを見えなくしてしまっているのですね。)


一茶でも飛行機雲は句にできまい  あきオジ

2010-09-15 05:12:31 | 日記
昭和記念公園の秋空
この公園に来ると
空が広いと思いますね。

どうしてでしょうかね。

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雪とけて村一ぱいの子ども哉  一茶

ゆきがとけると、村は子供だらけになる。暗い家のなかから飛び出して、まるでくもの子をつらすように、地面にひろがる。わめいているものもいる。

「文化11年の早春、北信濃の雪解けどきの喜びだ。解放された気分だ。一茶には子供をうたった句は多いが、これなどは北信濃の自然風土にとけこんでいるね。」
「童心回帰というか、幼なごころを覆いにしゃぶっている感じがあるのも、帰郷者の気持ちでしょうか、同じころに

春風や小藪小祭小順礼

というのがあります。ささやかな春祭があり、ひっそりとした巡礼が通る。小さな藪が春風に揺れている。といった幼なごこちに揺れている村の風景ですね。」
名詞を重ねる手法は、これからしばしば見かけるが、似たような風景が多いな。いつくか挙げてみよう。(金子兜太解説)

蝶とぶや茶売り湯うり野酒売

春風や八文芝居団子茶屋

木がらしや軒の虫籠吊し柿

綿ちるや小藪小社小溝迄

お揃ひや孫星彦ぼしやしゃご星

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風受けてムラサキシキブ揺れるまま  あきオジ

2010-09-15 05:05:14 | 日記
昭和記念公園のムラサキシキブ
もうムラサキシキブが色づいています。
白からピンクそして紫と
鮮やかに色づいて並んでいます。
もう、そんな時期なのですね。

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雨の日は御灯ともして一人居る  放哉

雨の日は傘たてかけておみくじをひく  放哉

たつた一人になりきって夕空  放哉

(須磨寺での生活を題材にしているのでしょう。どう読んでも熱心な修行者としての雰囲気はなく、気ままで、横着で文学者としての自負心だけが旺盛な日々だったようにしか見えません。俳句鑑賞のつもりが証拠調べのような発想になりつつあります。俳句そのものを楽しむようにしなければいけませんね。)

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