つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

摂ちゃんのこと(1)

2018-02-20 17:09:55 | 摂子の乳がん

摂子は戸籍上は私の実妹ということになっているが、実は私とは血がつながっていない。

私の最初の妹(知子)は生まれて2ヶ月で死んでしまった(1967年5月18日生まれ、7月25日没)。

親父に聞いた話では知子はダウン症だったらしい。

分娩室前の廊下で知子が生まれるのを待っていた親父が最初に聞いた声は、知子を取り上げた医者の、

「ダウンだ!」という声だったという。

 

知子の出産はかなりの難産だったらしく、知子が死んだ後なのか死ぬ前なのかはわからないが(たぶん、知子が死ぬ前だろう)、私の父方の祖母(つまり、お袋から見れば姑)が不妊手術を受けるようお袋に勧め、お袋も姑の言に従った。

祖母からすれば、

「利文という平岩家の跡取りを産んでくれたんだし、これ以上、嫁の身体に無理をさせられない。

無理に子どもなんか作らなくてもいい。」

という愛情からお袋の身体を気遣ったのだろう。

今から考えれば無茶苦茶な理屈だが、昭和40年代という時代はそういう時代だった。

 

ところが知子は生後2か月で逝った。

自分はもう子供を産めない体になっている。

私のお袋の狂気は、たぶん、この頃から始まった。

祖母が残した「思ふ事ども」と題名がつけられた日記(らしき備忘録)を読むと、当時のお袋と祖母の絵に描いたような確執、憎悪の応酬がよくわかる。

思ふ事ども」の書き出しはこうだ。少し長くなるが紹介する。

『昭和四十二年秋起

 利文の事を思うと、気も狂いそうになる。

 逢いたい、見たい、遊びたい、片言で話がしたい

 利文の事を思うとぢっとしてゐられない。

 ぼんやり考へ込んでゐると、ひとりでに泣けて来る。情けない。仕方がないからめちゃくちゃに働き廻る。やらでもよい仕事まであれこれとやると、つかれて朝は体が痛くて起きられない程になる。何か本を夢中になって読みたいけど、新聞よむだけでも目の悪い自分にはつかれて肩がこって来る。ほんとうに情けない。

 死にたくなって来る。自分は今ならいつ死んでもかまわない。が、どうかして主人を先に死なせてから死にたい。自殺は出来ない。この世から逃亡する事だから。

   うき事のなおこの上につもれかし 限りある身の力ためさん

 若い時から座右の銘にして来たこの歌の心も、もうそんな気力はなくなってしまっている。

 限り少ない身に何故にうき事を望もう。

 日曜には仕方がないから大てい午后からは何処か出かける。大曽根をふらつき、デパートへ行き、目につくものは子供のものばかり。おもちゃ売場へ行って、利文に買ってやりたいものがあっても、届けるすべがない。可愛らしい女の子のものからは目をそらさずにはゐられない。

 行きたい。利文を見に-----。けれ共まだ行けない。私の心にはまだ不発弾を抱いてゐる様なものだ。一時休止の活火山である。完全に死火山になるか、又はこの不発弾を誰かが取り除いて呉れない限り、彼等に逢へば何時爆発するか解らないからまだ行けない。この不発弾を取り除く事の出来るのは彼等より外にはないし、どうしようもない事だ。

 過去六年間、信じ切ってきただけに今度のショックは大きい。

 やっぱりうちの子だけはと親馬鹿の見本みたいに宏志を信じて来たのがいけなかった。あの結婚の時に一言の聞き合わせも一度の調査もしないで宏志の云ふままに信じて来たのが私達の馬鹿さ、不明(?)さ、今更、何をいっても追付かないけど------

 でもあの時、宏志に言った筈だ。お前は一人前の男になってゐるつもりだけど、まだ若い。女の廿七八才は男の三十才以上の精神年令だからと、一人前のつもりでゐる宏志はまだゝ社会ではかけ出しの筈だが女の子が家をはなれて、親の元をはなれて、働いて、二十七八にもなってゐるのは、もうほんとうに世なれたもので、彼女から見れば宏志等、子供の様に見えた筈である。』

 

嫁と姑のどす黒い戦いの狭間に立たされて親父も苦しんだろう。

 

あ、話が逸れた。

摂子のことだった。

 

 


インフォームドコンセント

2018-02-15 09:57:23 | 摂子の乳がん

2月9日に受けてきました。

奇しくも(別に関係ないけど)、長男の15歳の誕生日。

高校受験直前の15歳の誕生日なのに、家で一緒に祝ってやることもできずスマン(to 長男)

 

主治医のS先生の説明は、内容的には前回の記事でアップした診断書から大きな変更点はなし。

ただ、「治療希望がある場合には抗がん剤治療を行います。」と診断書には記載されていたけど、豊田厚生病院の方針なのか、がんの医療現場全体の暗黙の了解なのか、S先生としては、

「基本的に『ご自身で生活をコントロールする能力のない患者さん』への抗がん剤治療は行わない方向で行きたい」

とのこと。

抗がん剤の副作用の辛さは、乳がんと闘っている方のブログを拝見してもそれはそれは壮絶なものだし、3年前に肺腺がんで逝った親父も最期まで抗がん剤治療を拒否していたし、それでも親父は宣告された余命期間の倍以上を、とても楽しく、健康的(?)に暮らしていたし、私としても摂子に抗がん剤治療を受けさせたくはないなぁと思っていたので、S先生の考えに特に異論を述べることなく、これを了諾。

 

抗がん剤の辛い副作用を患者自身が受け入れられる、あるいは耐え抜こうと思えるのは、

「この苦しみを乗り越えれば、もしかしたらがんが治るかもしれない。もっと長く生きられるかもしれない。」

という『論理的希望』があるからだ、と思う。

知的障害者である摂子にはそういう「論理的希望」はない。

摂子にとっては、施設から定期的に病院に連れて行かれて、訳のわからない薬を投与されて、激しい副作用に苦しむたび、「意味不明な、理不尽な拷問を受けている」という漠とした感覚しか生まれないだろう。

しかも、「絶対にがんが治る」という保証などどこにもないのにもかかわらず。

 

障害の存在が摂子の人生をすべて不幸にしたとは言わぬ。

けれど、やっぱり、摂子の人生は、健常者の女の子、健常者の女性に比べれば、不幸の量が幸福の量を凌駕していた年月だったと思う(詳しくは次回の記事で書きます。)。

その最後の数年あるいは数か月を、さらに苦しみで満たす権利は誰にもないと思う。もちろん、私にも、だ。

 

S先生の説明では、摂子の乳がんは5年半前に摘出手術をした際の生研で、「ホルモン剤投与が有効なタイプ」と判明していたそうです。

だから、前回の手術後、ずっと、「再発予防」という観点からフェマーラを服用し続けていました。

今回、そのフェマーラでは再発・転移を予防できなかったことが分かったので、服用するホルモン剤がアロマシンという薬に切り替えられた。

これから3か月(5月9日まで)、様子を見て、それでもがんの進行が抑えられなかったら、次はフェソロデックスの臀部への注射に切り替えて更に3か月(8月9日まで)様子を見る、という治療計画になりました。

ホルモン剤にも副作用はあるのですが、抗がん剤のそれに比べれば患者の苦痛ははるかに少ないということなので、S先生から提示された治療計画で行くことに。

 

最後に、

「フェソロデックスでも効果がなかったときはどうなるんですか?」

と尋ねた私に対するS先生の回答は、

「抗がん剤治療に進む、という選択肢を取らない以上、それより先は緩和ケア、ターミナルケアが中心になります。」

 

「ぶっちゃけ、摂子のステージはいくつで、余命はどれくらいなんですか?」

との質問に対しては、

「妹さんは、前回、発見された乳がんを摘出したのに、今回、遠隔臓器への転移と骨転移が見つかったわけですから、いわゆる『ステージ』という評価はありません(←※「ステージ」って、そういうものなんですね。知りませんでした。)。

あえて言うなら『ステージ4に相当する』としか申し上げられません。

余命については、ステージ4と診断された患者さんでも上手にがんと付き合いながら何年も生きていらっしゃる方もいますし、数か月で亡くなる方もいますから、『あと何年です』『あと何ヶ月です』とは一概に言えないんです。ホルモン剤治療で非常に効果の出る方もいらっしゃいますし。」

 

S先生はとてもお若い先生です。

だから、まだ余命宣告というものに慣れていないのかもしれない。

「ステージ4の乳がん患者についての一般論」はS先生の言うとおりだけど、S先生自身が認めたように、摂子には抗がん剤治療はできない(しない)。

ホルモン剤治療も残された選択肢は2種類だけ。

S先生はあえて触れなかったんだと思うけど、乳がんはそもそも他のがんと比べても骨転移しやすいタイプのがんだ。

乳がん患者で骨転移に至った患者の5年生存率は、骨転移が認められない乳がん患者のそれが75.8%なのに対して、わずか8.3%(デンマークの国立患者登録データベース)。

さらに言えば、骨転移のみの乳がん患者と、骨転移に加えて他臓器への転移のある乳がん患者では、前者の生存期間は2.3年なのに対して、後者の生存期間(中央値)は1年未満(イギリスにおける7064人の乳がん患者(うち589人が骨転移)を対象とした研究)。

※以上、いずれも「あきらめない!癌が自然に治る生き方」(http://sotonorihiro.xyz/post-3210/)より引用させていただきました。

 

摂子は、「骨転移に加えて他臓器への転移のある乳がん患者」です。

彼女に残された時間は1年あるかないかだと思う。

その間に、俺は、摂子に何をしてやれるんだろう?

何をしてやればいいんだろう?

 

とりあえず、摂子を病院まで連れてきてくださった施設のスタッフさんと、

「旅行とか、ドライブとか、摂ちゃんが喜ぶこと、楽しんでくれる行事にはこれまで以上に参加させてあげよう。」

と決める。

 

 

その後、名古屋市内のホテルまでどうやって行きついたのか、いつの間に親父が眠っている墓に線香あげに行ったのか、まったく覚えていない。

親父は摂子を可愛がっていた。

最後まで摂子の将来を心配していた。

肺腺がんが進んで体力が落ちた身体に鞭打って摂子の面会に片道2時間かけて通っていた。

3回忌が終わって、天国でも摂子のことが心配で心配で、とうとう、摂子を天国に呼び寄せることにしたのか?

そうなのか、親父?


T学園での模擬裁判で頂いた質問

2018-02-14 16:00:00 | 弁護士のお仕事

に対する回答です。

1.なぜ弁護士になったのですか? きっかけは何ですか?

【回答】いつかこのブログでも詳しく書こうと思っていますが、慶應義塾大学法学部の通信教育課程の卒論の指導教授K先生(憲法)に、

「平岩、お前、司法試験受けろよ。うちの法学部の通信教育課程を4年で卒業する率は3%で司法試験の合格率と同じだからお前、受かるよ」

と言われたから。

「少数者の人権擁護」とか「社会的弱者の救済」とか、崇高な理由じゃなくてごめんね。


2.弁護士になるためにどのような勉強をしましたか?

【回答】司法試験のための勉強。皆さんが高校受験するときは高校受験のための勉強(模擬試験とか過去問演習とか)をするでしょ? それと同じ。「受験する試験のための勉強をしました」としか言えないです。

ごめん、内容のない回答で。


3.国家試験はどれくらい難しいのですか? 司法試験にはどのような問題が出るのですか?

【回答】国家試験と一口に言ってもいろんな種類の試験があるから、「どれくらい難しい?」と言われても答えられません。簡単な試験もあるだろうし、一生かかっても受からない人もいる試験だってあるだろうし。

司法試験に限って言えば、私が受験したときの最終合格率は3%くらいだったようです↓

https://reatips.info/bar-examination/

今はもっと合格率は高いけど、その分、合格者のレベルが(全員とは言わないけど)低下してる気がする。


4.法律を覚えるのは大変でしたか?

【回答】みんな勘違いしてるけど、司法試験の勉強は法律の「丸暗記」じゃないから。

そもそも論文試験の時は司法試験用の六法を参照可だし。

法律を丸暗記するより、「法律(という道具)を使って、現実に起こった『紛争』をどうやって論理的に解決するか」という方法論を覚えるのが大変だったです。


5.弁護士になる上で法律名や内容をすべて覚える必要はありますか?

【回答】上記4の回答参照。「こういう問題が起こったときは〇〇法の第〇条を使うんだよな。」程度は覚えますが、その条文を一言一句暗記してる人なんていないと思う(いたらごめん)。


6.今出ている弁護士や検察官を題材としたゲームや、ドラマを見て、どう思いますか?

【回答】ゲームは時間の無駄だからやらないし、ドラマは(たいてい)つまらないから見ないのでわかりません。

どう考えても現実の事件の方が面白いもん。


7.仕事をしていてつらいと思ったこと、一番大変だったときはありますか?

【回答】つらかったこと:一生懸命やっていた事件の依頼者に裏切られたこと。

一番大変だったこと:特になし。自分の好きな仕事をこんなに楽しくやらせてもらってお金まで貰っちゃってホントいいんだろうか、と思う。マヂで。


8.弁護士になってよかったと思ったときはどのような時ですか?

【回答】このブログの「刑事弁護~当番弁護編~」と「民事弁護~沖縄編~」を参照。

あと、平日にゴルフに行っても誰にも叱られないこと、休日とかが(ほかの仕事に比べて比較的)自由に取れること。


9.どのような人が弁護士に向いていますか?

【回答】コミュニケーション能力が高いのに、孤独に耐えられる人。

「人間てドジで、バカで、愚かだなぁ」と理解しつつ、人間が大好きな人。

困ったときにすぐに相談できる友人や知人がパッと10人以上思いつく人。

「敬天愛人」を実践できる人。

自分が正しいと思うことを躊躇(ためら)わずできる人。だけど、正しいと思う自分の心が正しいのかをいつも疑い続けられる人。


10.法廷で実際に「異議あり!」というようなシーンはあるのでしょうか

【回答】あります。私は証人尋問でも必要な異議はよく出す方だと思いますし、法廷や弁論準備という手続の中でも裁判官にも意見はバンバンします。

そうでなかったら、依頼者からお金を貰う私たちの存在意義なんてなくね?


11.1年間でどれほどの事件を取り扱うのですか?

【回答】「事件」というのが「裁判」ということなら現在進行中の「事件」は5~6件です。

多いときは20件くらいでした。

懲戒処分を受けたり、いろいろと問題があるといわれている弁護士事務所では弁護士が1人で100件以上の「事件」を扱っているとも聞いたりしますが、常識的に考えてあり得ない(と思う)。

ちゃんと事件に向き合って、全精力を注ぎこんでるなら同時進行で20件が限界(私は)。

ま、世の中には私の想像を超えたスーパーマンもいらっしゃるから、「100件でも200件でもどんとこい」という弁護士もいるかもしれませんね。

私が依頼する立場なら絶対、そういう弁護士には頼まないけど。


12.裁判員になったときに必要なことはありますか?

【回答】あなたの中にあるすべての偏見を捨ててください。

あなたの中にあるすべての差別意識を捨ててください。

あなたの中にあるすべての先入観を捨ててください。

証拠を丁寧に見ましょう。

検察官の論告求刑も、弁護人の弁論も、しょせんは彼らの「一意見」に過ぎないことをもう一度思い出しましょう。

あなたの大切な人、彼氏だったり、彼女だったり、両親だったり、子供だったり、親友だったり、そういう人に胸を張れるくらい、考えて、悩んで、苦しんで、結論を出しましょう。


13.弁護するにも限界があるときはありますか?

【回答】ないと思ってます。私は。

「限界」というのは、勉強でもスポーツでもそうだけど、「限界だ」と叫んだ瞬間に、そこが自分の限界になるので。


14.弁護士になる前の弁護士の印象と弁護士になってからの印象で違う点はありましたか?

【回答】ないです。というより、上記1で答えた様な経緯で弁護士になったので、弁護士になる前、特に「弁護士」というものに過大な期待も、大きな理想も持ってなかったし。

強いて言うなら、「弁護士って、意外に儲からない仕事なんだな」ということかな。


15.裁判員制度を取り入れる前と取り入れた後で、裁判の実情は変化していますか?

http://www.saibanin.courts.go.jp/vcms_lf/hyousi_honbun.pdf

とか、

http://www.saibanin.courts.go.jp/topics/09_12_05-10jissi_jyoukyou.html

とか、

https://www.toben.or.jp/message/libra/pdf/2010_08/p26-27.pdf

とかをご参照。

私の個人的な感覚でいうと、「変化はしてない」と思います。

特に変化してないんだから、裁判員制度なんていらないんじゃないかな、とも思います。

名前は伏せますが、ある仲のいい裁判官と飲んだ時、「裁判員裁判は、そうじゃない(裁判官だけの)裁判の3倍疲れる。死にそう。」と言ってたのが笑え・・・もとい、印象的でした。


16.裁判の前に心がけていることは何ですか?

【回答】「こういう流れになったら、こう対応する。」「そうじゃない流れになったら、こう対応する。」という自分なりのシナリオと演出プランを徹底的に考えていくこと。

うちの事務所の若手の弁護士には、事前に彼らなりのシナリオを提出させて、シナリオの出来の悪い方は裁判所に連れて行かないことにしてます。


17.何度も登壇していると、被告人や証人が嘘をついているのを見分けられるようになりますか?

【回答】裁判を経験した回数と相関関係があるのかどうかは分からないけど、何度も裁判に真摯に取り組んでると、「嘘を見破る能力」は少しずつ磨かれていくと思う。

一番、見破りやすいのは、他の証拠と明らかに矛盾したことを言い出した時。

あとは態度、言動、話す内容の順序、等々。

これ以上は企業秘密だから内緒ね。