としまえんが大好きだったIくんへ
おへんじがおそくなって ごめんなさい。
カッコいいサイクロンの絵をかいてくれてありがとう。
ゴーッと走りぬけるサイクロンのスピードが伝わってくる絵でした。
のっている人がみんなニコニコ顔なところが、Iくんはふだんから、すごくちゃんとサイクロンを見ていたんだなぁ、とかんしんしました。
サイクロンにのっている人たちって、みんな「きゃー」とか「わー」とかさけんでいるのに、いつも楽しそうだったよね。
私はIくんがおてがみと しょめいを送ってくれた、べんごしのひらいわといいます。
もしかしたらIくんのおてがみは私あてではなくて、としまえんのへいえんに反対しているたくさんの大人たちにあてたものだったかもしれません。
でも、べんごしは色んな人のかわりに何かをつたえたりすることがしごとなので、たくさんの大人たちにかわって私がIくんにへんじを書くことにしました。
としまえんはIくんがいうとおり、春夏秋冬、いつ行っても楽しい、すてきなばしょだったよね。
Iくんがいうとおり、なにもかもが「かんぺきなゆうえんち」だったよね。
今、たくさんの大人たちは、「なぜ、あんな楽しい、すてきな、かんぺきなゆうえんちが なくなってしまったんだろう」とひっしに考えています。
なにが悪かったんだろう。
だれが悪かったんだろう。
どうすればよかったんだろう。
たくさんの大人たちがいっしょうけんめい考えても、なかなか答えが見つかりません。
もしかしたら、かみさまが、「あんなかんぺきなゆうえんちをつぶしてしまうなんて!」「そんなおろかな大人たちには答えはおしえてやらない」とおこっているのかもしれません。
Iくんたち子どもが、としまえんのことを全力で愛してくれていたのに、もしかしたら私たち大人は ちゃんと としまえんを見ていなかったのかもしれません。
ちゃんと としまえんを愛していなかったのかもしれません。
ちゃんと としまえんのことを考えていなかったのかもしれません。
ちゃんと見ていたら、ちゃんと愛していたら、ちゃんと考えていたら、としまえんがつぶされるまえに私たち大人はもっと何かできたかもしれない。
だからきっと、としまえんがなくなってしまったのは私たち大人のせいです。
としまえんがなくなってしまって悲しんでいるたくさんのIくんのような子どもたちに 私たち大人はどうやってあやまったらいいんだろう。
何をしたらゆるしてもらえるんだろう。
私たち大人は毎日そればかり考えています。
たぶん、これからもずっと考えつづけます。
なくなってしまったとしまえんを ふっかつさせることはむずかしいかもしれないけれど、Iくんたちにあやまるために、Iくんたちにゆるしてもらうためには、としまえんがあった場所に、としまえんのようにすてきで、Iくんたちの命を大じしんや大火事のときにまもってくれる、としまえんのようにかんぺきなこうえんをもう一度、作ることだと私は思っています。
だからそのために私が考えられること、私がやれることはぜんぶしようと思っています。
Iくん。
Iくんは、これからもとしまえんのような「大好きですてきでかんぺきなもの」にたくさん出会うでしょう。
だから、これは私たち大人からのおねがいです。
もし、Iくんがとしまえんのような「大好きですてきでかんぺきなもの」に出会ったら、それから目をはなさないでいてあげてください。
いつもちゃんと見ていてあげてください。
ずっと愛してあげてください。
それだけで、もしかしたら、その「大好きですてきでかんぺきなもの」がこわされてしまうことを助けられるかもしれません。
Iくん一人だけじゃなく、たくさんのともだちといっしょに「大好きですてきでかんぺきなもの」を守っていってあげてください。
私たち大人はそれをしませんでした。
「自分が守らなくても、きっとだれかが守ってくれるさ」とのんきにくらしていました。
そのけっか、としまえんはなくなってしまいました。
Iくんたち子どもたちに、あやまっても、あやまっても、あやまりたりません。
だから、Iくんたち子どもたちには、私たち大人のようなしっぱいはしてほしくありません。
大切なものは、自分で守らなければなりません。
自分で守ろうとしないなら、それはもう、大切なものではなくなってしまいます。
私たちは、もういちど、としまえんがあった場所にIくんたちが「大好きですてきでかんぺきだ!」と思ってくれるようなこうえんを作ります。
ぜったいです。やくそくです。
だから、もうすこしだけ、私たち大人に時間をください。
2020年10月21日
としまえんが大好きだった、大人のひらいわより
※むずかしい漢字はお母さんかお父さんに読んでもらってね。