つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

10月20日の親父

2015-10-20 15:34:57 | 親父の日記

2012 土曜 12250(※おそらく万歩計の歩数だと思われる。) 晴

今日はよく歩いた。

「スギヤマ薬局」で「クエン酸」購入。「氷城」(?※判読困難)で昼飯。「ヤマナカ」で「キナ粉」購入。

PM「●林」(?※判読できず)の前まで行き、そこから「イマジン」へ行き本を購入して来た。後h(?※判読できず)山田さんへTELするも不在。

 

2013 日曜 2350 雨

終日雨のため、家の中で過ごす。

明日は、又、腰痛OPのため今夜の食事で明朝は食事抜き。

 

2014 月曜 8400 雨

AM 「加藤内科」から「16Bank」へ回って、帰宅。

PM 「さよなら手書き」のソフトを使って、摂子(※私の妹である。知的障害があり、愛知県内の施設に入所している。親父と私が後見人になっている。)の家裁提出書類作成しようとしたが、うまく出来ず、4時に又整体へ行ってきた。


親父の日記を公開します。

2015-10-20 15:20:31 | 親父の日記

10月19日に他界した親父は私に似て記録魔だった。

全国各地を旅した写真も、生まれて間もない頃から死の直前までの自分の写真も、スナップ写真も、愛猫の写真も、すべて場所ごと年度ごとにアルバムに整理されていた。

そのアルバムの数は数十冊に及ぶ。

愛車の給油と走行記録が克明に記載された手帳は10数年分が残されていた。

 

その親父は死ぬ前日まで日記をつけていた。

5年分の日記が1冊にまとまった、博文館から出ている「5年連用日記」である。↓

 

 

このブログでは、親父の腫瘍マーカーの数値や、私の親父に対するエールを掲載し続けてきた。

親父が他界して、それも終わる。

しかし、親父が一人で日々を生き抜いた事実は残っている。

たった一人で頑張っていた親父。

死の直前まで、自分を客観的に見続けていた親父。

多くの人に愛されていた親父。

その親父の3年間の日々がこの日記には詰まっている。

 

不謹慎との誹(そし)りを受けようと、生前、親父に何の孝行もしてやれなかった私にできることは、親父が生きた痕跡を、親父が頑張っていた証(あかし)を、「日記の公開」という形で世に残すことだと思う。

ブログにデータとして残しておけば、今は幼い私のこどもたちも、いつの日か、祖父の生き様を手に取って読んでくれるだろう。

 

日記は当然ながら1月1日が起点になっているが、ブログでの公開は10月20日分から始めようと思う。

これから毎日、3年前、2年前、1年前の同じ日に親父が書き残した日記を公開する。

1年後の10月19日。親父の一周忌で「親父の日記の公開」が完結する、という運びである。

1年間かけて親父の日記を公開する作業を続けることが、私なりの供養だ。

 

親父。

もし、日記の公開に反対だったり、そんなことされたら恥ずかしくて成仏できん、ということなら、遠慮なくそう言ってくれい。

四十九日法要前なんだから、まだ、この世のどこかにいるんだろ?


親父は他界しました

2015-10-20 02:37:11 | 親父の肺癌
2015年10月19日16時46分でした。
死に目には間に合いませんでした。

親父の死に顔は、今までの闘病の苦しさから解放されたかのように安らかです。

通夜は21日18時から、告別式は22日10 時から、いずれもティア新瀬戸(瀬戸市川西町1-113 電話0561-89-7900)で行う予定です。