ここ10日ほど、親父の日記のアップばかりである。
80歳の無名の老人の日記をいったい誰が読みたいと思っているのか、アクセス数に変化がないのが不思議だ。
親父はこのブログの(数少ない)愛読者の一人だった。
親父は、
「葬儀は親族のみの親族葬で。友人知人への連絡は四十九日が終わってから。」
と言い残していたが、愛読していたこのブログでなら、自身の他界を公表されても文句はあるまい(と勝手に推測)。
このブログを読んでくれている方で、私の親父のことを知っておられるあなた(誰?)。
父、平岩宏志は平成27年10月19日16時46分に他界しました。80歳でした。
死因は肺腺癌ですが、直接の死因は間質性肺炎の急性増悪でした。
息子の私が言うのも変ですが、最期の最期まで男らしく自分を律し続けた、素晴らしい親父でした。
親父は最期の瞬間まで自分の指にはめたパルスオキシメータ(血中の酸素濃度を測る器械)で自分の体調を確認し続けていた。
一人暮らしだった親父は、最期を看取った私の妻に、
「(一人暮らしをしていた)あの家で寝ていると、天井を見上げながら、
『このままここで、たった一人で死んでまうのか』
と何度も思った。
病院に入って、こんなにたくさんの人に親切にされながら死んでいけるなんて思ってもおらんかった。
ありがたい。」
と告げた。
親父がいなくなった家で、親父の遺品を整理していると、親父の言葉が浮かんできては、この家で一人ぼっちで生きていた親父の孤独に涙が止まらなくなる。
親父が死んで10日。
「俺にはこんなに涙があったのか」と思うくらい泣いた。なのに、それでも涙が止まらない。
親父の孤独を和らげるために、
親父が生きた痕跡を少しでも世に残すために、
そして、親父と同じ病で今も頑張って生きている方に、
「あなたと同じ病に侵されながらも、
日々を楽しみ、
1日1日を大切に生き、
最期の瞬間まで自分を律し続けた老人がいる。
親父にできたことがあなたにできない訳がない。
諦めることも、自暴自棄になることもしないでほしい。
最後まで頑張ってほしい。」
とエールを送るために、
私は親父の日記を公開し続けている。
親父の遺影はこれだ。
肺腺がんの宣告を受けた年の5月5日。2人の孫と自宅の縁側で撮った写真からおこしたものだ。
写真は私が撮った。
2人の孫を抱き、息子に写真を撮ってもらった親父。
この時点ではまだ肺腺癌は見つかっていない。
葬儀会社TEARの担当Kさんに、
「こんな素晴らしい笑顔の遺影は見たことがない。最高の遺影だと思います。」
と言わしめた親父の笑顔だ。
親父はこの写真が一番のお気に入りだったらしく、いつもパソコンをしていた2階の部屋に大きく引き伸ばして額に入れて飾っていた。
親父の死後、親父の財布から、縮小印刷した同じ写真を見つけた。
裏には自分と孫たちの生年月日が書かれていた。
たぶん、おそらく、きっと、いつも財布に入れて持ち歩いては、会う人に見せて孫の自慢をしていたのだろう。
だから、財布に入っていた小さい方の写真は棺の中の親父の手に握らせて親父と一緒に天国に送った。
天国で会った人たちに、ちゃんと自慢できるように。
その写真がこれだ。私の部屋にも同じ写真が飾ってある。
今もまだ、親父のことを書くと、涙が止まらなくなる。
今から事務所訪問に来てくれる修習生に会わなければならないというのに、このざまだ。
もう少し時間が経って、泣かずに親父のことを書けるようになったら、ぼちぼちと親父の思い出を書こうと思う。
けれど、今は、まだ、無理だ。
すまない、親父。