つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

箱根駅伝

2015-06-27 22:21:18 | 日記

半年前の話題かよ!と突っ込まれそうだが、いやいや、そうではないぞよ。半年先の話題じゃ。

 

梅雨真っ只中のこの時期に、何故、正月の「箱根駅伝」の話題かというと、三浦しをんさんの「風が強く吹いている」(新潮社)を読了したからだ。

「風が強く吹いている」は、箱根駅伝を目指す10人だけの寛政大学陸上部の1年を描いた小説だ。

以前からこのブログで「三浦しをんさんはいい!」とベタ褒めしてきたのだが、「風が強く吹いている」を読んで、「うわっ! この作家、やっぱり天才!」と心底、確信した私である。

ちなみに、もし、私が息子たちに1冊だけ、三浦しをんさんの作品を薦めるとするなら、迷わずこの「風が強く吹いている」を手渡す。

 

とか言いつつ、実はこれまで私、「箱根駅伝」に特に熱い思い入れなぞございませんでした。

毎年、正月は苗場のゲレンデにいるか、そうでなければカミさんの実家に挨拶に行っているかなので、TVでゆっくり箱根駅伝を観戦したことなどなかったからだ。

ところが今年は義弟の子供たちが年末からオタフク風邪にかかり、毎年恒例の「正月のカミさんの実家詣で」が中止になった。

「そういうことなら」と遊びに行った先の苗場のマンションで、コタツに入ってぬくぬくしながら窓の外の雪景色を見て、持参した日本酒でベロベロになって、たまたまTVをつけたら箱根駅伝の中継をやっていた。

箱根駅伝の熱烈なファンの方に襷(たすき)で首を絞められそうな、この上なくダラケきった観戦態度。

まぁ、とにかく、そういう様々な偶然と必然の果て(?)に、今年の正月は生まれて初めてじっくり箱根駅伝の中継を見る機会を得たのだ。

 

「箱根駅伝ファン超初心者の私的には」という前提がつくが、今年の見どころは5区だった。

青山学院大・神野大地の走りはまさに神憑(かみがか)り的だったが、それより私が涙したのは同じ5区を走った駒澤大学の馬場翔大だ。

馬場は、首位で襷を受けて小田原中継所を出たが、10キロ過ぎに同じ3年生の青学・神野に逆転された。

その後は低体温症に陥り、意識もほとんどない状態でフラフラになりながらも残り2キロを走り抜いた。

往路のゴール前直線に入る最後のコーナーを曲がってきたときの馬場は、もはや走ることはおろか、まっすぐ歩くこともできなかった。

なんども転倒し、そのたびに立ち上がってゴールを目指す。

競技中の選手に手を触れることはルール上禁止されているから、チームメイトも、沿道でサポートしている仲間も、誰も馬場に手を差し伸べられない。

ゴールで声を枯らしながら馬場の名前を呼び続けるチームメイトと、とっくに意識などすっ飛んでしまっているはずなのに、「仲間から受け取った襷を次の仲間に渡す」という、ただそれだけのために、棄権することなく足を前に進め続ける馬場の姿を見て私は不覚にも大泣きした。

 

このやろー、若造ども。正月早々、俺様のハートを鷲掴みにしやがって!

 

最終的に優勝は青学。駒大は2位だった。5区で馬場が体調を崩さなければ、もしかしたら青学を破って駒大が優勝していたかもしれない。

けれど、たぶん、駒大のチームメイトは誰一人、馬場を責めてはいないと私は信じている。

理由は特にない。駅伝というのはそういうスポーツだから、としか言えない。

「そうなのか? 駅伝とはそういうスポーツなのか?」と思われる方はぜひ、「風が強く吹いている」を一読されたい。

 

中学校時代。実は私も駅伝の学校代表選手だった。

「風が強く吹いている」を読みながら、今年の箱根駅伝5区の馬場を、馬場を呼び続ける駒大のチームメイトを、中学校時代の駅伝の仲間の顔を、校庭のトラックの砂埃と練習コースの枯草の香りを、思い出した。

「走る」という、人間の最も基本的で原始的な身体の動き。

どこまでも孤独で、それでいて、仲間とたった一本の襷でしっかり繋がっているという絶妙のバランス。

「駅伝」というスポーツは不思議に人を魅了する。

 

馬場も神野も今年は4年生。来年の箱根駅伝が最後の出場になる。

おそらく、二人ともまた、5区を走るだろう。

「箱根の借りは箱根でしか返せない」という。

馬場が借りを返すのか、神野がさらに神憑(かみがか)った走りで未知のゾーンに到達するのか。

いまだに自宅のDVDレコーダーの録画予約を使いこなせない私としては、できれば、来年はカミさんの実家詣でも苗場もパスして自宅で箱根駅伝を見たいと切に願う今日この頃である。(半年あるんだから録画予約の仕方を覚えろよ、俺!)