ヌルい

萌えても良いですか?
…萌えないとダメですか?


by 雛多

エゴ

2010年06月20日 | Weblog
Caution : 気分悪くなるので、読まない方が良いですよ。










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始めます。

先日。
祖母の四十九日法要の前日の事でしたが。

庭で鳥の雛を拾いました。鳥に詳しくないので名前は知りません。
通路に落ちていましたが、足が折れていました。どうやら家の屋根にある巣から落ちたようで。
まだ体毛色もハッキリせず、飛べるほどに羽も揃っていない、生まれてから日も浅いようでした。

必死にモガいていましたね。
そのままにしておけば、車に踏み潰される or 近所の猫に攫われる のは居た堪れなくて、保護してしまいましたが。けれど飼うつもりはなく、挙句に「巣に戻ってくれたら」と小さなトレーに載せて屋根の上の巣の近くに置いてきました。



昨日、「トレーはもう片付け時だろう」と、再び屋根に上って、そのまま中で死んでいる雛を見つけました。少なからず、いなくなっていてくれるのを期待していたのですが。。。




僕はどうするべきだったのか、今でも迷っています。
巣から落ちた時点で、「もう成長は見込めない」と放置するべきだったのか、それがイヤなら見えない場所に捨てるべきだったのか? 自分で手を下して、殺す?
…もしくは、飼って育てるべきだったのか。
飼うとしても、ペットではなく、いつか自然に帰したい。でも、飛べない鳥、餌を取れない鳥、人に懐いた鳥では、生きていけないし、私にはそれを教える事ができない。

巣に戻そうとしたのは私のエゴなんでしょうか? 偽善ですか。成長が見込めないのに生きている時間を引き延ばしたのは、むしろ残酷だったのでしょうか。


私自身が、本来、生を受けられないかもしれない状態で生まれたので、弱いものが生きる事を否定するのは自分を否定する事にも通じて、とても辛い気持ちになります。「生きる可能性を信じたい」と。
でもそれも、両親の献身的な愛あってのもので、今回の私はただ運任せで放置したのですよね。



最初に拾った時に、掌に乗せた時の力強い脈動の感触が、今でも掌に残っています。
生きている、小さなものの存在感。
そのまま失わせてしまうには惜しいと感じたのは感傷でしょうか? …そうですね、生きる手助けを全くせずに、死んでしまった今となっては感傷でしかありませんね。

ちょうど祖母の四十九日の前日という事もあって、妙に感傷的な気持ちになっていたのは事実。翌日には天に昇る祖母が、生まれ変わって現れたような気がして。
だから、運良く育ってくれるんじゃないかって。
でも、もしそうだとしたら…生きる手助けをしなかった私は、もう一度、祖母を殺してしまったんでしょうか。祖母の最期に気付いてあげられなかったように。



………ちょっと妙な精神状態に入っていますな、リセットwww




屋根から降ろして、花壇の一角に穴を掘って埋めました。お墓にはしませんでした。
それがせめてもの、償い

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