元来が好奇心旺盛な上にむやみに凝り性で、更に飽き性で、
さてこんな人間が、ココ数年の衝動に駆られて、身辺整理をするという、
今までの自分のアイデンティティを根底から否定するような事をした場合。
それが「自分のため」と言うより、人に合わせた『一般的』な
価値観によっていたとして、その価値観が何のためにもならなかったとしたら、
崩壊しただけに留まらず、自分の価値さえ見失ってしまって、
生きていく自信さえ持てなくなってしまっていたり。
…とか。
冬休みであります。
そんなわけで、ちょっとなんだか、何もやる気がしない昨今。
「年末年始は本を読んで過ごすぞ!」と。
溜まっていた在庫をできるだけ処理するつもり。
…でいたところの、読み始めたのが
『トマスによる福音書』荒川献著(講談社学術文庫)
特に考えずに買って来たのですが、ナグ・ハマディ文書の一つだそうで。
分かり易いし、なかなか良い本なのですが、
いわゆるグノーシス主義上のキリスト解釈に当たるとなれば、
本書に寄っているだけでは作者に嵌められるような気がしてw
グノーシスではない福音書正典と云われる四福音書が手元にあったので、
『福音書』塚本虎二訳(岩波文庫)
を並行で読み始め。(再読)
『トマ福』を読みきった所で、グノーシスの概念を再考するため
『グノーシス』C.マルクシース著(教文館)を再読。
以前は理解できなかった事が、理解できる部分も出てきて。
こちらはキリスト教外のグノーシスも含んでいるので、
まぁ概要として覚えてかないとね、という。
更に、グノーシス続きで、
『マグダラのマリアによる福音書』カレン・L・キング著(河出書房新社)
にいよいよ手を伸ばす。
『トマ福』よりむしろコッチはもっと意味深。
『ダヴィンチ・コード』にも書かれている、正典により立場を貶められた
【女性】という存在。
その視点で書かれた福音書であるコレは、正典と相容れない内容も含んでいて。
著者も女性のようなので、ちょっと過敏にも思われますが。
考え方としては、勿論アリなので。
そんな感じで、キリスト(=メシア=救済者)の物語?を、ひたすら読んでいたのですが。
いくら読んだとしても、其処には救いなんてものは無く。
(グノーシスの場合は特に、「自分で見つけろ」的思想ですしねw)
まぁ、キリスト教に改宗する気持ちは全く無いので、救われる訳が無いですよねwww
というか、救われるために読んでいる訳ではなく、コレは本来の趣味のためなのですが、
欧州の昔話とか伝説、寓話を読むにあたって、
キリスト教が潜在的であれ前提になっているのは、間違いない事実で。
例えば、『ハーメルンの笛吹き男』阿部謹也著(ちくま文庫)とかも読んでいたりw
『境界線上のホライゾンI 上下』とか、『三銃士』(岩波文庫)とか、
果てはキリスト教発生前の『ガリア戦記』(岩波文庫)とかw
雑多な読書をしておりますが。
まぁ、「キリスト教を知っていて損はあるまい」と。
案外役に立っておりますよ。
さてこんな人間が、ココ数年の衝動に駆られて、身辺整理をするという、
今までの自分のアイデンティティを根底から否定するような事をした場合。
それが「自分のため」と言うより、人に合わせた『一般的』な
価値観によっていたとして、その価値観が何のためにもならなかったとしたら、
崩壊しただけに留まらず、自分の価値さえ見失ってしまって、
生きていく自信さえ持てなくなってしまっていたり。
…とか。
冬休みであります。
そんなわけで、ちょっとなんだか、何もやる気がしない昨今。
「年末年始は本を読んで過ごすぞ!」と。
溜まっていた在庫をできるだけ処理するつもり。
…でいたところの、読み始めたのが
『トマスによる福音書』荒川献著(講談社学術文庫)
特に考えずに買って来たのですが、ナグ・ハマディ文書の一つだそうで。
分かり易いし、なかなか良い本なのですが、
いわゆるグノーシス主義上のキリスト解釈に当たるとなれば、
本書に寄っているだけでは作者に嵌められるような気がしてw
グノーシスではない福音書正典と云われる四福音書が手元にあったので、
『福音書』塚本虎二訳(岩波文庫)
を並行で読み始め。(再読)
『トマ福』を読みきった所で、グノーシスの概念を再考するため
『グノーシス』C.マルクシース著(教文館)を再読。
以前は理解できなかった事が、理解できる部分も出てきて。
こちらはキリスト教外のグノーシスも含んでいるので、
まぁ概要として覚えてかないとね、という。
更に、グノーシス続きで、
『マグダラのマリアによる福音書』カレン・L・キング著(河出書房新社)
にいよいよ手を伸ばす。
『トマ福』よりむしろコッチはもっと意味深。
『ダヴィンチ・コード』にも書かれている、正典により立場を貶められた
【女性】という存在。
その視点で書かれた福音書であるコレは、正典と相容れない内容も含んでいて。
著者も女性のようなので、ちょっと過敏にも思われますが。
考え方としては、勿論アリなので。
そんな感じで、キリスト(=メシア=救済者)の物語?を、ひたすら読んでいたのですが。
いくら読んだとしても、其処には救いなんてものは無く。
(グノーシスの場合は特に、「自分で見つけろ」的思想ですしねw)
まぁ、キリスト教に改宗する気持ちは全く無いので、救われる訳が無いですよねwww
というか、救われるために読んでいる訳ではなく、コレは本来の趣味のためなのですが、
欧州の昔話とか伝説、寓話を読むにあたって、
キリスト教が潜在的であれ前提になっているのは、間違いない事実で。
例えば、『ハーメルンの笛吹き男』阿部謹也著(ちくま文庫)とかも読んでいたりw
『境界線上のホライゾンI 上下』とか、『三銃士』(岩波文庫)とか、
果てはキリスト教発生前の『ガリア戦記』(岩波文庫)とかw
雑多な読書をしておりますが。
まぁ、「キリスト教を知っていて損はあるまい」と。
案外役に立っておりますよ。