「原発はナチスの人体実験」か? 常軌逸した脱原発派のヘイトスピーチ
「原発はある種、人体実験とかナチスの行いと同種のものとして捉えないといけない。原発は経済的にも環境的にも有利とはいえないわけですが、倫理的に許されないという考え方でやっています」
12月8日、福岡市中央区で開かれた脱原発を求める市民団体「原子力市民委員会」の意見交換会。座長代理を務める九州大学副学長、吉岡斉はこう語った。
原子力市民委員会は大学教授や弁護士、NGO団体代表などで構成する全国組織として4月に設立された。意見交換会は、平成26年春にまとめる脱原子力政策大綱の中間報告を発表するために開いた。
吉岡は自らが中心となってまとめた中間報告を発表し、その後の質疑応答で冒頭の発言は飛び出した。
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言うまでもなく言論の自由は憲法で保障されているが、原発をナチスドイツの人体実験に例えた吉岡の発言は常軌を逸している。
昭和41年に日本原子力発電の東海発電所(茨城県東海村)が日本初の営業運転を開始して以降、原発は半世紀近くにわたり日本の電力供給の根幹を担ってきた。原発で働く技師や作業員は誇りを持って仕事をしており、周辺住民も多くは電力供給基地としての矜持を持って原発を支えてきたはずだ。
それを600万人のユダヤ人を虐殺したとされるナチスドイツと同一視されたら技師らはどう思うか。その子供たちはどう思うか。人体実験の対象呼ばわりされた周辺住民はどう思うか。まさに「倫理的に許されない」ようなヘイトスピーチだといえる。
今年7月、副総理兼財務相の麻生太郎が東京都内のシンポジウムで「ナチスの手口を学んだら」と発言した。発言の詳細を追うと「憲法改正は静かな環境で成し遂げられるべきだ」という主張の中で「反語」としてナチスを引き合いに出しただけだったが、朝日新聞など一部メディアから容赦ないバッシングを受けた。民主党や社民党は、麻生の発言を「釈明の余地のない暴言」と首相の安倍晋三に罷免を要求した。
吉岡は、九州大学副学長という公人であり、発言は公の場で飛び出した。もし保守系政治家や原発推進派が同じような揶揄(やゆ)をしたら脱原発派はどんな行動に出ただろうか。
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脱原発運動は先鋭化している。
「原発なくそう!九州玄海訴訟」原告団・弁護団は11月21日、玄海原発の稼働差し止めを求める第8次訴訟を佐賀地裁に起こした。10月31日の園遊会で天皇陛下に書簡を直接手渡す暴挙に出た参院議員の山本太郎も原告団に加わっている。
この日発表した声明では「本日の提訴では隣国の韓国からも原告が参加した。再稼働へと突き進むわが国に対して国際的な懸念が生じており、脱原発の意思が世界に広がっていることの証左である」と宣言した。
だが、「国際的な懸念」を寄せているのはどこの誰なのか。懸念すべきは日本ではなく中国の原発ではないか。
日中科学技術交流協会によると、中国の原発1基あたりのトラブル件数は2005年に2・6件(日本0・3件)、07年に2・1件(同0・4件)と日本の5倍以上に上る。そんな原発が渤海湾周辺の地震帯を中心に20年以内に200基以上乱立する見通しだ。
韓国では、原発23基が商業運転中で総発電量の27%を占めるが、こちらもトラブルが相次いでいる。11月28日には古里原発1号機が「安全上の措置」で自動停止。12月4日には全羅南道のハンビット(霊光)原発3号機のタービン発電機が故障し運転を停止した。
過去10年間で原発部品の品質証明書の偽造が2287件に上ることも発覚した。原発がらみの不正で運営会社や検査機関関係者ら約100人が起訴された。
「国際的な懸念」があるならば、原告団・弁護団は中国や韓国で同様な訴訟を起こすのが筋だろう。
だが、声明ではそんなことには一切触れず、特定秘密保護法案に絡めて「安倍自民党政権」を激しく批判した。
その例として東京電力福島第1原発事故の際、放射性物質拡散予測システム「SPEEDI」の情報が適切に公開されなかったことを挙げるが、これは民主党の菅直人政権の不手際のはずだ。菅政権は、特定秘密保護法などなかったのに中国漁船衝突事件のビデオなど不都合な情報を次々隠蔽し、ビデオ映像を流出させた海上保安官は、警視庁に国家公務員法(守秘義務)違反容疑で書類送検された(後に起訴猶予)。
これを問題視せず、安倍政権を攻撃するのは明らかに公正さを欠く。脱原発以外に別の政治目的があるのではないかと勘ぐられても仕方ないだろう。
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脱原発派はこう主張している。
「価格の安いシェールガスを買えばよい」「原発がなくても電気は足りている」「再生可能エネルギーで代替すべきだ」-。
こうした主張は正しいといえるだろうか。
震災前の平成22年度、全国の電力会社が支払った天然ガス(LNG)などの燃料費は3兆6千億円だった。経済産業省電力需給検証小委員会が今年10月に公表した試算によると、原発停止により、25年度は倍増して7兆円を超える見通しとなっている。
東京電力がこれまでに支払った原発事故の賠償金3兆2千億円。1年分の燃料費増が優にこれを上回っている計算となる。消費税1%強、国民1人当たりに換算すると約3万円となる。この負担が、原発が再稼働しない限り延々と国民にのしかかる。
九州電力をはじめ日本中の電力会社は燃料の調達費用削減に血眼になっているが、原発を失った状態では売り手に足下を見られ、価格交渉力は弱い。
一方、頁岩(シェール)層から採取される天然ガス「シェールガス」の採掘技術が確立されたことを受け、燃料費値下げの切り札と期待する声は大きい。
そんな中、米エネルギー省は今年5月と9月の2回にわたり、日本へのLNG輸出を承認した。
だが、その輸出承認の条件は、楽観論を覆した。
まず、輸出は4年後の平成29年度から。しかも輸出価格を天然ガス価格に連動させることにした。
経産省資源エネルギー庁が弾きだしたBTU(英国熱量単位)当たりの輸入価格は10~11ドル。現在、日本が輸入する原油価格連動の16ドルよりは安いが、米国内に流通する4ドルに比べれば3倍近い。
つまり例え同盟国であっても、安全保障そのものといってよい資源を、求めるままに安売りする国はどこにもないということだ。元首相の小泉純一郎や共産党が主張するように、もし政府が原発の「即時ゼロ」を打ち出せば、価格交渉力はさらに低下するに違いない。
シェールガスやメタンハイドレートは将来の基幹エネルギーの有力候補となりえるが、「原発の代替」は幻想に過ぎない。「原発即ゼロ」は論外だといえる。
では、再生可能エネルギーはどうか。今夏の需給をみれば、とてもではないが、原発の代替電源にはなり得ない。
今夏、沖縄電力を除く9電力会社の最大電力需要は計1億6125万キロワットだった。これに対し、太陽光、風力、地熱発電の合計供給力は271万キロワットで需要の1・7%に過ぎない。
しかも日照に発電量を大きく左右される太陽光発電は日中の補完エネルギーにすぎず、基幹電源とはなりえない。ここ数年、九州各地の遊休地などに黒々とした太陽光パネルが設置されたが、景観を大きく損ねており「環境に優しい」とも言えまい。
このように原発停止後の実態を見れば、脱原発派の「原発などなくても大丈夫」という主張は何の理もないことが分かる。
だからこそ首相の安倍晋三は12月20日のTBSの番組「太陽光や風力発電がいきなり30%、40%になる裏付けがないのにできるとはいえません。安くて安定的な電力を供給しなければ、私たちが享受している豊かさは失われてしまう。安全と判断された原発は再稼働していきたい」と語ったのだ。
九電を含め5電力会社は、玄海、川内など14基について原子力規制委員会に、新しい規制基準に沿った安全審査を申請した。規制委はこのうち10基の審査を続けているが、遅々として進んでいない。
原発が再稼働しないまま来夏を迎えれば、燃料費の負担はさらに増大し、需給逼迫による大規模停電「ブラックアウト」の危険性も十分ある。
そうなればアベノミクスによる景気回復は一気に冷え込み、多くの人々が生命の危険にさらされる。
「原発はいらない」。自由主義の国なのだからそう唱えるのは構わない。だが、「原発がなくても大丈夫」と唱えるのはあまりに無責任だといえよう。脱原発派の言葉に惑わされてはならない。(敬称略)
=第6部終わり。この連載は小路克明、津田大資、大森貴弘、田中一世が担当しました。