ひじきごはんを食べましょう(sorry, this blog is UNDER CONSTRUCTION←おー

どうもひじきごはんです。ほんとに食べちゃだめですよ、俺のことをね。

「友だちリクエストの返事が来ない午後」

2015-05-21 15:41:02 | Weblog
小田嶋隆・著

小説かな?と一瞬思う装丁、しかし中身は結構いつものオダジマ師であるうえに
仏の顔もサンドバッグや安全太郎の夜のころの ひとあじたりねーなー な感覚から脱してウン仲々読ませるじゃないか…という熟した旨酒のような
書き味が続く

小田嶋さんは一家言のひとだ。これには説明が不要だと思うがあまり知らない人のために書いておくと←オダジマ師の書き味の真似

たぶん東大が国語一科目だけで合格する制度だったら、オダジマ師はとてもよい成績で入学し、とてもよい成績で卒業していただろうということだ
自愛 微温 オダジマ師は通念つかわれていない旬から外れた熟語に再点灯させるのがうまい。これは東大理系に入学したをれ程度では
うらやむばかりが関の山、という才能のひとつだ。をれは、1993年ごろオダジマ師を東大の祭り 正確には東大駒場寮の秋の祭りに招いて

少しだけオダジマ師の名声に貢献したかもしれないし、してない場合もあるがいずれにしろをれは初エッセイ集「わが心はICにあらず」という
高橋和己の「我が心は石にあらず」をもじったサブカルそれもどちらかというと電脳業界かいわいのバイアスがかかった名著に高校生のころ
耽溺していたからだ。今はもう手元にないのでできれば文庫版じゃないほうをいずれいつの日か尼ででも入手したい。

オダジマ師はどんな社会現象にも一定のコメントを発することが出来る。それも、高尚にみえる事象を卑近な例に寄せるのがめっぽううまい。この
今回こうたエッセー集は書き下ろしなのかもしれないがあの、太田出版から出されている。

友だちについての意見がずっと続くのだがいつものおなじみの眼力が美化のヴェールをともなうおとなになってからの友だちづきあいと、
ほんとうの友情が成立しえた子ども時代の対比でばっしばっし容赦なく切り捨てられている

そのひとを本当に理解すること などのものごとについてオダジマ師はよほど絶望に近い諦念を抱かれているようだが
四半世紀ファンをやっている個人のこともよかったら考えてみてくだしあ。オダジマ師にずっと貫かれているのは

都会のポエジーだ。赤羽が地元。千栄子は

をれがビッグネームに擦り寄ると不愉快です!になる。結構伊集院静みたいなのがこのみなんだったりして。あ コリャちぺこ

をれはムツゴロウさん苦手だぞ。あと、水玉螢之丞さんが去年亡くなってた。享年55歳。中尊寺ゆつこさん並みの衝撃。
ちぺこもからだだいじにせえよ。て、ガード下でゆうたよな30年近く前。あんときちぺこの手がとても冷えていて。
やさしいひとはからだがつめたい伝説そのものではあった。そんとき富野御大も一緒に呼んだんだよな学祭。

をれがビッグネームってやべえよ…やべえよ…になったのはそんときの経験による。

オダジマ師というひとは、やさしくって、すこしばかの原田宗典氏が持ってたよいところをへんくつのカムフラージュは
あるとはいえ温存してる人だとをれは思ってる。ちぺこのかわゆさというものは天与のものだ。いっぽうをれの腹は今出てる。たぶん

腹がひっこまないうちはちぺこは姿を目の前にあらわしてはくんないべいな。いっぺん、だきしめあったとき
おなかとおなかがすりすりとすりよせあったことがあったな。をれはその当時は食べても太らない体質だったんで
「ひょっとしておふとりあそばされた?」なーんていいぐさもしたものだが

今はいえません。
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