しかして、まだ負けませんぞ。
コブラ なんてやつだっけ?クリボー以外の宿敵ともひとり、闘うよね。ほんでそいつの実体は
彼
やったのやがをれなあ イングロリアス・バスターズでも感じるんやが
いつまでナチスのアイコンに頼るねんとは 長年思って来たからね。そこにはなにか
語られてない不誠実がまだ隠蔽されていると、考えるようになった。
アイデアはいいと思うんだが処理にはまずったのではないのかなと遠目から見ている。たとえば
ズォーダーがサーベラーとしとねをともにしていた暗示などで深まる表現なのではないか。そこにズォーダーが
虚無を感じていることが、サーベラーとしては許しがたいことであり、それがドラマなのだと思う。これはあれやね
シャクライがシーソーゲームで、恋なんていわばエゴとエゴのシーソーゲームとうたったとき
おまえの恋はそうなだけやろ他人を巻き込んでんぢゃねーよとをれは激怒したんで
をれには憧憬はあるようだ。
水野晴郎の特選シネマ「馬鹿が戦車でやってくる」 解説:水野晴郎 ゲスト:山田洋次