ひじきごはんを食べましょう(sorry, this blog is UNDER CONSTRUCTION←おー

どうもひじきごはんです。ほんとに食べちゃだめですよ、俺のことをね。

いわっていわて

2005-10-08 21:50:37 | Weblog
10本で1000円のレンタルで色々借りてきた。一週間でみんなみなければ。

「魔法使いに大切なこと」
NANAの宮崎あおいがヒロインをやっていると今日わかって借りることにした。ちなみにアニメ。
OPで観たくなくなったけど耐え忍ぶことにする。しばらく観続ける…と、ヒロインがなまった。どうやら岩手弁らしい。またここでキレそうになる。どうも他の「くに」のやつらはわかってないみたいだが、「どんなに焦った時でも」少なくとも俺の歳より若い岩手人が他の「くに」で岩手弁を口にすることは「ありえない」。とりわけ盛岡では、若者・子供の間では岩手弁は使われていない。「げんしけん」を読まなくなったのも、オギーを巡る描写がカリカリカリカリ俺を苛立たせるからだ。コミケでのあのオギーの友達の描写には視界がブラックアウトしてしまいそうだ。
「わかってるよ?岩手の人ももうおしゃれなんだよね?でも、故郷の友達と話す時はお国言葉に戻っちゃうんでしょ?純朴ぽくて、なんかいいな!なごむ。」

…木尾士目、俺はもう「げんしけん」を読まないだろう。

明治に文明開化。ほぼ断絶していた「くに」が一つにたばねられる。西欧を手本に才能が全国から集められる。それまでにありえなかったことだ。異なる言葉が触れあう。…言うまでもなく、「伊勢参り」などは許されていたのだろうから、江戸時代にも、あるいはそれより前にだって、旅をした者は少なくあるまい。そこここによって言葉が違うことは、わかっていなかったわけではなかろう。しかし、今でさえ、全ての方言を知るものは極々わずか、か、いないかもしれないわけで。ましてや明治だ。あまりそういうことについて書き残されたものを読んだことがあるわけではないが、岩手弁をイノセントに口にしたその頃の岩手人は、まあ、かなりの扱いを受けただろう。小学時代4年間あまり、ばりばりに鍛えられた俺でさえ、爺さん婆さんが話す言葉がこれっぽっちもわからない時がある。

東京人も少しは垢抜けたらしく、「田舎者」の扱いが前より上手くなったみたいだ。俺の同人仲間が、東京の専門学校で友達と話していた時、「書かさる」と口にしたのを「なんのこと?」と聞き返されて、わけがおたがいわかったときウケたという、話。そこで馬鹿にされなかったあたりが、救いがある。人は少しずつ前に進んでいると。「書かさる」とは、「書ける」のこと。「このマジック、まだ書かさる?」みたいに使う。岩手人は、標準語と疑わない、見落としの岩手弁しか、他では口にしない。このエピソードみたいに。もし口にすることがあれば、それはわざとだ。明治からの扱われかたが、岩手人をそうさせた。

断っておきたいのは、岩手人も岩手弁も他の「くに」、とりわけ東京人を「ほのぼの」「ほっ」とさせるツールでは、断じてありえない、ということ。岩手人は東京人のペットではない。もし「ほのぼの」「ほっ」としたければ、明治・大正・昭和初期にしてくれればよかったのだ。

…しかし、この憤りにもかかわらず、俺と岩手人の間にもズレがある。岩手人はたとえ、俺の憤りに似た思いがあっても、それを口にすることはないから。ここが、俺の生まれと関わりがある、のかも、しれない、と、思う、ことがある。

俺がふるさとに錦を飾ることがあるとしたら、それは東京だから。

深く憎みながら、街に心惹かれる。…もう緑がないとへばる歳になったことがこの間のコミケ遠征でわかったが、それでも、冒頭の「魔法使い~」で、東京をなにか「灰色の街」みたいにヒロインにモノローグさせたりするとテレビに向かって思わず罵倒するし、そこでコテコテの善意の東京人がヒロインを助けたりするあたりには、そのあまりにも安い作りにめまいを覚える。俺の知る東京はそんな街ではない。楽しく、そして冷たい。そして、灰色ではなく色とりどりの街とそこを征く人、樹々の緑にさえヨヨコーに行けば出会える。そこでしてもらう膝枕と春の暖かい風。どこが灰色なのか。そして、時々、巡り合わせがよければ、優しくしてもらえることもある。心の底から冷たいわけでは、確かにない。しかし、溢れる笑顔で近づいてくる人がもしいたら、そいつはあんたを頭から囓ってしまうつもりの街、それが東京だ。それでも、それが灰色だとは俺は思わない。

俺が夢見るのは、山手線あたりで…いや、少し外して埼京線、京浜東北線あたりでもいいんだが…総武線だと…スマンがちょっと…中央線も、国立までなら。国立で、俺は半年半同棲したから。常磐線でもいいかな…北千住あたりまでなら。その車中で、なんとなく女子高生が三人、「おおシャンゼリゼ」を鼻歌交じりにハモりながら、すっと乗ってる人の耳に歌を届けてしまうひとつらなりの絵。

街を 歩く 心 弾む あなたと会ったこの街で とはじまることになっている。俺は日本語の歌詞を知らないので。ひょっとしたら合っているかもしれない。後は忘れたし、今いい言葉が思い浮かばない。そして、

いつも なにか 楽しい ことが ふたりを待つのよシャンゼリゼ

で終わる。ここはほぼ正しいはずだが、少し今変えてみた。…でも、東京は東京であり、シャンゼリゼではにあ…(ない、ない、ない、と3回くらいキーを打ったが3回 にあ になったので)…おフランスのセンスが時々うらやましい。フレンチポップを探し回ったのにまったく見つからなくて落ち込んだときを思い出す。フレンチポップのいい歌は、まじで心が浮く。それに最も近づいたのがパーフリなんだべにゃー、と、俺は思う。ただし、五人の時。

祝って岩手。おしまい。まだ寝ないよ。ロックハンド。
コメント (2)
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