現在の喜入麓から車で5分ほど八幡川に沿って走ったところに旧麓(もとふもと)がある。
地名から分かるように現在の麓に移るまで領内の政治の中心がここにあった。
背後の給黎城(山城)が肝属氏の居城とされてきた。四代領主兼屋のとき現在の麓に居館が移された。
旧麓の入口にある田の神
地区内に入ると馬場が真っ直ぐ延びている
旧麓で確認した唯一の武家門。
子供の頃、旧麓に何度か遊びに行って用水路に掛る橋を渡ってこのお宅に遊びに行った記憶がある。
石柱の上に屋根が架けられている
旧麓には石柱の門が実に多い。
ほとんどの家の門に写真のような古い石柱が残されている。古い石柱の数々を見てみよう。
手前は旧麓公民館。公民館の入口に立派な石柱。奥の方に今年の干支のねずみの像が飾られていた
馬場の脇の用水路を流れる水は途中で堰き止められ、左側の用水路へ
(続く)
暑中お見舞い申し上げます。
麓の移動言い換えれば地頭館(地域の中心)の移動は、加治木肝付氏の喜入転封以後
の前住の武士団と移住の家臣団の居住地であるとか
職制(身分)であるとかいろいろな事により 麓の移動があったのではと 想像します。
封建制でも、殿様の一声で 移動ではないでしょう。
喜入の 麓と 旧麓は車の無い時代では、ある程度距離がありますから 興味深い事です。
参考)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1210351317?fr=rcmd_chie_detail
毎日暑いですね。
いつもながら貴重なコメント有難うございます。
居館を移動した理由、事情はなんだったんでしょうね。現在の麓に移動した家臣団と旧麓に残った家臣団の関係、旧領主の家臣団のその後はどうなったか、興味深いですね。
今日仕事で入来に行きました。最近武家門を新設されたらしいお宅が麓に2軒ほどありました。