標識の矢印に従って進むとかつての高城麓の風景があった
静かな時間が流れる高城麓の馬場
このあたりが地頭仮屋跡だろうか
地頭館跡の所在地は確認できず
馬場の突き当たりにある寺、光明坊
高城郷の野町跡。野町とは麓の近くに作られた商人町のこと。薩摩街道沿いにある
薩摩街道。野町跡付近
このあたりがかつて賑わっていたとは今では想像できない
妹背橋を渡ると薩摩街道は左折し、上の写真の野町跡に進む
標識の矢印に従って進むとかつての高城麓の風景があった
静かな時間が流れる高城麓の馬場
このあたりが地頭仮屋跡だろうか
地頭館跡の所在地は確認できず
馬場の突き当たりにある寺、光明坊
高城郷の野町跡。野町とは麓の近くに作られた商人町のこと。薩摩街道沿いにある
薩摩街道。野町跡付近
このあたりがかつて賑わっていたとは今では想像できない
妹背橋を渡ると薩摩街道は左折し、上の写真の野町跡に進む
野町は郷に付属する商業地域の名称で
無い郷もあったと聞きます。
貨幣経済があまり無い時代の商業地域 興味深いですね。
たいがい その後商店街に、発展しているようです。現在は いわゆる郊外化で 衰退でしょうけど。
それにしても 野町跡では、たぶん かなり前(明治
か大正の頃)に衰退したんでしょうね。
実体経済は厳しい
川内市界隈を回る機会があったのですが、麓によって状況は様々ですね。
田舎の方が武家門が残っていそうだと思うと、残っていなかったり、逆に市街地に近いが故に残っていないだろうと思っていると、ひょんに残っていたりして。
所有される方の意識の問題かも知れませんが、いずれにしろ、残すのは大変な苦労があるのだろうとはしみじみ感じます。