鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2008 高岡麓 03

2008-08-24 | 麓-綾・宮崎

前にも書いたが、高岡町の麓の景観を特徴付けるものとして独特の石垣の色合いがありそうだ。

 

高岡石を採用した石垣。鹿児島県内の山川石や加治木石とも違う産地独特の色あいがある

 

高岡郷の武家屋敷の垣は本来は竹の生垣にして、横二段に割竹で固定したもので石垣は許可されませんでした。石垣ができたのが幕末頃と言われています。その後石垣を作る屋敷が増え、竹の生垣は石垣へとかわっていきました。(現地解説板)

 

 

 

 

 

 

竹の生垣が残る地区もある

 

 

 

 

高岡町の市街地で確認した武家門の数は11。これに長屋門を入れると少なくとも12の武家門が残る。

薩摩藩113の外城の中ではよく残っているほうではないか。

高岡町の市街地を見下ろす天ヶ城公園に上る。S字に曲がるのは大淀川

急峻な坂道を車で駐車場まで上がる。山の上は広い芝生の公園になっている。

なるほど、昔の山城は造成次第でてっぺんに意外と広い土地を確保できるのだなと妙に関心した

城址には城郭を模した歴史民俗資料館が建てられている。城郭風の建物は薩摩藩外城の風景には相応しくないかも知れない。

しかし公園のシンボルとしてこれでいいのではないか。

(訪問記)

この後、綾町の麓まで足を延ばしたかったのだが(昨年訪問⇒綾町・麓)、今回は断念し、鹿児島へ戻る。



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2 コメント

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来歴 (鄙もち館主人)
2008-08-30 22:54:42
季節外れの雨模様の日々が続き
これも 地球温暖化なんでしょうかね。

高岡の町も訪れた事は ないですが
写真を 見せていただくと なかなかよろしいですね。
高岡城に いかなる歴史があるかは 知らないのですけど 歴史性を 無視して多額の金銭をかけて作っても 歴史性が無いものは いずれ 人は、その建物を 振り向かなくなると 思います。建物にとっても不幸とおもいます。
コンペでもして 広く新しい考えを 若い建築家に問えば、まだ 後世の為にはよかったのにと思います。
佐土原に 江戸初期に 天守があったかどうかは論議になっているそうですけど。他に天守閣はどうですか。
館造りにしても別におかしくないのに。

飫肥の復元法の考えが正しいと思う 私です。 
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Re:来歴 (satsumakko)
2008-08-31 08:32:53
鄙もち館主人さん おはようございます。
先日の愛知のゲリラ豪雨。地球温暖化以外の何者でもないでしょうね。ああなると人間は無力というか。

確かに歴史を無視した建物は良くないでしょうね。自分の町を城で飾り立てても意味を持たないし。宮崎の場合は、城址に天守閣を建てるのにさほど違和感がないのかも知れないですね。綾城もそうですし。

飫肥はいいですね。3年前行ったことあります。家族に少しずつ刷り込んで秋にでも行きたいと思ってます。
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