水引麓の対岸を川内川河口へ向けて少し下ったところに高江という麓集落がある
高江麓の表示のあるバス停付近の風景
県道から集落内にある峰山小へ向けて歩きました
麓内の風景。玉石垣が無造作に積み上げられその上に竹等で垣根をつくっている
案内によると1845、6年の川内川氾濫、白浜堤防決壊により白浜堤防沿いの48戸の武家屋敷は大方が今の内場・峰下方面へ転居し、今に残る内場・峰下の武家屋敷が形成された。そうすると、今に残る武家門や石垣は当時のものということになる
高江地区内で唯一確認した武家門
武家屋敷跡という表示板が角に立つ。案内板があると散策するのにいい
切石が三段に積まれた当時の石垣が生垣とともに残る。高江には石垣が実によく残っている
入来麓でみた犬槇の門が高江麓にもある
現在の峰山小学校の敷地から後方の高台にかけて、峰ヶ城があった。案内によると、南北朝時代、川南地域を支配する島津氏と川北地域を支配する渋谷氏一族との間で陣取り合戦が繰り広げられた。その後、三州統一を果たした義久へ峰ヶ城を献上したとある
峰山小付近の風景
切石を綺麗に積み上げた低い石垣の上に見事な生垣が続く
(続く)
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