土曜日から県下一周駅伝が始まった。
5日間589キロを走る。旧頴娃町の主力選手が抜けた指宿チームは頑張って欲しい。
小太郎と再会。小太郎はだいぶ大きくなっていた。日向ぼっこをする小太郎。
子供たちは小太郎が相手してくれないので公園で遊ぶ。
土曜日から県下一周駅伝が始まった。
5日間589キロを走る。旧頴娃町の主力選手が抜けた指宿チームは頑張って欲しい。
小太郎と再会。小太郎はだいぶ大きくなっていた。日向ぼっこをする小太郎。
子供たちは小太郎が相手してくれないので公園で遊ぶ。
2月5日、南九州市川辺町に春の訪れを告げる風物詩、伝統の川辺二日市にいく。
川辺二日市は江戸時代から230年続く市で、周囲の農民が藁細工や竹細工を持ち寄ったのが始まり。
6日の南日本新聞朝刊には二日間で16万人の人出が予想されると記事が出ていた。
高台の諏訪運動公園に車を駐車し、商店街へと歩いて下る。午前10時頃には満車状態。
川辺小学校の脇を下ると、いきなりこの人出。
この状態が広瀬橋のたもとから1.3kmにわたり続くからすごい。
隠れた名品、かわなべ牛も出店。かわなべ牛銘柄確立推進協議会。
お腹が空いたので子供たちは何でもよく食べる
川辺町旧役場前(地頭仮屋跡)。
川辺町商工会。色々な企画が得意。
2008年の川辺二日市ではテレビ東京の開運!なんでも鑑定団を呼んできた。
加世田の砂丘らっきょう。吹上浜の砂地で栽培。しゃきしゃきとした歯ごたえが特徴。
鹿児島産の天然椿油。
背後は光徳寺。
光徳寺向かいの瑞芳寺。
地頭仮屋跡。
中東のファーストフード、ケバブサンドって何だろう?
伝統の加世田鎌・包丁。加世田市外園金物店。
加世田鎌・包丁は鹿児島県の伝統工芸品に指定。
江戸時代、加世田郷の下級郷士が副業として鎌や包丁の製作に従事。
加世田鍛冶は450年以上の歴史をもつとされる。
地元川辺町の佐野刃物店。
有光刃物。霧島市横川から出店。
(続く)
元旦。手袋はめて雪あそび。
小さな雪だるまができた。
頭に雪をかぶせればミニカマクラのできあがり。
帰りも川辺峠はチェーン規制中。チェーンを持たない車が途中でつぎつぎと引き返す。
3台に2台は引き返す感じ。6割を越える車がチェーンなしで川辺峠を越えようと考えていた計算になる。
南国の人は雪に慣れていないというが考えてみるとおそろしい。
川辺峠(川辺トンネル)を超える。川辺トンネルはもっと下のふもとから通す予定だった。
公共事業の削減のあおりを受けて頂上近くに通されることになった。
川辺峠を下る途中で見える桜島。重吉そば近くの橋梁はいまだに道路が凍結していた。
元旦の朝は一面雪景色。
これから川辺峠を越えるため出発前にレガシーにチェーンを装着する。
ゴムチェーンはコツをつかむと10分くらいで装着できる。最後にハンドルを使って時計回りに締め上げる。
産業道路をチェーンを付けて時速30~40kmでのろのろ走るのはうちらくらい。
エスティマが後ろからついてくる。道路電子板に「伊作峠は不通」とでたが川辺峠は情報なし。
除雪が終わって普通に走れるようになったかも知れない。
川辺峠の入口、影原交差点付近にくると道路に雪が積もっていた。チェーンを着けて正解だったようだ。
エスティマも後についてくる。川辺峠を越えるようだ。車内からの撮影はいずれも長女。
まだ川辺峠のふもと付近。すごい降り積もりようだ。チェーンを持っていない車は手前で引き返させられている。
チェーン規制がしかれている。川辺峠を登れずに前日からそのままうっちゃられている車を何台か途中で見かける。
軽トラックの後を付いていく。橋梁の坂道で軽バンがスリップし道路をふさぐアクシデントがあった。
停車して軽バンの車押しに向かう。停車したタンクローリー車が後輪を空転させてずるずる斜めに後退した。
停車中のレガシーに迫ってきて一瞬恐怖を感じた。途中で止まってくれて胸をなでおろす。
もうすぐ川辺峠。先頭の除雪車の後をついていくが除雪車はここでUターン。
下り車線を除雪するのだろう。
川辺峠(川辺トンネル)をようやく越える。下りが続く。レガシーは雪道を安定して走行してくれる。
実に頼もしい。
前方に再び除雪車を見かける。後を時速5~10kmくらいのスピードでついていく。
前方にかわなべ牛の看板。全国有名ブランドの牛に引けを取らない。
レガシーの後をついて来たエスティマは途中でなぜか止まってしまった。エンストでなければよいが。
そば処「吹上庵」
ようやく到着。雪の深さは30cmくらい。じいちゃんが雪掻きに家から出てきてくれる。
子供たちは雪で遊ぶ。
エスティマはどうなったのだろう。気になってしょうがなかった。
夏休みに入って子猫タローに会いに行った。
生後3ヶ月の白猫。子供たちはこの日のために猫じゃらしを作ってきた。
さっそくタローに試す。
余りにしつこいのでテーブルの下に避難したタロー。
それでもつられて出てくるのが可愛い
なんだかんだ言っても猫は猫じゃらしが好きなようだ。
猫じゃらしに合せて二本立ち、ジャンプ、宙返りをやってのける。まるでサーカスの曲芸だ。
タローと遊べて楽しかった。
G.W.の初日、吹上浜に潮干狩りにいく。潮干狩りは何十年振りであろう。
子供の頃はひと掻きすれば粒の大きいアサリ貝が2~3個ぽろぽろっと採れてた気がする。
吹上浜のキャンプ場近くにて。キャンプ場の先の松林の中まで車で行ける。
吹上浜は目と鼻の先。2年前に鹿児島大学の自然観察教室に子供と参加。吹上浜の漂着物についてその種類と
どこから来たかを調べて、ごみ問題を考える企画だった。ハングル文字の漂着物が多かったのは意外だった。
干潮までまだ1時間ほどあるが潮干狩りを楽しむ家族連れがあちこちにいる。のんびりして気持ちのいい風景だ。
われわれも貝堀りに参加する。貝堀りしてるのか砂を掘って遊んでいるのかわからない。
持参のデジカメが突然動かなくなってしまった。レンズが本体から出てこない。レンズが本体に引っ込む時に
浜の砂が入り込んでしまったようだ。干潮の頃は人出が増えてたくさんの家族連れが潮干狩りを楽しんでいた。
みんなで収穫したアサリ貝はその日砂抜きし、翌朝の味噌汁の具に使いました。
指宿麓から宮ヶ浜港まで足を延ばしてみました。宮ヶ浜港は貿易の拠点として大いに賑わったという。
古い商家群が宮ヶ浜の国道沿いに今も残っている。
宮ヶ浜港の遠景。
宮ヶ浜港に残る石灯篭。背後は松尾城跡
約215mに亘り、石畳の防波堤がく字状に折れ曲がって続く。平成20年に国の有形文化財として登録。
江戸末期に遡る大規模石造防波堤として貴重。
JR指宿枕崎線、宮ヶ浜駅。小さな駅舎が建つ。
埋め立てる前は防波堤まで海であった。
今日の南日本新聞朝刊に鹿児島市の景観重要建造物として2つの武家門がカラー写真で掲載されていた。
一つは喜入町の牧瀬家武家門。旧麓に唯一残る武家門。喜入麓の武家門群も指定して欲しい。
もう一つは桜島の藤崎家武家門。いずれ訪れたいと思っている。
南さつま市笠沙町にある大当(おおと)集落は石垣群の里として知られる。
石を積み重ねた石垣に囲まれる集落はここも薩摩半島なのかと驚くくらい特異な景観を形成している。
湾は玉林小学校在籍中、夏の海水浴に通ったところ。
集落の下の方の石垣。大小の石が高く積み上げられている
大当の入口にあるバス停。鹿児島交通が野間半島の生活の足になっている。
集落内の石垣群を示す案内板。集落内が広範囲にわたり石垣に囲まれている。
坂を登ってみた。傾斜地に沿って家が建ち、それらを囲むように石垣が連なる。
よくここまで石を積み上げたものだと思う。それぞれの家を風雨や潮から守るように石垣が続く。
防風や防潮を目的とする石垣は愛媛県の外泊集落が有名だが、日本各地で見られる。
時間がないので車に戻ることにした。遠くに鹿児島交通のバスが見える。
子供の頃、父の車で野間半島の先端のローラン局跡まで行ってみたことがある。
細い山道をくねくねと30分くらい走ると、急に視界が開け比較的広い平地と住居跡があった。
ローラン局員の住居だったのであろう。そこから見える東シナ海は実に雄大であった。
万世(ばんせい)は万之瀬川河口の地の利を生かして海運業が発展し、多くの廻船問屋を輩出した。
上級郷士の集まる加世田麓が政治の中心なら万世は商業の中心といえる。
丁子屋。創業1735年。丁子屋は薩摩藩御用商人として大阪や琉球まで海運業を営んでいた。
醤油の製造にも早くから取り組み、現在は醤油・酢・つゆなどの製造販売を営んでいる(丁子屋ホームページより)。
丁子屋の石塀と倉。
丁子屋の道路を挟んだ向かいにも石倉?。
万世には漆喰や石の倉がまとまって残っている。倉の脇にひっそりと武家門も残る
万世の中心。国道226号線沿いにいぬまきや生垣が続き、郷士集落の名残が残る。
奥の石柱には旧字体で○○醫院(医院)と書かれた表札が嵌めてあった。
萬世町倶楽部。現大崎公民館。建物は国の登録有形文化財に指定されている。
正面に飾られたレリーフがユニーク
万世小学校の正門。古い門柱が残る。
(続く)
1月中旬に川辺峠を通って南さつま市の旧笠沙町へ。
南さつま市の万世に陸軍飛行場があった。沖縄への特攻基地として使われた。
現在は特攻平和祈念館が建っている。
背後は吹上浜海浜公園
昭和20年3月から7月まで沖縄方面へ特攻隊が出撃したとあります。
陸軍飛行場跡付近の風景
特攻平和祈念館から錫山街道(県道20号)に入る入口にコンクリート製の古い門柱を見付けた。
後で調べると陸軍飛行場の営門であった。
この日は大雪の翌々日。川辺峠だけチェーンなしで通行できました。