南城市佐敷、太平洋を見下ろせる高台にある住宅地です。字新里201番地付近の駐車場の脇に斜面に下りていく階段があります。
道路に沿って民家があるのですが、その裏手はまさに密林です。ハブの危険があるので、それなりの装備は必要です。
下草を払いながら藪の中を進むと、レンガ作りの建造物が見えてきます。これは旧日本海軍が構築した給水タンクで、かつて軍港だった中城湾に面する馬天港まで給水パイプが延びていました。建築されたのは日清戦争の頃といわれています。
一辺4m×3mほどの直方形に作られており、高さは2m50cm位あります。
一部崩壊していますが、内部はコンクリートで固められており、堅牢な作りです。
斜面の上から俯瞰します。古代遺跡の様ですね。
ほんとに驚くことばかりです。ハブに刺されないでくださいね。これからも語っていってください。戦争の傷を。重荷を背負わされっぱなしの沖縄を。私たちも、もっと考えないといけないのです。
その頃から沖縄は軍事的に重要だったんですか?
常に戦争の脅威があったんだ!
ハブの怖さを知らないです。
荒らしのヤツにハブをプレゼントw
私の資料は、埋蔵文化センターが出している戦争遺跡の本です。ただ、見取り図は書いてあるのですが、場所の特定に時間を要します。見つからないことも多々あります。
そのころから軍事拠点だったのですよ。
ちょっとの間に、応援団まで結成されたようで、しかも女性団なのでしょうか?
気になるところ。でも良かったですね。心強いです。病気も恐れをなして、退散することでしょう。
本当に宝島です。貴重な遺跡がたくさんあります。大事にしていかねばなりません。
応援団を作ったわけではありません。
てっきり稗島さんが団長かと・・・。
なんか、悲惨な地に在って、悲惨な目にいっぱいあって来たのに、それなのに、今の沖縄の人の呑気さが分かりません。
あきらめ?
元々がおおらかなの?