管理人のうちなーライフかりゆし日記

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本部・今帰仁の戦跡3 運天港の魚雷秘匿壕

2011年12月10日 | 博士の研究日記

 天然の良港である今帰仁村運天港には、1944年8月に、旧海軍蛟龍隊と第27雷艇隊が配備されました。魚雷を秘匿するため、運天港を中心に多くの壕が構築されました。
 今でも港の周辺に軍の構築壕が散在しています。

 運天港の西側、駐車場の並びに民家があり、園となりが空き地になっています。画像に見える青いドラム缶の背後のがけ下に防空壕があります。

 中央に壕が見えますが、これは避難壕です。

 内部は崩落しており、上部にわずかな隙間しかありません。この壕の右側、民家のブロック塀の裏に魚雷秘匿壕があります。

 画像左側のブロック塀と壕口のある崖とは50cmくらいの幅で、人がやっと通れるほどです。トの字型に壕が掘られ2つの壕口が確認できます。

 正面の壕口が魚雷の搬入口、右側が人の入り口であったと思われます。

  魚雷秘匿壕は縦横2mほどの正方形の断面で10mほどの深さに掘られており、補強のための杭を立てた跡が壁に残っています。内部には瓦礫が散乱しています。

 内部から外を見ると民家のブロック塀が視界を塞ぎます。当時は海岸まで見通せました。

 運天港では戦後、魚雷の解体中に暴発が起こるという事故も発生しています。

 



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4 コメント

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Unknown (☆アルファ☆)
2011-12-11 07:10:44
壕を作るのはたいへんだと思いますが、
なにかむなしい作業ですね。
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コメントありがとうございます。 (管理人)
2011-12-11 09:47:35
アルファさん、
壕の構築には多くの住民が駆り出されたようです。
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あるんですね (sangoshomotobu)
2011-12-13 15:03:51
こうして改めてみると
まだまだ残っているんですね…
近くに。
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コメントありがとうございます。 (管理人)
2011-12-14 22:18:44
sangoshomotobuさん、
ご訪問ありがとうございます。
本部から今帰仁にかけて、戦跡は多く残っています。
まだ取材しきれていないものもたくさんあります。
少しずつご紹介してまいります。
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