天然の良港である今帰仁村運天港には、1944年8月に、旧海軍蛟龍隊と第27雷艇隊が配備されました。魚雷を秘匿するため、運天港を中心に多くの壕が構築されました。
今でも港の周辺に軍の構築壕が散在しています。
運天港の西側、駐車場の並びに民家があり、園となりが空き地になっています。画像に見える青いドラム缶の背後のがけ下に防空壕があります。
中央に壕が見えますが、これは避難壕です。
内部は崩落しており、上部にわずかな隙間しかありません。この壕の右側、民家のブロック塀の裏に魚雷秘匿壕があります。
画像左側のブロック塀と壕口のある崖とは50cmくらいの幅で、人がやっと通れるほどです。トの字型に壕が掘られ2つの壕口が確認できます。
正面の壕口が魚雷の搬入口、右側が人の入り口であったと思われます。
魚雷秘匿壕は縦横2mほどの正方形の断面で10mほどの深さに掘られており、補強のための杭を立てた跡が壁に残っています。内部には瓦礫が散乱しています。
内部から外を見ると民家のブロック塀が視界を塞ぎます。当時は海岸まで見通せました。
運天港では戦後、魚雷の解体中に暴発が起こるという事故も発生しています。
なにかむなしい作業ですね。
壕の構築には多くの住民が駆り出されたようです。
まだまだ残っているんですね…
近くに。
ご訪問ありがとうございます。
本部から今帰仁にかけて、戦跡は多く残っています。
まだ取材しきれていないものもたくさんあります。
少しずつご紹介してまいります。