姫島調査旅行、無事終了しましたね。あとは、栗林さんが・・・・プレッシャーをかけるのはやめましょうね。
とくに印象に残ったのは、神仏混交が自然な形で残っていること。神仏分離令や廃仏毀釈の手がまったく及ばなかったのではないかとさえ思われます。写真の右が神道の奥津城、左が仏式のお墓だそうです。右のものは、鳥居状のものが立体的に組み立てられています。お盆には、神主と坊さんが双方(同じ家に)お払い、お参りをしに回るとか。
もう一つは、戦後しばらくまで、「良質の塩田があった。それを売りに下関、徳山、四国西岸へ船で運ぶのが普通であった。国東は、塩の販路としてはまったく価値がなかった」という話でした。こちらは、山口県の言葉に近い・・・という話にも関係するかも知れませんね。
では。
10月2日(火)、後期研究会の打ち合わせの日まで。
三年 仕切