芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

人のとなりに

2015年10月16日 | コラム
 
 古来より人の暮らしのとなりに動物たちがいた。彼等は野生であり、その中から幾つもの種が食用となり、馴致された家畜となり、経済動物となり、ペットとなった。動物たちは時に人を脅かし、時に人を癒やしてくれる存在となったのである。
 
 彼等の多くはその種を絶やしたり、ある種だけが異常に繁殖したりした。それは天変地異や気候変動や人間の営為のせいで、その生息環境が激変、多くは悪化したためである。人はその暮らしの多くを動物たちから恩恵を受けながら、自然の摂理に背き、そのバランスを狂わせてきたのである。そのため人はしっぺ返しを受ける。

 古来より、何と多くの文芸作品や芸術作品に、動物たちが登場することか。これからも、彼等が野生に暮らすにせよ人の友として暮らすにせよ、ずっと人のとなりにいて欲しいと思うのだ。彼等は弱く、逞しく、美しく、愛しい。


人のとなりに 生き物たちと自然の呼び名

2015年10月16日 | エッセイ


 日本ほど、自然現象に付けられた名前が、豊穣で多様な国はない。まさに古来より言霊の国なのである。おそらく和歌や俳句が、現象への豊かな感性を育ててきたからであろう。
 私が飽かず眺める本に、小学館の「まほろば歳時記」というシリーズがある。「雨の名前」「風の名前」などである。また角川のネイチャーシリーズに「空の名前」「宙(そら)の名前」「色の名前」等がある。
「まほろば歳時記」の簡潔で美しい文は詩人の高橋順子氏の手になり、どこか懐かしい写真は佐藤秀明氏のものである。角川の「空の名前」の写真と文は高橋健司氏である。いずれも美麗で素晴らしい。そしてどちらも書店の「短歌・俳句・詩」のコーナーに、歌集や句集、詩集と並べて置かれている。私は短歌も俳句も作らないが、これらの本はいつも傍らにあって、手にとってはその言葉を「鑑賞」している。

 生き物の名が付いた自然現象を探してみた。
「啓蟄の雨」は三月五日、六日に降り、爬虫類、両生類、昆虫類が冬眠から覚める。新潟県東蒲原郡に伝わる「蛙目隠」というのがある。農作業の始まる頃を知らせる雨の名前だそうである。子どもの頃、家の前は田圃だった。家の裏にはあるかなしかの細流が流れ、近くに鮒や蛙や亀の棲む溜池もあった。確かに蛙は雨に当たると、よく瞬きをしたり、片眼を交互につぶっていた。そのような春の雨を「万物生(ばんぶつしょう)」という。生き物たちが生き返ったように動き出すのである。
 誰もが知っている雨の名に「狐雨」「狐の嫁入り」がある。日が照っているのに狐が人を騙すようにパラパラと雨が降る。「日照雨(そばえ)」「天泣(てんきゅう)」とも言う。
 初夏の雨に「虎が雨」「虎が涙雨」というのがある。虎は猛獣のことではなく、虎御前という遊女の名前である。曽我兄弟の仇討ちの際、兄の十郎祐成が討ち死にするが、それを悲しんだ愛人の虎御前が流した涙が雨となったと伝えられている。
 降るように鳴きしきる「蝉時雨」は名高い。秋になると草むらや家の裏で「虫時雨」が聞こえたものである。「黃雀雨(こうじゃくう)」は秋の季語であるという。黄雀は雀のことらしい。佐賀に伝わる「猫毛雨」は、秋の霧雨で猫の毛のように柔らかに降る。

 春の風に「鹿の角落とし」というのがある。晴れた日中に吹く南西風で、鹿の角を吹き落とすほどの強風をいう。鹿の角は四月に落ち、初夏に新たに生えるという。鹿の角を吹き飛ばすほどの風は、春の嵐だろう。
 夏の南寄りの風で、気持ちが悪くなるほど強い湿気混じりの熱風を「羊頭風」と言うらしい。羊は南西位を差すとある。
 奥羽地方の秋風に「鮭颪(さけおろし)」がある。産卵のため鮭が川を上る頃吹く強風である。「鳩吹く風」は初秋の季語である。猟師が山鳩を獲るときに、鳩の鳴き声を両の掌で真似し、それを風が森の奥まで運ぶのである。
 大空の高みを飛翔する鷹は、吹き渡る秋風に乗る。その風を「鷹風(ようふう)」という。何か大らかで気持ちの良い風であり、気持ちの良い風景である。
 割竹を組んだ垣や柵を虎落(もがり)という。「虎落笛」は冬の冷たい強風が、竹垣や柵を笛のように鳴らすことである。虎落笛は寒々しく、荒涼たる冬景色を描き出す。

「鰯雲」が現れるのは、天気が異変する前兆らしい。この雲が現れると鰯は大漁になると言う。「鯖雲」は鯖の背の紋様に似ているから付けられたものらしい。「羊雲」はもこもこと丸く太った羊の大群にそっくりだ。「黒猪(くろっちょ・こくちょ)」は高層雲が広がった空が急変し、その下を真っ黒なちぎれ雲が奔るように飛び出し、やがて雨が降り出す。「猪の子雲」というのもあるが、積雲が乱れちぎれたもので、たまたま形が猪に似ていることから名付けられたものらしい。
「蝶蝶雲」は、ひらひらと蝶が舞うような乱れ雲で、強風の前触れだとされる。
「鰤(ぶり)起こし」は冬になって初めて鳴る雷のことである。鰤漁の始まる時期に当たる。「鱩(はたはた)起こし」もある。これも鱩の漁期を告げるのである。漁師達は雷の鳴る荒れた海へ乗り出していく。
 蜃気楼の異称に「竜王遊び」や「狐の館」がある。いかにも不思議な現象だったのだろう。

「鎌鼬(かまいたち)」と名付けられた恐ろしい旋風もある。突然発生する小さなつむじ風で、それに巻かれた瞬間に、膝から臑のあたりが鎌で切られたようにパックリと裂けるのである。
「鰊曇(にしんぐもり)」は、北海道や北日本沿岸に春を告げる曇り空のことである。
「鳥曇」は渡り鳥の雁や鴨たちが、そろそろ北へ帰る頃の曇った空をいう。その群れの飛び立つ羽音は「鳥風」と呼ばれる。
 秋に渡り鳥たちが小さな木片を咥えてやって来て、辿り着くとそれを海岸に置き、彼等が北に帰るとき、再びその木片を咥えて戻るという。彼等が渡って行った海岸に残された木片は、死んだかして帰れなかった鳥たちのものと伝えられている。そんな鳥たちの供養のために、その残された木片を集めて燃やして沸かす風呂を「雁風呂」と呼び、春の季語として使われる。鳥たちが木片を咥えて海を渡るというのは、むろん言い伝えであり、そんな事実はないという。でもいい話だと思うのだ。

 自然現象の名称を生き物に限定しなければ、もっと美しく素晴らしい呼び名が、豊穣なまでにある。日本人が伝えてきたこれらの感性は素晴らしい。しかし、地球温暖化という気候変動で、日本も温帯から亜熱帯となり、これらの言葉はやがて失われていくのかも知れない。