平太郎独白録

国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し、独自の歴史観で語ります。

薩英戦争にみる外交交渉と学習効果。

2007年03月31日 | 歴史的教訓
親愛なるアッティクスへ

おはようゴンザレス。
私は学びました。
日本酒を二人で一升以上飲むと記憶がなくなる・・・ということを。

はい、昨日は、島原雑煮食って、ホテル日航のバーに行ったところまでは記憶があるのですが、気がつくと、某所にて転がっておりました。
べろんべろんです。

で、今日は何の日か?
41年間続いた博多駅のターミナルデパート、博多井筒屋閉店日なんですね。
で、行ってきました。
私としては、5歳の時から、目の前にあったわけですから、それなりに思い入れはあります。
昔はコンビニなんてなかったですから、日曜はオフィス街「死の町」でしたので、何かあると、買い物は井筒屋に行かなければなりませんでした。



(↑大昔の写真だそうです。最終日ということで飾ってありました。まだ、市内電車が写ってますね・・・。確か、昭和48年と書いてあったような・・・。何せ、脳みそ働いてませんから。)

で、以前、昭和46年放送の「天皇の世紀」という幕末モノのテレビを見ました。
私もケーブルテレビで、初めてその存在を知りましたが、ドラマと言うには、かなり、実証的なノンフィクションに近いやつでした。
今回は薩英戦争のところでしたが、ああいうのを見て、血が騒がなかったら男子に非ずですね。
(女性の皆さん、失礼!見なかったことに!(笑)。)

負けたはずの薩摩側代表団が、世界に冠たる外交上手大英帝国を和平交渉でアフアフ言わせるのは痛快でしたよ!
イギリス側もそれまでの「善処します。」ばかりのあやふやな幕府役人とはまったく違う、言いたいことは言うし、何だったらもう一戦やるか!の気迫にタジタジになりながらも、逆にこんな卑屈でないアジア人がいるということに、新鮮な驚きを隠さない。
さらに、そんな態度を取りながら、薩摩側は一転、賠償金の支払いに応じると言いだし、「?!」と思っているイギリス側に「ただし!条件がある!」って、世界に君臨する大英帝国相手に極東の小国の一公国条件をつけるって・・・。
で、その条件とは「薩英戦争のときの主力艦クラスの軍艦を買いたい。」って、それを聞いたときのイギリス側は目が白黒してましたよ!
まさに、「愉快痛快奇々怪々」でした。
で、最後にイギリス側が「あなた方はそんな最新鋭の軍艦を購入して一体どうするつもりなんですか?」と聞いたら、薩摩代表はしれーっと、「そりゃあ、もう一度、イギリスと戦争するつもりでごわす。」と答えて、これには海千山千のイギリス側代表団も思わず吹き出して、「しぇいくはんど」でごわした。
薩摩藩、恐るべし!
こんな和平交渉できる日本人がいたなんて・・・。
「東シナ海ガス田」交渉も、もう少し、がんばって欲しい物です。

いやあ、年甲斐もなく、血が騒いでしまいました。

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