親愛なるアッティクスへ
今、WOWWOWで、「ROME」(ローマ)というドラマ(?)をやっている。
ローマとは、言うまでもなく、古代ローマのことで、ユリウス=カエサルや、オクタビアヌス、クレオパトラの時代を舞台に、毎週二話、2時間にわたって放送されているのだが、なかなかに見応えがある番組で、大いに気に入っている。
特に、驚くべきは、その舞台設定だ。
これは、本来、史実に表れてこないローマの姿そのものが、忠実に再現されており、そこに出てくる人々は良い意味でも悪い意味でも、実際にそこに生きていた人として、活き活きと描かれている。
主人公は、カエサルでも、オクタビアヌスでもなく、一介のローマ軍兵士二人であり、彼らの生涯と視点を軸に、英雄たちと絡ませることにより、一層、当時のローマという物を等身大で描き出すことに成功したように思える。
史実としては、多少、面白おかしく作ってある部分もあり、また、本来、架空の主人公の兵士二人を含む登場人物の色づけなどには不要論を唱える私も、むしろ、これを切り離してみることこそがフィクションであるかのように思え、見応えという点では、実際のローマかくありし・・・と思わざるを得ないほどの仕上がりである。
街には、ローマ人ばかりではなく、ユダヤ人、マウリタニア人、ゲルマン人、ケルト人、ギリシャ人、エジプト人、ペルシャ人などが、普通に、各々の民族衣装のままで溢れており、この都市が、雑多な人種の集合体であったことがわかるだろう。
ローマのマフィア同士の抗争など、史実にはどこにも出てこない話であろうが、その凄惨ぶりは目を覆わんばかりで、実際のローマかくありき・・・と思わせられる一場面でもある。
さらに、ローマの女同士の争いもまた、上流社会も日本の大奥の比ではなく、売春婦のそれも、「陽暉楼」や「吉原炎上」の比ではなく、とにかく、人間の値段が限りなく安価であることに驚かされる。
思えば、キリスト教的価値観が浸透する前であり、そこには「貞操観念」、「同性愛」、「拷問」、「人権」・・・・、即ち、「理論上考えられること」は何でもありの世界なのである。
この点は、いくら、古代のギリシャ・ローマに「民主主義の原型」を求めようとも、そこにあるのは、まごうことなき古代国家であり、しょせん、古代社会は古代社会だな・・という感を強くする。
一部、R-15指定になるのもやむを得ないといえよう。
で、先日、塩野七生女史の大作、「ローマ人の物語」の最終巻を、ようやく、読み終えた。
この点で、故司馬遼太郎氏は、あまりにも良い仕事をしすぎたがゆえに、その裏表としての「功罪」を生じさせた・・・。
即ち、あまりにも良い仕事をしすぎたがゆえに、多くの人が、そこに書いてあることが史実であると思いこんでしまった・・・、つまり、司馬史観というフィルターを通して見てしまっていることである。
そして、その点で、塩野女史もまた、然りであろうか。
明日に続く・・・。
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今、WOWWOWで、「ROME」(ローマ)というドラマ(?)をやっている。
ローマとは、言うまでもなく、古代ローマのことで、ユリウス=カエサルや、オクタビアヌス、クレオパトラの時代を舞台に、毎週二話、2時間にわたって放送されているのだが、なかなかに見応えがある番組で、大いに気に入っている。
特に、驚くべきは、その舞台設定だ。
これは、本来、史実に表れてこないローマの姿そのものが、忠実に再現されており、そこに出てくる人々は良い意味でも悪い意味でも、実際にそこに生きていた人として、活き活きと描かれている。
主人公は、カエサルでも、オクタビアヌスでもなく、一介のローマ軍兵士二人であり、彼らの生涯と視点を軸に、英雄たちと絡ませることにより、一層、当時のローマという物を等身大で描き出すことに成功したように思える。
史実としては、多少、面白おかしく作ってある部分もあり、また、本来、架空の主人公の兵士二人を含む登場人物の色づけなどには不要論を唱える私も、むしろ、これを切り離してみることこそがフィクションであるかのように思え、見応えという点では、実際のローマかくありし・・・と思わざるを得ないほどの仕上がりである。
街には、ローマ人ばかりではなく、ユダヤ人、マウリタニア人、ゲルマン人、ケルト人、ギリシャ人、エジプト人、ペルシャ人などが、普通に、各々の民族衣装のままで溢れており、この都市が、雑多な人種の集合体であったことがわかるだろう。
ローマのマフィア同士の抗争など、史実にはどこにも出てこない話であろうが、その凄惨ぶりは目を覆わんばかりで、実際のローマかくありき・・・と思わせられる一場面でもある。
さらに、ローマの女同士の争いもまた、上流社会も日本の大奥の比ではなく、売春婦のそれも、「陽暉楼」や「吉原炎上」の比ではなく、とにかく、人間の値段が限りなく安価であることに驚かされる。
思えば、キリスト教的価値観が浸透する前であり、そこには「貞操観念」、「同性愛」、「拷問」、「人権」・・・・、即ち、「理論上考えられること」は何でもありの世界なのである。
この点は、いくら、古代のギリシャ・ローマに「民主主義の原型」を求めようとも、そこにあるのは、まごうことなき古代国家であり、しょせん、古代社会は古代社会だな・・という感を強くする。
一部、R-15指定になるのもやむを得ないといえよう。
で、先日、塩野七生女史の大作、「ローマ人の物語」の最終巻を、ようやく、読み終えた。
この点で、故司馬遼太郎氏は、あまりにも良い仕事をしすぎたがゆえに、その裏表としての「功罪」を生じさせた・・・。
即ち、あまりにも良い仕事をしすぎたがゆえに、多くの人が、そこに書いてあることが史実であると思いこんでしまった・・・、つまり、司馬史観というフィルターを通して見てしまっていることである。
そして、その点で、塩野女史もまた、然りであろうか。
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