僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

グラビアアイドルの芸能界への執着

2020-06-05 11:25:30 | 日記
 小倉優子と入れ替わる形で僕のオナペットになったのは、今でも芸能活動を続けている磯山さやかだった。二作目の写真集「SOFT」(二〇〇二年二月発売)の表紙で強調された磯山の胸の大きさに、僕の下半身は瞬く間に熱くなってしまい、それを買わずにはいられなくなった。小倉やお菓子系に代表されるように、僕は十八歳未満なら胸が小さくても十分堪能させてもらうが、磯山は巨乳も兼ね備えている稀有な存在ゆえに、小倉を蔑ろにするのも時間の問題だった。

 〇二年から〇七年までの六年間、「オナニーを科学する」というスローガンで毎日の自慰回数を記録してきた。誰を素材に用いて何回したのか。銀行の粗品のメモパッドに、素材の名字と自慰のたびに「正」の字を書き込んだ。各年の記録と思い出は追々紹介していくとして、〇二年の最多回数は磯山の四十九回だった。「SOFT」から三作目の「Nectarine」発売までの間隔が短く、しかも一作目の「Pri Pri-17」も買い足したので、この年の上半期は磯山の独壇場だった。

 その後、磯山はグラビアアイドルの経歴を重ねながら、メジャータレントとして成り上がっていく。僕は彼女に対して興味が薄れ、再びまだ知名度の低いオナペットを探すのだが、彼女と小倉が同級生なのをつい最近知った。小倉のほうが年上だと思っていたが、同じ一九八三年生まれだ。ともに出発点は同じだが、その後の芸能界での立ち居振る舞いはまったく異なる。結婚、出産を経て料理本も出すなど「意識高い」系ママタレの小倉と、野球好きで志村けんに気に入られ、女優業にも挑もうとする磯山。どちらも芸能界で生き残っていくうえでのアピールだが、彼女たちの息の長い芸能活動を素直に感心するか、堅気に戻りたくても戻れないほど肥大化してしまった自己顕示欲と芸能界への執着にあきれてしまうか、若い頃の彼女たちに幾度となく世話になった僕は、複雑な気持ちでいっぱいだ。

 同年代の同性からも支持を集めようとする小倉に対し、磯山は大物タレントに取り入って仕事をもらう。ともにグラビアアイドルとして人気を博したが、やはり「グラビア」という冠は、ほかの芸能人から下に見られているのだろうか。水着姿になればちやほやしてくれた過去の気楽さはもう通用せず、なりふり構わずに仕事をもらおうとする貪欲さが垣間見える。それなら堅気に戻ればいいのだが、ファンにちやほやされ続けたい欲望は果てないのだろう。

 僕が世話になったオナペットの多くは、すでに芸能界から去っているか、芸能界に片足を突っ込んだだけで消息不明になっている。あえてメジャーになりそうもない素材ばかりを選んでいたのかもしれないが、小倉と磯山は僕のマイナー志向に反し、今でも地上波の番組に顔を出している。しかし、ママタレにしろ女優にしろ、その道のプロには歯が立たないのは明らかで、あまり無理をせずに身の丈に合った行き方を選んだほうがいいのでは、と十八年前に散々射精を手助けしてもらった身としては偉そうな苦言か。




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