僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

一九九〇年代の自慰用素材回顧録

2022-10-31 13:11:17 | 日記
 一九九九年の児童ポルノ法施行は、中小出版社が地道に育ててきた少女ヌード写真集を市場から追放したものの、十八歳未満のグラビアアイドルの商業作品に対しては何の規制もなかったために、施行前以上に数多くの写真集やイメージビデオ(IV)が市場に出回った。「アイドル=歌手」から「アイドル=水着仕事」へと、器量とスタイルさえよければ誰でもデビューできるようになり、出版社もプロダクションも次々と新人をデビューさせていった。

 九〇年代と〇〇年代以降、つまり児ポ法施行前と施行後の商業作品のコンテンツを比較すると、施行後のほうが実用性に勝るのは言うまでもない。水着の布面積は小さくなって肌の露出が顕著になり、かつては胸の谷間や水着越しに伝わる立体感だけでも性的興奮を得られたが、施行後の作品は高校生世代でも横乳や下乳が堪能できるほど、ストレートでわかりやすいポージングばかりで、僕もやりすぎではないかと多少の訝しさはあっても、九〇年代の作品が陳腐に思えるほど当時の作風にすっかり毒されてしまった。

 九〇年代の自慰用素材は、前半がアダルトビデオ、後半は「お菓子系」雑誌がメーンで、当時は親からの仕送りに頼っていたので写真集を買う経済的余裕はなかった。高校卒業直後に新島弥生の「楽園をさがして」を買ったのが初めてで、次に買ったのはおそらく加藤紀子の「紀子図鑑」だったと思う。メジャーアイドルの作品に手を出したのは、当時の僕がまだ極端なマイナー志向に走っていなかったことの表れだ。

 〇〇年代の作品に比べれば、加藤の水着姿は控えめで、それこそ「殊更に性的な部位が露出され又は強調されて」いないものの、当時の僕は肩ひものないビキニブラから覗える胸の谷間とワンピース越しに伝わる胸の立体感に性的想像力を膨らませ、射精に導かせたものだ。今では〇〇年代の写真集ですら自慰用素材になり得ないのだから、IVの影響などで僕の性的想像力は約三十年間ですっかり衰えている。

 そのほか、この年(九三年)に買った作品として、木内あきらの「SINCERITY」を挙げておく。木内はグラビアアイドルになるべくしてなったようなスタイルの持ち主ですでに大人気だった雛形あきこに比べて大人びた佇まいが僕の下半身を熱くさせた。ヤフオク!に出品されている当該作品のサンプル写真を見ると、滝ありさに顔つきも体つきも似ていて、こういう風貌が僕の劣情をいたく掻き立てるのだろう。

 また、木内と似たような体躯の素材として桂木亜沙美が挙げられ、一作目の写真集「Neptune」を買ったことも思い出した。木内も桂木も滝も芸能人として大成したとは言いがたいが、僕を含む男性諸氏の性欲処理に貢献したのは間違いなく、たとえ水着の仕事だけであっても、今でもその作品がネットオークションで出品され、売買的価値を持ち続けているのは立派なことだと思う。

性的コンテンツの市場拡大による性的格差

2022-10-26 13:14:28 | 日記
 コロナ禍の手慰みとして書き綴ってきたこのブログも、今回で百回目の投稿になる。一人の中年男の自慰遍歴という何の公益性もない内容を、ポータルサイトのサービスを通じて恥ずかしげもなく発信してきたが、これこそインターネットのなせる技であろう。もちろん、書いた記事に対する責任を負うのは言うまでもなく、不確かな情報や嘘を書いたり、自分を大きく見せかけたりすることなく、ありのままの経験を綴っている。

 僕の人生において、思春期に「平成」という元号が始まり、中年期にその時代は幕を閉じた。約三十年間、僕は写真集やイメージビデオ(IV)、雑誌のグラビア、アダルトビデオ(AV)などを用いて自慰をし続け、下半身に湧いてくる性欲を発散してきた。自慰による射精回数が性交のそれを大きく上回っており、おそらく生涯を通じて逆転することはないだろう。それだけ僕は適当な女性に縁がなく、また見つけようともしなかった。

 正確な記録はないが、平成期で自慰回数が最も多かった媒体は写真集で、次がIVだろう。それらを発表したグラビアアイドルの多くは、すでに芸能界を去っている。彼女たちは器量とスタイルのよさを売りに、自慰よりも性交のほうが射精回数の多い男性と結婚し、幸せな家庭を築いているだろう。引退後の動向をSNSなどで一切発信しないのは、ストーカー被害を避けるためなのかもしれないが、僕のような媒体でお世話になった消費者への思いやりもあるのだと善意に解釈している。

 平成期の象徴的な社会現象の一つに生涯未婚率の上昇が挙げられるが、その理由は出会いのなさや経済的事情のほかに、性的コンテンツの市場拡大も含まれているのではないか。グラビアアイドルというサブカテゴリーが確立され、それらの商業作品が増加の一途を辿ったのは二〇〇〇年以降だ。AVもビデオテープからDVDやネット配信への移行で低価格化が進み、疑似本番を排してリアリティを追求するようになった。安価で性欲を満たせる商品やサービスが巷に溢れた結果、異性との現実的な交際や結婚へのバイタリティを削いでしまったのではないか。

 僕と同年代で、結婚して家庭を築いている男性諸氏のほとんどは、人生において自慰よりも性交のほうが射精回数が多いはずだ。二十代で結婚して今も夫婦円満ならなおさらだ。子作りに励み、妻との性生活を続けるのもいれば、それに飽き足らず愛人を囲ったり、不倫に精を出したりする性的強者もいる。一方で、性欲が最も旺盛だった二十代後半から三十代前半の間、ひたすら自慰だけで過ごしてきた僕のような性的弱者もいる。性的コンテンツの市場拡大は、人生において自慰と性交のどちらが射精回数が多いかという性的格差を引き起こしてしまった。

 また、性的コンテンツに携わる芸能プロダクションや出版社のスタッフも性的強者のはずで、それゆえにあらゆる商業作品が僕の性的欲求を満たしてくれたわけではなく、はずれをつかまされたことも少なくない。しかし、僕は性的強者によって作られた写真集やIVに依存せざるを得なかった。搾取とまではいかないが、性的弱者の僕は彼らのおこぼれに与り続けてきたような気がする。

人生初の成年コミック

2022-10-23 12:27:48 | 日記
 平成時代の自慰用素材を振り返ると、高校生世代のグラビアアイドルの写真集とイメージビデオへの依存度が圧倒的に高いので、アダルトビデオ(AV)や成人向け漫画について詳しく綴ることができない。AVは学生時代によくお世話になったが、「お菓子系」との邂逅で徐々に性的興味を失い、二〇〇〇年以降に活躍した女優の名前は耳にすることはあるものの、それらの作品を一度も見たことがない。

 成人向け漫画は、高校一年の時に同じクラスの男子学生から「ANGEL」の単行本を借りて、その露骨な性描写に激しく興奮したものだが、自分からそれを買おうとは思わなかった。その後も「漫画エロトピア」の掲載作品や「ヤングアニマル」に今でも掲載中の「ふたりエッチ」で性的想像力を働かせたこともあったが、どれも複数回用いるには違和感があり、写真集の箸休めにすぎなかった。

 それでも、僕の人生で最初に買った成人コミックのタイトルと内容は、今でもはっきりと覚えている。八八年初版の「いけないエチュード」という作品で、僕はそれを中学二年か三年だった頃に近所の書店で買った。外見が老けていたからなのか、それとも売り上げが欲しいために書店員が売ってくれたのか、三十年以上経った今でもよくわからない。当時は成年コミックの表示がなかったが、大手出版社の単行本と隔てる形でレジ近くに置かれていた。

 どの作品も立ち読み防止のポリエチレンで包装されているので、表紙と裏表紙だけで自慰用素材にかなうかどうか判断するしかない。「いけないエチュード」は主人公と思しき少女の水着姿が表紙に、セーラー服姿が裏表紙にそれぞれ描かれていた。性的嗜好は昔も今も変わりはない。同作品は短編六本と長編一本が収録されていて、表題作の長編「潮風のエチュード」の性描写に、中坊の僕は性興奮することしきりだった。

 あらすじを簡単に綴ると、歌手デビューが決まった主人公の女子高校生が同じクラブの先輩と海辺の別荘で初体験を済ます。その後、レコード会社か芸能プロダクションに出向くのだが、そこで複数の男たちに輪姦され、ビデオまで撮らされる。万事休すかと思いきや、突然一人の男が現れて彼らの狼藉を収録したテープを渡され、最後は何事もなくデビューを果たすことになる。

 まるでケータイ小説のような急展開の御都合主義だが、当時の僕は主人公が浴室で先輩と前戯から性交に至る十ページほどの描写に何とも言えぬ生々しさを感じ、受験勉強と部活動の合間を縫って自慰にいそしんだ。とにかく先輩の前戯がいやらしく、ペニスをしごかせたり、主人公の名を連呼しながら乳房に吸いついたりと、今でも強く印象に残っている。性交のシーンでは、性器のディテールが描けない代わりに陰茎が膣内に挿入される女性の下腹部の断面図が描かれ、読者に性的想像力を喚起させようとする作者の意図が感じ取れた。

 版元の司書房は、成人雑誌では名の知れた存在だったようだが、出版不況のあおりを受けてなのか、〇七年に破産。作者のGEN小笠原も「いけないエチュード」以外の発表作が検索できず、同作品ももはや知る人ぞ知る作品としてここに書き留めておきたい。

児童ポルノ法と商業作品~後編~

2022-10-19 18:49:12 | 日記
 児童ポルノ法の施行から改正に至るまでの約十五年間は、皮肉にも日本の出版史において十八歳未満のグラビアアイドルの商業作品が最も多く発表され、当時二、三十代で性欲が旺盛だった僕もそれらのお世話になった。少女ヌードの愛好者には同法施行がゲームセットだったにちがいないが、裸よりも水着姿に激しい性的興奮を覚える僕にとって、結婚適齢期を逃しても決して後悔することのないほど恵まれた時代だった。

 法改正によって、児童ポルノの商業作品は新作が発表されなくなったものの、改正前の作品は古書店に行けば手に入るし、インターネット上でも視聴できる。少女ヌード写真集は国会図書館でも閲覧できなくなったようだが、グラビアアイドルの写真集やイメージビデオはそこまで締めつけられていないから、ネットオークションでも普通に出品され、今もなお売買的価値を持ち続けている。

 僕もそうだが、国内外の児童ポルノ愛好者は、児ポ法施行から改正までの約十五年間に発表された作品に執着し続けているのではないだろうか。愛好者と一口に言っても、ジュニアアイドルの過度な露出を好む者もいれば、僕のように高校生世代のスクール水着姿で満足してしまう者もいる。愛好者の性的嗜好はそれぞれ異なるのに、法律はそうした多様性を一切考慮に入れず、十八歳未満と一括りにして「殊更に性的な部位が露出され又は強調されている」の一文が追加され、出版社と芸能プロダクションも新作の発表に及び腰になってしまった。

 新作の写真集やイメージビデオが発表されないことは、かえって過去の作品が過大評価され、いつまでも需要に応じて拡散されていく。それが果たして健全と言えるのか。女優やタレントになる夢が叶わず、すでに芸能界から足を洗っている元グラビアアイドルにとって、自らの少女時代の仕事が動画サイトに勝手にアップロードされ、卑猥な書き込みが綴られていることは嫌でたまらないだろう。新作が間断なく発表されれば、新陳代謝によって旧作の知名度と執着度が低くなり、やがて忘れ去られていくにもかかわらず、今はそれがないから旧作の過大評価が続いている。

 また、法改正にもかかわらず、玉田志織や沢口愛華、南みゆかのように大手の出版社と芸能プロダクションが十八歳未満の少女に水着の仕事をさせ、あまつさえ写真集も発表しているのに、所管官庁や人権団体から何の指摘もなく見逃されたのは何とも不思議で、それならカテゴリーリーダーの彩文館出版も摘発を恐れずに追随してみてはどうだろうか、と言いたくもなる。

 繰り返しになるが、児ポ法施行から改正までの約十五年間で、日本は児童ポルノ大国となり、その間に発表された数多の作品が今日でも売買的価値を持ち続けている。外国人旅行者の中には、児童ポルノの作品収集が訪日目的なのもいるはずで、それならいっそ児ポ法の厳密化を見直して再び新作を発表する市場環境のほうが経済効果も上がるのではないか。それもまたクールジャパンの構成要素の一つなのだから。

児童ポルノ法と商業作品~前編~

2022-10-16 11:44:37 | 日記
 二〇一四年の児童ポルノ法改正に伴い、十八歳未満のグラビアアイドルの商業作品、いわゆる3号ポルノはめっきり発売されなくなった。動画配信大手のDMM.comも改正前に発表された作品の販売を見合わせており、かつてはそれらを収益の柱にしていた出版社や芸能プロダクションは、国の法改正に抗うことなく、自ら育ててきた市場をいとも簡単に切り捨て、“合法ロリ”などとごまかして十八歳以上の何の性的リアリティもない作品を発表し続けている。

 児ポ法厳密化の要因は、〇〇年代から顕著になった低年齢化、いわゆるジュニアアイドルの商業作品の増加で、小中学生に布面積の小さい衣装を着させ、それがインターネットを通じて日本だけでなく、海外にも広く知られるようになった。高校生世代についてもグラビアアイドルというサブカテゴリーの確立によってプロダクション間の競合が激化し、「殊更に性的な部位が露出され又は強調されている」作品が増えていき、監督官庁や人権団体に目をつけられてしまった。


 そもそも、児ポ法は海外への児童ポルノ流出と、当時社会問題化していた援助交際を防止するために、九九年に施行された。それによって、僕が愛読していた「クリーム」などのお菓子系雑誌の掲載モデルは十八歳以上に限定され、コンテンツとしての魅力を失った。英知出版の「すッぴん」のように成人雑誌に様変わりしたあげく、休刊に追い込まれたのもあるが、どういうわけか〇〇年代になって十八歳未満の商業作品は雑誌の域に留まらず、写真集やイメージビデオ(IV)へと市場規模がどんどん広がっていった。

 法施行の本来の目的だった児童ポルノの海外流出は、ネットの普及により防ぐどころか際限なく広がっている。写真集とIVの総出版数は、施行前に比べて施行後から改正までの約十五年間のほうがはるかに多いはずで、それらが今日でもネットで手に入る。たとえ新作が発表されなくても、改正前の作品のほうが性的な部位の露出度が高いのだから、愛好者はそれらを楽しめば事足りる。また、援助交際は「パパ活」に名が変わっただけで、何の防止効果も見られない。

 児ポ法施行当時、僕は十八歳未満の少女の水着姿を掲載した出版物がなくなってしまうのでは、と本気で危惧し、それならそれでしょうがないと、十八歳以上のグラビアアイドルも自慰の対象とみなした。高校生世代を素材に用いたくなったら、神保町の荒魂書店で定価の四、五倍もする「クリーム」のバックナンバーを買った。しかし、そんな不自由は半年も続かず、漫画誌の巻頭グラビアを飾った当時十六歳の宮地真緒の水着姿でお世話になり、翌年には小倉優子がデビュー作の写真集を発表してくれた。


 法施行によって息の根が止められたのは、中小出版社が手がけていた少女ヌード写真集で、水着を含む着衣の作品はかえって増加の一途を辿った。それらは雑誌や写真集といった紙媒体から、ネット上で簡単にダウンロードできる映像媒体に替わり、改正前の作品を販売する怪しげな国内外のサイトが存在するなど、今もなお商業的価値を持ち続けている。商業作品と援助交際にかぎっては、児ポ法は何の防止効果も果たしていなかったのである。