僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

垢抜けたら興味なし

2020-07-25 16:24:02 | 日記
 僕が初めて矢吹春奈(阿部真理)を知ったのは、一作目の写真集「春夏」を発表した二〇〇二年秋に遡る。僕の自慰素材は基本的に十五歳から十八歳までの女性なので、当時十七歳の矢吹は僕の性的興奮を高めてくれるには絶好の対象で、「春夏」も古書店に出さずに長い間保管していたのを覚えている。

 「完売クイーン」などと男性誌でしきりにもてはやされた矢吹のグラビアにはまったく興味はなく、僕はもっぱら「春夏」で自慰に勤しんだ。不器用な作り笑いと垢抜けていない表情に対して、成熟した肢体というアンバランスに僕はすっかり魅了され、自慰の回数は増えていった。水着姿も過度な露出はなく、非常にシンプルな構成だったが、その分僕の性的想像力は働いた。

 「春夏」で矢吹の虜になった僕は、当然次の作品を期待していたが、翌年の男性誌のグラビアでの垢抜けぶりに少なからぬショックを受け、以降の彼女のグラビアには目もくれず、もっぱら「春夏」を素材に用いた。それ以前のオナペットだった小倉優子や磯山さやか、福愛美は二作目、三作目の写真集にも手を伸ばし、前作と違和感なく楽しませてもらったが、矢吹については一作目のみだ。しかし、矢吹の人気が上がったのは〇三年以降だから、僕の彼女に対する要求度は、世間のそれとは異なるといっても過言ではない。

 僕は矢吹に対して「お菓子系」のような素人っぽさを過度に期待していたが、彼女はすでに芸能プロダクションに所属していたようで、十八歳を過ぎたら大人のグラビアアイドルとして各種媒体に売り込みを図り、芸能界でそれなりに名が知られるようになった。「春夏」しか知らなかった僕は、その後の矢吹のグラビアに接した際、本当に同一人物なのかと疑うほど、彼女の扇情的な表情に違和感を抱くことしきりだった。

 もっとも、「春夏」で十七歳らしからぬ性的興奮をそそる肢体を披露していたのだから、それに扇情的な表情が加われば世の男性たちを魅了させるのに時間はかからない。僕は性的興味を持たなかったが、それは性癖が偏っているからで、世間は矢吹のグラビアを支持した。「お菓子系」モデルのように短期間でフェードアウトせず、ドラマの端役をもらえるほど芸能活動が続けられたのも、グラビアの賜物といっていいのかもしれない。

 ただ、「春夏」のイメージが強すぎる僕にとって、人気が出た後の矢吹に何の劣情も抱かなくなったのは事実で、今までお世話になってきた幾多の素材の中で最もその変化のギャップを抱え続けている。後年になって、富樫あずさという当時十五歳の素材が矢吹のように急速に垢抜けてしまい、自慰の手を止めたのを覚えているが、消費者(僕)の要求と制作側の意図が異なるのはよくあることだから仕方ない。

 前年は小倉の“一強”だった僕のオナペットも、この年は磯山、福、矢吹と良質な素材が現れ、僕の自慰を捗らせてくれた。さらにこの年の暮れから翌年春にかけて、十八歳未満にもかかわらず完成された肢体を持つグラビアアイドルが相次いで写真集を発表する。性欲旺盛だった二十八歳の僕は、右肩上がりで自慰の回数を増やしていくことになる。



「お菓子系」の出世頭

2020-07-21 16:32:02 | 日記
 一九九九年の児童ポルノ法施行以来、僕は「お菓子系」とすっかり距離を置いていたが、十八歳以下のモデルがまたぞろ誌面を賑わせているのを嗅ぎつけると、セルビデオ店での「クリーム」の立ち読みが欠かせなくなった。その中で、二〇〇二年から〇三年にかけて三作品の写真集を発表した福愛美は、磯山さやかに替わって僕の股間を幾度となく熱くさせてくれたオナペットの一人だ。

 当時の「お菓子系」はまだ着エロを指向せず、体操服とスクール水着、布面積の広いビキニというクラシカルな演出でも、読者を十分楽しませていた。スクール水着が学校という限定的で閉鎖的な空間でしか見られず、すでに学校社会とは疎遠になった僕の性的想像力を働かせるうえで、福のグラビアはこの上ない素材だった。福は胸が大きいわけでもなく、そこら辺にいそうな女子高校生の佇まいだったが、マイナー志向の僕はそんな少女が水着姿になってくれるだけで性欲の発散を捗らせた。

 ほとんどの「お菓子系」モデルが写真集を発表しても、一作品かぎりでその後の芸能活動が尻切れトンボで終わってしまう中、福は三作品も発表するほど人気が高かった。一作目の「MANAMIX‐少女≦大人」は、安価な綴じ方を採用しているせいか、重しなどの力を加えないと見開きができず、またそれを繰り返すにつれてページの糊が剝がれて一部が本体から分離してしまい、使い飽きても古書店に出せず処分してしまった。

 二作目の「ふくがきた。」は、会社から出先に向かう書店(神保町の書泉ブックタワーだったか)で購入し、ビジネスバッグにそれを忍ばせたまま出先で何食わぬ顔で仕事をこなし、直帰してすぐに自慰に勤しんだ記憶がある。三作目の「愛美とドコマデモ」と合わせた自慰の回数は磯山を大きく上回り、僕の二十代後半の性欲発散における重要人物の一人だったことに間違いない。

 三作目の発表以降、福のグラビア活動は写真集からDVDへと軸足を移すが、僕の自慰方法は枕の隆起と隆起の間にオナホールを挟んで腰を振り射精に導くというワンパターンだったので、ベッド以外での自慰(手淫)という選択肢はなかった。また、〇二年から〇三年にかけては福以外にも僕の股間を熱くさせてくれる良質の素材が揃っていたため、わざわざ彼女の映像作品を買おうとは思わなかった。

 福は少年誌のオーディションで準グランプリを獲得し、芸能プロダクションにも所属していたので、大半の「お菓子系」モデルと違って十八歳以降も芸能活動を続けていたようだが、特に目立った業績もなく、幼馴染み(とされる)沢尻エリカに大きく水をあけられてしまった。直近の肩書きは「セラピスト&美容サロン副代表」と、芸能界に片足を突っ込んだだけの女性が辿り着く典型的なパターンだ。沢尻のような演技力と芸能界での処世術が備わっていれば、福も彼女に近づけたのかもしれないが、僕を含めて偏った性癖を持つ男性の性的対象から脱しきれなかった。しかし、それは「お菓子系」モデルのほとんどがそうであったのだから、写真集を三作品も出せた分、十代後半の福は輝いていたし、僕も堪能させてもらった。何せ十五、六歳の少女がスクール水着姿のグラビアを発表するのは、今日ではもう絶対に不可能なのだから。