僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

DVDからダウンロードへ

2021-04-23 10:22:23 | 日記
 二〇〇八年以降、僕は経済的余裕のなさで新品のイメージビデオ(IV)をほとんど買わなくなった。一二年七月に大竹愛子の「哀愁シネマ」を買ったのが最後だ。僕は大竹のデビュー作「NEW KISS」が欲しかったが、発売当時は生活に窮していたため手を出せなかった。六作目となる「哀愁シネマ」は、プロとしてすっかり性的露出に慣れてしまい、何の恥じらいも感じられない大竹の演技に、僕は激しく落胆したと同時に、やはりデビュー作を買っておけばよかったとほぞを噛んだ。

 DMM.com(以下DMM)がグラビアアイドルの動画配信を行っているのを知ったのはその年で、写真集からIVへとシフトし始めた〇五年と同様、僕の自慰用素材が記録媒体から動画配信に替わる節目の年だった。旧作なら約千円で買える安さと、運営会社が経営破綻さえしなければ無期限でダウンロードを繰り返せる便利さに、四千円近くもするIVをわざわざ買う必要はなくなった。買い替えたノートパソコンがディスクドライブ非搭載だったのも、DVDからダウンロードへの移行を急がせた。

 一二年九月、アカウント登録して初めて購入したのが、りょうかの「Angel Kiss ~初めての夏~」だ。りょうかはお菓子系の雰囲気を醸し出した美少女で、僕はその作品のサンプル画像だけで射精してしまうほど、彼女の虜となった。体操着の上下をたくし上げ、ビキニを露出するジャケット写真に興奮しないはずがなく、僕はそのチャプターとピンクのワンピース水着のチャプターで昂る性欲を発散した。もし三十歳前後にりょうかと邂逅できたなら、週末は一日四、五回自慰にいそしんでいただろう。

 十五歳でデビューしたりょうかは、人工的で不自然に垢抜けることなく、そこらへんにいそうな素朴で健康的な佇まいを保ちながら、いくつかの作品を残した。今では検索エンジンで「りょうか」と入力しても、彼女のグラビアイドルとしての活動の痕跡はオークションサイトに出品されているIVのジャケットでしか窺い知ることができない。僕は「Angel Kiss 」のほかにも、「ほいっぷくりーむ」と「りょうか色」を視聴した覚えがあるが、ウィキペディアにもりょうかのページがないので、各作品の発売年月が把握できない。

 りょうかの活動当時の動画は、今でもYoutubeの所属プロダクション(マイカンパニー)のチャンネルで見られる。デビュー作のIVを発表して十年経ったにもかかわらず、それを告知する動画がウェブ上に残っているのを、果たして当の本人は知っているのだろうか。すでに芸能界から足を洗っているであろう元グラビアアイドルの過去の動画が、違法アップロードではなく、元所属先の公式動画として現在進行形のタレント志望の生ぬるい動画と一緒くたにされるのは、十五歳から人前で水着姿になって芸能活動をしてきたりょうかに、あまりにも失礼ではないかと思う。

スクール水着の理想形現る

2021-04-13 10:42:41 | 日記
 二〇〇八年四月。

 会社を辞め、親会社の社宅を追われた僕は、なけなしの家財道具を実家に送り、しばらく各地を転々とすることになった。収入は途絶え、貯金を取り崩す生活の始まりだったが、不思議と危機感はなかった。ただ、勤め人でなくなった以上、余計に自らを律さなければならなくなり、その一環としてグラビアアイドルのイメージビデオ(IV)の購入を自粛し、保有していたいくつかの作品もすべて処分した。挿入部が裂開したオナホールも無用の長物となり、人通りの少ない夜のごみ集積場にそっと置き去ったのを、今でも鮮明に覚えている。それっきり、僕の自慰手段は今日までオナホールではなく、もっぱら利き手に頼っている。

 IVを処分したことで、この年の自慰回数は前年に比べて激減した。二週間も間隔が空くのもざらで、性欲が高まってどうしようもないときは、漫画誌が運営するグラビアアイドルの専用サイトで月額料金を支払い、週替わりのコンテンツを自慰用の素材とした。外岡えりかと紗綾でお世話になったのを覚えているが、動画に慣れてしまった僕にとって、彼女たちの画像はほんの手慰めにすぎなかった。

 久しぶりに買ったIVの新作は、中山怜香のデビュー作「ピーチ!コレクション」だ。時間つぶしで立ち寄ったセルビデオ店の棚に並べてあったのを見て、ロリ巨乳系の逸材として買わずにいられなくなったからだ。そのときはたまたま実家に戻っていたが、一刻も早く中山を素材に用いたくなり、隣の部屋で両親が寝入っている間にDVDをノートパソコンのディスクドライブに挿入し、胸の立体感がはっきりわかるスクール水着姿で横になってくねくね動く彼女を眺めながら、ひたすらペニスをしごいて射精に導いた。出戻りの身でありながら、実家の自室で自慰するのは自らの不甲斐なさと家族への申し訳なさが先立ったが、昂る性欲に抗うことができなかった。

 中学三年の頃に高橋由美子のスクール水着姿のグラビアに衝撃を受けて以来、僕はスクール水着に対するフェティシズムを持ち続けているが、中山のデビュー作でのチャプターは。これまで用いてきた素材の中ではかなり強く印象に残っているほど、僕にとって理想のスクール水着姿だった。素人っぽさを残しながら、それでいていやらしい体つきで不器用にポージングするグラビアアイドルに対し、性欲が昂らないわけがない。二作目の「ピュア・スマイル」も変に垢抜けてなく、台所でのビキニ姿のチャプターを何度も使わせてもらった。

 中山は後にRayとして約五年間、アニソン歌手として活動した。すでに引退しているようだが、ウェブ上に残っているSNSやブログではいっさいグラビアアイドルとしての経歴が記されていない。グラビアが歌手になるための腰掛け仕事だったのかもしれないが、前歴を大っぴらに明かせないところに、当時の高校生世代のグラビアがモデル自身に過度な性的露出を求められていたのが窺える。それは3号ポルノ市場に自主審査機関がなかった弊害と言えよう。


「性欲を興奮させまたは刺激するもの」とは

2021-04-06 10:54:11 | 日記
 僕は中学生の頃から今日に至るまで、高校生世代のグラビアアイドルを自慰用の素材としている。当時十五歳だった高橋由美子の幼さを残しながらも、成熟への過程を辿る水着姿に衝撃を受けて以来、素人っぽさの残る少女の画像や動画をひたすら求めては昂る性欲を発散させた。彼女たちの中で、高橋のように歌手や女優、タレントとして芸能界に名を残したのはごくわずかで、ほとんどはグラビアの域から抜け出せずに、ひっそりと引退していった。

 僕はグラビアアイドルとしてデビューする少女たちを、もっぱら自慰の対象としてでしか見ておらず、よほどの逸材でないかぎり、飽きるのも早かった。しかも、二〇〇〇年代は3号ポルノ作品に対する逆風も吹いてなく、次々と新人が現れてくるので、彼女たちの二作目、三作目を買うよりも、まだモデル自身が垢抜けていないデビュー作が気になってしかたなく、それも十五歳ぐらいから活動してくれるのが理想的だった。

 〇八年一月に三作目のイメージビデオ(IV)「aika15」を発表したあいかには、彼女が十五歳からグラビアの仕事を始めたようだったので、長い間お世話になった。前作の「ミスマガジン2007」に加え、次作の「Angel Kiss ~あいかもね~」と次々作「あい果実」と、一人のグラビアイドルに対して四作品も視聴したのは、あいかが初めてで、それだけ僕は彼女の肢体を堪能した。

 高校生世代のあいかが、布面積の小さい水着を着てたわわな胸を揺らしながら、海岸で戯れるチャプターは、今日ではおそらく児童ポルノ法の「性欲を興奮させまたは刺激するもの」とみなされるだろう。しかし、どの作品も彼女は楽しそうに撮影に臨んでいるように見え、それが女優へのステップだと割り切って我慢を強いられていたとしても、人権団体が声高に主張する性的搾取にまでは及んでいないと思う。3号ポルノを十把一からげに規制対象にしてしまい、供給側である出版社や映像制作会社がそれに抗わなかったことが、消費者である僕たちにとっての不幸だ。

 確かに、3号ポルノの商業作品は僕を含めてほとんどの消費者が自慰目的で購入するはずで、「性の商品化」の一面は拭えないが、「性欲を興奮させまたは刺激するもの」という基準は各人によって異なる。僕はあいかのビキニ姿やレオタード姿で幾度となく性欲を発散したが、ジュニアアイドルのTバックなどには興味がないし、その界隈ではレジェンドと祭り上げられている椎名ももや牧原あゆを一度も素材として用いたことがない。モデルの低年齢化と過度な性的露出が、高校生世代にもとばっちりを受け、今や十八歳以下のIVや写真集は大っぴらに発表できなくなっている。

 高校生世代のアイドルがグラビアを披露できなくなったのは、七〇年代後半から続いてきた娯楽の喪失をも意味する。僕はジュニアアイドルで過度な性的露出に荷担した演者の家族と制作スタッフに激しい憤りを感じるとともに、高橋やあいかなど今までお世話になった健康的なエロチシズムを醸し出す少女たちにお目にかかるのが極めて難しくなっていることを残念に思う。


二〇〇七年のロリ巨乳系④~梶浦愛子編~

2021-04-04 11:02:40 | 日記
 十八歳未満の高校生世代が、令和の時代においてグラビアアイドルとしてデビューするのは極めてめずらしい。児童ポルノ法改正に伴い、いわゆる3号ポルノ作品の制作や販売を控える動きが広がり、新作のイメージビデオ(IV)は二十歳を過ぎた、どれも似たような人工的な容姿のモデルばかりだ。3号ポルノへの風当たりが強くなった要因は、モデルの低年齢化と過度な性的露出で、陰毛も生え揃っていないような少女にTバックを履かせたり、下着よりも布面積の小さい水着を着させたりするのは、一消費者として明らかに度を越していると、僕は市場の先行きを危惧した。それにもかかわらず、弱小の制作会社と芸能プロダクションが目先の利益を追求するあまり、人権団体に目をつけられ、ネット通販大手も右へならえで手を引いてしまった。

 業界全体が3号ポルノの制作に及び腰になっているから、そこらへんにいるような素人っぽさの残る少女による水着姿の動画作品は、彩文館出版系列のエスデジタルが年に二、三作品発表する程度にまで衰退しているが、二〇〇年代は飽和状態だった。〇七年十月にデビュー作のIV「愛子のエクボ」を発表した梶浦愛子は、この年を締めくくるのにふさわしいロリ巨乳系のオナペットとして、僕の下半身を絶えず慰めてくれた。

 梶浦は撮影当時十六歳で、浅黒い健康的な肌とビキニからあふれんばかりの乳房に、僕は性的想像力を膨らませた。田舎の海水浴場で友達と一緒にたむろしていそうな胸の大きい少女が、いろいろな水着を着て不慣れながらも性的興奮を煽るポーズを見せてくれるのが、たまらなくうれしかったと同時に、インタビューでの自己肯定感の低さから、かつてお世話になったオナペット同様、メジャーへの階段を一、二段上がっただけで芸能界から去っていくのが容易に想像できた。

 しかし、たとえメジャーになれるモデルでなくても、高校生世代の少女が惜しみなく水着姿になって胸の立体感を強調してくれるのは、約四千円もするIVの対価であって、僕はその元を取るためにひたすら梶浦を汚した。元が取れずに買ってすぐ古書店送りとなった実用性の低いIVを思えば、梶浦のデビュー作はそんな浪費を帳消しにしてくれるほど満足度が高く、繰り返し性欲処理に用いさせてもらった。

 3号ポルノの飽和状態は、かつてのお菓子系雑誌の乱立に似た現象だが、あのときはモデルが素人で、おそらくアルバイト感覚で出版社に出入りし、短期間でグラビアから去っていった。梶浦が十年早く生まれていたら、お菓子系の域に留まっていたはずで、IVを三作品も発表できなかっただろう。そう考えると、新興の芸能プロダクションによる高校生世代のまだ垢抜けていないモデルの囲い込みは、グラビアへの供給源として3号ポルノの市場拡大に寄与した半面、小中学生にも過度な露出を求めたために性的搾取と糾弾されたあげく、高校生世代も割を食らってしまった。消費者である僕たちには何の落ち度もなく、3号ポルノの制作に携わる人々が自縄自縛に陥っただけだ。