僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

どうして南みゆかだけが許されるのか

2022-08-26 18:47:18 | 日記
 二〇一四年の児童ポルノ法改正を機に、十八歳未満のグラビアアイドルの商業作品、いわゆる3号ポルノ市場は壊滅状態に追いやられているが、どういうわけか沢口愛華のように大手出版社がしれっと写真集を上梓し、水着姿の性的な部分が殊更に強調されていた。それに対して、児ポ法改正を働きかけた人権団体から何の追及もなかったのは明らかに不自然で、どうして沢口だけが高校生世代の頃に水着の仕事が許されたのかという疑問が、いまだ払拭されていない。


 最近では、南みゆかという十六歳のローカルアイドルグループのメンバーが、大手出版社が発行する漫画誌の巻頭グラビアに起用され、デジタル写真集も発売されている。そのサンプル画像は、僕が今までお世話になったグラビアアイドルの水着姿と遜色なく、不特定多数の男性の自慰用素材にかなう仕上がりとなっている。性的な部分が殊更に強調された3号ポルノが、大手出版社によって堂々とインターネット上で売られているのだ。

 高校生世代をもっぱら自慰用素材に用いている僕にとって、南の画像で性的興奮が昂らないはずがない。しかし、児ポ法改正前は年端もいかない数多の少女がメジャーデビューを目指そうと、大人たちの言われるがままに水着の仕事に挑み、彼女たちを比較検討したうえで写真集やイメージビデオを買い求めていたことを思うと、選択肢が南だけにかぎられている今日の3号ポルノ市場が極めて限定的で、彼女を性欲処理の素材とすることへの抵抗感が増してくる。

 かつての沢口同様、どうして南だけが水着の仕事が許されるのか、という疑念がふつふつと湧いているが、そもそも改正児ポ法が3号ポルノの新作発表の抑止力にもかかわらず、芸能プロダクションと大手出版社が何の臆面もなく彼女たちの商業作品を販売していて、監督官庁や人権団体がスルーしている現状に、もし中小出版社ならたちまち摘発されるだろうと勘繰ってしまう。

 ローカルアイドルの顔を持つ南は先日、出身地である三重県津市の市長を表敬訪問し、その様子が地元紙でも報じられている。繰り返しになるが、ネット上で見られる南のサンプル画像は性的な部分が殊更に強調されていて、児ポ法改正前にデビューしてはメジャーになれずに去っていた高校生世代のグラビアアイドルと大差ない。そんな少女が首長と直接会えるのは、曲がりなりにもローカルアイドルの肩書きがあるからで、水着の仕事だけなら歯牙にもかけられなかっただろう。

 十八歳未満のグラビアイドルのデビューの芽を摘んだ改正児ポ法は、野放し状態だった3号ポルノ、とりわけジュニアアイドル市場の息の根を止めたが、そこに携わっていたのは中小零細の出版社とプロダクションだ。その一方で、沢口と南のようにアイドルグループの一員としてデビューさせたうえで、グラビア要員として大手出版社の媒体を通じて全国区で知られるようになる。明らかに後者のほうが広く世間に知らしめられているはずなのに、人権団体から何のアクションもないのはやはり不自然で、法改正後は知らぬ存ぜぬという同団体の薄っぺらな正義を感じずにはいられない。

何者にもなれなかったオナペットたちよ

2022-08-20 19:17:46 | 日記
 安倍晋三元首相襲撃事件の山上徹也容疑者の供述によると、母親が旧統一教会にのめり込んで家庭崩壊を招き、同団体が安倍氏と昵懇な間柄だったことに端を発しての犯行だったとしている。事件の全貌は司直の手に委ねられるが、平成に入ってすぐの宮崎勤に始まり、加藤智大にしろ植松聖にしろ青葉真司にしろ、令和の今日に至るまで何者にもなれない一人の成人男性がとんでもない大事件を引き起こしているのを鑑みると、一方的な個人的怨恨による凶行は日本社会の病巣であって、それに見て見ぬふりをしている民衆が存在しているかぎり、今後も続くだろう。

 何者にもなれないといえば、僕がこれまでお世話になったオナペットで、女優やタレントになれず陽の目を見られなかった元グラビアアイドルたちは、いったい今どこで何をしているのだろうか。かつての芸名を検索エンジンに入力しても、SNSのアカウントは見つからず、ブログは更新されないままインターネット上に漂っている。ストーカー気質を持ち合わせていないので、彼女たちの現在地を詮索するつもりはないが、引退後ばったりと情報発信が途絶えるのも不自然に思える。

 グラビアアイドルは器量とスタイルさえよければ誰でもなれるほど、デビューの壁は低い。そこからメジャーに上がっていけるかどうかは、本人のコミュニケーション能力や所属プロダクションとマスメディアとのギブアンドテイク次第で、巷間言われる枕営業もその一環だろう。それで成功すれば本人は有名になり、所属先も懐が潤うが、双方の甘言に乗せられて不本意な肉体的取引に応じたにもかかわらず、反故にされて契約終了に追い込まれた女性もいるはずだ。

 元グラビアアイドルが現在、一般人として幸せな家庭を築いていれば、過去を洗い流せているかもしれないが、そうでないのもいるのではないか。芸能活動中は自らの情報発信に余念がなかったほど自己顕示欲が強かったのに、引退後はひたすら沈黙を貫いているのは、単に本人がものぐさなのもあるだろうが、過去の仕事に対して誇りが持てず、思い出したくもない黒歴史だと自覚しているからなのかもしれない。

 芸能界自体が男社会なのは今に始まったことではない。元グラビアイドルの中には、大物芸能人や業界関係者のカキタレで終わってしまったのもいるはずだ。彼女たちが自らの不遇を逆恨みし、遊ばれた相手と刃傷沙汰を起こす復讐劇を不謹慎ながら期待しているのだが、いっこうに報道されない。おそらく多額の手切れ金を積まれたのか、未遂で終わったのか、それとも復讐する気力を根こそぎ奪われるほど肉体的にも精神的にも追い込まれたのか。

 もっとも、器量とスタイルのよさを買われ、富裕層の一般人(青年実業家)のトロフィーワイフに納まる事例も見受けられることから、芸能界でメジャーになれなかったどころか、性的取引に応じても過去の出来事だと割り切って今を幸せに過ごしているだろう。女性は男性に経済的に依存する選択肢があるが、その逆は極めてまれだ。“無敵の人”とは何者にもなれない男性だけに与えられる称号だ。

衰えゆく性的想像力

2022-08-14 16:08:04 | 日記
 アラフィフの僕は今日においても、高校生世代の水着姿を自慰用の素材に用いているが、十代や二十代だった頃に比べて性的想像力は明らかに衰えている。それは、素材となる媒体が雑誌グラビアや写真集といった静止画から、イメージビデオ(IV)に代表される動画へと移行したことが大きな要因で、二〇〇〇年代前半に散々お世話になった写真集への郷愁はあっても、それらを再び手に入れて自慰に勤しむのは何だかもったいない気がするほど、動画で性欲を発散するのがあたりまえになっている。

 素材に動きが加わったことに加え、直截的な演出も性的想像力が削ぎ落とされた要因の一つだ。着エロは言うに及ばず、〇〇年代後半以降、高校生世代のグラビアアイドルも布面積の小さいビキニを着させられ、僕もその恩恵にあずかって自慰を捗らせてくれたが、その流れはジュニアアイドルに裸同然の露出を強いらせ、監督官庁と人権団体に目をつけられた挙句、児童ポルノ法が改正され、十八歳未満の作品は大っぴらに販売できなくなってしまった。

 僕の人生において、最も性欲旺盛で自慰に明け暮れたのは二十九歳から三十一歳にかけてだが、自慰回数が多かったからといって性的想像力も豊かだったわけではない。当時は仕事にも慣れ、気楽な単身者として何の不自由もなく自慰用素材を手に入れることができた。一冊の写真集のページをめくるたびに伝わってくるグラビアアイドルの美少女度と肢体に劣情を抱き、下半身が屹立する。それは能動的でありながら、素材の表情や動きをページ越しに相対しなければ性欲が湧いてこないという受動的な一面もあった。

 自慰用素材が安易に入手できない環境でありながらも、その素材で性欲を放出したい渇望は絶えない。不自由であるほど想像力が逞しくなるという道理に照らせば、学生時代がピークだったのではないか。当時は自分の部屋を持てない家庭内での居心地の悪さから、アイドル雑誌は欲しくても買えなかったり、せっかく買っても家族に見つかるのを恐れて短期間で手放したりしていた。それが素材にしたいアイドルの顔や肢体を記憶の中からあぶり出し、性的想像力を存分に働かせながら射精へと至らしめる原動力になった。


 現実社会でも、身の回りにいた異性に対し、動画や静止画もなく性的想像力だけで自慰できたのは高校生の頃までで、一人暮らしの自由を手に入れた大学生活において、わざわざ同級生や下級生を空想で穢すまでもなかった。もっとも、僕の自慰用素材は高校生世代なのだから、在学中にお菓子系というサブカテゴリ―が勃興したのは好都合で、ロリータコンプレックスと指摘されても反論の余地のない性癖が今日まで続いている。

 二十代後半で素材が直接手元になければ自慰ができなくなり、三十代前半で紙媒体(静止画)を素材に用いなくなった。性的想像力を鍛えるには官能小説がうってつけだが、活字を辿って勃起するくらいなら、美少女のスクール水着姿でありもしない妄想を働かせるのが手っ取り早いと思う僕には、官能小説で射精に至れる文学的素養を持つ御仁への憧憬を抱きつつも、その種の筋書きなら自分で考えて視聴動画とシンクロさせることもできなくはない。