風の向くまま気の向くまま

気まぐれに愚直にいきましょう

信じられない

2007-02-20 05:45:38 | 私信
以前のエントリー「人の死ということについて」の中で、
『ただ、生き様は自身でも見つめることが出来るのに、死に様は残されたものにしか見ることができないというところに、人の「死」は「生」よりも人に与えるものが大きいのかもしれない。』
と書いた。
今は、彼の死をまだ受け止められずにいる期待と似た気持ちと、事実は事実として認めなくてはならないという自己の逃避からの距離とが共存している。
18日の日曜、アユタヤ(自宅から車で2時間くらい)にあるお寺巡りをした。
仏教のことは良くわからない。
しかし、まわった全ての寺で彼の冥福と同行した彼女の病気(心臓病)の完治を願った。
11日に亡くなられた彼は公私共に懇意にしていただいていた。
心臓発作とのこと。
享年49歳。

お通夜や告別式の様子はメールで私に伝えられた。
それらを読むたびごとに故人との思い出が頭をめぐる。
仕事中にも拘わらず何度か涙があふれそうになった。
現在、タイに赴任する際も人事と掛け合い復職間もない私を強く推してくれた。
もともと復職したのも彼が「また、一緒に仕事をしよう」と誘ってくれたことが大きな理由のひとつである。

今の仕事が一区切りついたら、その報告に墓前に行くつもり。
これほど受け入れがたい死に出会ったことは無い。

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