最新のR&Bチャートをご紹介

最新のR&Bチャートをご紹介します。
速藤年正 Toshimasa Hayato

アレクサンダー・オニール

2005年04月29日 15時41分32秒 | 全米チャート
alexander_oneal

今回は1980年代に活躍した男性R&Bシンガー、アレクサンダー・オニールの「Never Knew Love Like This」を紹介します。

力強いヴォーカルとパワフルなルックスで人気を博したアレクサンダー・オニール。
レーベルメイトの女性R&Bシンガー、シェレールとの共演による「Never Knew Love Like This」は、彼の2ndアルバム『Hearsay』からの3rdシングルとしてカットされ全米R&Bチャート2位(1988年)をマーク。
ジミー・ジャム&テリー・ルイスならではのクールなサウンドからスタートし、時には金属的にも響くアレクサンダー・オニールのシャープなヴォーカルと優しさを込めたシェレールのハイトーンは、デュエットによるアップナンバーの金字塔的作品と言えるのではないでしょうか。

1990年ごろだったか、有明近辺のイベント会場(←今はナイ)で来日公演がありました。「Tabu Night」(Tabuはアレクサンダー・オニールとシェレールが所属するレーベル名)というツアーで、どうやってチケットを手に入れたかさえ覚えてませんが、シェレールとの共演だけは今でも心に残ってます。アレクサンダー・オニールのソロパートはもちろん、会場のほとんどがシェレールとの共演を待っていたんじゃないでしょうかね。

アレクサンダー・オニールとシェレールのデュエットはこれまでにアルバム上で何回かありますが、何と言っても以下の3曲が代表格。

「Saturday Love」(1986年全米R&Bチャート2位)
シェレールの2ndアルバム『High Priority』(1986年)からの1stシングル

「Never Knew Love Like This」(1988年全米R&Bチャート2位)
アレクサンダー・オニールの2ndアルバム『Hearsay』からの3rdシングル

「Everything I Miss At Home」(1988年全米R&Bチャート1位)
シェレールの3rdアルバム『Affair』(1988年)からの1stシングル

The S.O.S. Bandにも通じるクールなミディアムサウンドの「Saturday Love」、パワフルな「Never Knew Love Like This」、ロマンティックなスローバラード「Everything I Miss At Home」と、どれもプロデュースはジミー・ジャム&テリー・ルイスが担当。

3曲とも有明の夜を熱く染めてくれたのでした…。

アレクサンダー・オニールの個人的お気に入りナンバー。

1.「Never Knew Love Like This」
2.「Fake」
3.「A Broken Heart Can Mend」
4.「If You Were Here Tonight」
5.「Criticize」

おそらくジミー・ジャム&テリー・ルイスがプロデュースを手がけていなければ、アレクサンダー・オニールがここまでのヒットを生み出せたかどうかは疑問ですが、フライト・タイムの友情に敬意を表して「Never Knew Love Like This」は☆☆☆☆☆(五つ星)の最高評価です。

■アレクサンダー・オニール■
1953年11月15日ミシシッピー州生まれ。いくつかの地元バンドに参加した後、ミネアポリスのフライト・タイムにリードヴォーカルとして迎え入れられる。フライト・タイムのメンバーには、今やスーパープロデューサーとして名高い(当時は無名の)ジミー・ジャム&テリー・ルイスが在籍。グループは同じミネアポリスのプリンスと出会い、プリンスと親交のあったモーリス・デイも加えてザ・タイムを結成。しかしアレクサンダー・オニールだけはプリンスとの意見が合わず、ザ・タイムのプロジェクトから外されたのである。最終的にジミー・ジャム&テリー・ルイスも外部アーティストのプロデュース業が盛んになり、ザ・タイムの公演に遅刻したことをきっかけにプリンスから解雇される。フリーになったジミー・ジャム&テリー・ルイスは、インディシーンで歌っていたアレクサンダー・オニールに声をかけ、デビューアルバム『Alexander O'Neal』(1985年)をプロデュース。次いで発表された2ndアルバム『Hearsay』からは、ジミー・ジャム&テリー・ルイスのプロデュースによる「Fake」が初の全米R&Bチャートナンバーワン(1987年7月25日付~2週連続)を獲得し、「Criticize」(1987年全米R&Bチャート4位)、「Never Knew Love Like This」「The Lovers」(1988年全米R&Bチャート41位)、「(What Can I Say) To Make You Love Me」(1989年全米R&Bチャート68位)と5曲ものヒットを生み出している。3rdアルバム『All True Man』(1991年)、4thアルバム『Love Makes No Sence』(1993年)以降は目立ったヒットに恵まれず、活動の拠点をイギリスに移して5thアルバム『Lovers Again』(1997年)、6thアルバム『Saga Of A Married Man』(2002年)を発表。


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フレディ・ジャクソンの「Nice 'N' Slow」

2005年04月27日 13時44分19秒 | 全米チャート
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今回はベテラン男性R&Bシンガー、フレディ・ジャクソンの「Nice 'N' Slow」を紹介しましょう。

今やR&Bディーヴァとして君臨するホイットニー・ヒューストンと同期デビューのフレディ・ジャクソン。デビュー当時(1985年)のR&Bヒットチャートを振り返ると、

1985年 5月、ホイットニー・ヒューストン「You Give Good Love」
1985年 6月、フレディ・ジャクソン「Rock Me Tonight (For Old Times Sake)」
1985年 9月、ホイットニー・ヒューストン「Saving All MY Love For You」
1985年10月、フレディ・ジャクソン「You Are My Lady」

…と、ほとんど二人が交互にR&Bナンバーワンを獲得している状況でした。

ただし、これをポップチャートに置き換えると現実は厳しく、フレディ・ジャクソンの1stアルバム『Rock Me Tonight』からの全米ナンバーワンはゼロ、ホイットニー・ヒューストンの1stアルバム『Whitney Houston』からは、「Saving All MY Love For You」(1985年10月全米チャート1位)、「How Will I Know」(1986年2月全米チャート1位)、「Greatest Love Of All」(1986年5月全米チャート1位)と、3曲ものトップヒットが生まれているのです。しかも「Saving All MY Love For You」に関しては、1985年の年間ナンバーワンシングルにまで選ばれています。

当時の感覚では、R&Bのフレディ・ジャクソン、ポップのホイットニー・ヒューストンという形勢でしたかね。ホイットニーはルックスもスタイルもいいし…。

実際、R&Bの年間ナンバーワンソングにはフレディ・ジャクソンの「Rock Me Tonight (For Old Times Sake)」が選ばれR&Bシーンでの実力を強力にアピールしたのですが、なんたって1200万枚以上を売り上げた『Whitney Houston』に対して、100万枚の『Rock Me Tonight』ですからね…。

個人的には声を大にして言いたいですよ。
ホイットニーさえいなければ、フレディ・ジャクソンはもっと成功してたハズ!

さてさて、話をフレディ・ジャクソンの「Nice 'N' Slow」に戻しましょう。
この曲は1988年の3rdアルバム『Don't Let Love Slip Away』からの1stシングルとしてカットされ、全米R&Bチャートでナンバーワン(1988年8月27日付~3週間)を獲得。これまでバラードヒットが多かったにもかかわらず、あえてアップ系のミディアムナンバーで勝負してくるあたりは、前作『Just Like The First Time』(1986年)からの4thシングル「Jam Tonight」(1987年8月15日付全米R&Bチャート1位)の成功を受けた新境地と言えるかもしれません。プロデュースは1stアルバムからずっと起用されているバリー・イーストモンドが担当。バリー・イーストモンドと言えば、アニタ・ベイカーやビリー・オーシャンのヒットで知られてますよね。途中で聞こえるシブいアルトサックスは、ベテランのナジー。フレディ・ジャクソンの激シブバラード「Love Me Down」でもサックス参加してるので、興味があればぜひ聴いてみてくださいな。

フレディ・ジャクソンの個人的なお気に入り曲を挙げるとすれば、

1. Nice 'N' Slow
2. Love Me Down
3. Have You Ever Loved Somebody
4. You Are My Lady
5. Jam Tonight
6. Main Course

…の順ですかね。6.「Main Course」はポール・ローレンス(後述)のカバーです。

洗練されたロマンティックバラードを楽しみたい方に、ぜひオススメしたいフレディ・ジャクソン。アーバンコンテンポラリーの神髄を楽しませてくれる「Nice 'N' Slow」は☆☆☆☆★(四つ星)の好評価です。

■フレディ・ジャクソン■
1956年10月2日、ニューヨークのハーレム生まれ。幼いころからゴスペルを歌っていた地元の教会で、後に彼のプロデューサーとなるポール・ローレンスと出会う。学校卒業後、ポール・ローレンスの主催するロレンス・ジョーンズ・アンサンブルに加わり、ニューヨークのクラブシーンで演奏活動をスタート。1980年代前半には西海岸へ移ってR&Bグループのミスティック・マーリンに参加するものの、程なくニューヨークに戻りポール・ローレンスとともにハッシュ・プロダクションに所属。メルバ・ムーアのバックシンガーや、ポール・ローレンス作品のデモシンガーとして働きながら、1985年に大手キャピトルレコードからアルバム『Rock Me Tonight』でデビュー。ポール・ローレンスがプロデュースを手がけた1stシングル「Rock Me Tonight (For Old Times Sake)」(1985年全米R&Bチャート6週連続ナンバーワン)をはじめ、初期4枚のアルバム『Rock Me Tonight』、『Just Like The First Time』(1986年)、『Don't Let Love Slip Away』(1988年)、『Do Me Again』(1990年)から実に10曲ものR&Bナンバーワンヒットを放っている。


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デペッシュ・モードの「It's No Good」

2005年04月25日 14時00分31秒 | 全米チャート
depeche_mode

今回は、1980年に結成されたイギリスの4人組エレクトロポップグループ、デペッシュ・モードの「It's No Good」を、Club 69のリミックスバージョンで紹介しましょう。

2004年11月10日、デペッシュ・モードのリミックスアルバム『Remixes 81…04』が国内盤で発売されました。その名のとおり、デペッシュ・モード活動当初のヒット曲から最新のナンバーまでを一挙にリミックスバージョンで収めたアルバムです(ノンストップアルバムではありません)。初回限定盤は3枚組CDという特別仕様で(通常盤は2枚組CD)、ここに紹介する「It's No Good (Club 69 Future Mix)」は、3枚目のボーナスCDの6曲目に収録されているナンバーです。

このアルバムの発売情報を知ったと同時に、まずは37曲にも及ぶ収録曲リストを隅から隅まで穴が開くほど見回しました。もちろん「It's No Good」のClub 69バージョンが入ってるかどうかを確認するためです。

デペッシュ・モード「It's No Good」のオリジナルバージョンは、1997年のアルバム『Ultra』からの2ndシングルとして全米でカットされシングルチャート38位をマーク。ダンスリミックスに関しては全部で3バージョン入りのアメリカ盤12inchが発売され、1997年6月21日付全米ダンスチャートでナンバーワンを獲得しています。

当時のアメリカ盤12inch(Mute/Reprise 43845)には

A-1. IT'S NO GOOD Hardfloor Mix
A-2. IT'S NO GOOD Bass Bounce Mix
B-1. IT'S NO GOOD Speedy J Mix
B-2. SLOWBLOW Darren Price Mix (←別の曲のリミックス)

…が収録されていました。

ちなみにイギリス盤12inch(Mute/12 Bong 26)には、

A-1. IT'S NO GOOD Hardfloor Mix
A-2. IT'S NO GOOD Speedy J Mix
B-1. IT'S NO GOOD Motor Bass Mix
B-2. IT'S NO GOOD Andrea parker Mix
B-3. IT'S NO GOOD Dom T Mix

…の5バージョンを収録。

ダンスチャート自体は全米のクラブやディスコのプレイリストの集計みたいなもので、一番かかっている曲が必然的に上位にランキングされるシステムになってます。

ところがこの「It's No Good」に関しては、全米のDJがかけているのはアメリカ盤12inchでもイギリス盤12inchでもなく、プロモーション盤オンリーでDJに配られていた「It's No Good」の「Club 69 Future Mix」だということが判明。

ご存知のとおり、市販されてないものを買うのはどこの世界でも至難のワザでして、全世界のDJ陣は、必死になって「It's No Good (Club 69 Future Mix)」の12inchを探し回りました。
リミックスを担当するClub 69(Peter Rauhofer)については後述しますが、とにかく売れっ子リミキサーで、ハードでカッコいいリミックスを作る天才だと思っていただければ間違いありません。

今となってはリリースから8年が経過してますので「It's No Good (Club 69 Future Mix)」自体の貴重さは薄れてきたものの、それでもネット上ではこんな値段で取引されています。(※アメリカ盤12inchが95ポンド=19,048円で売られている)

送料込みで約2万円というのは、どーなのかとも思いますよね。でも、なかなかネットにも出てこないアイテムなので、売ってるだけマシといった感じでしょうか。

この「It's No Good (Club 69 Future Mix)」のナンバーワンヒットに続き、2001年のアルバム『Exciter』からは、「Dream On」(2001年6月9日付全米ダンスチャート1位)、「I Feel Loved」(2001年9月8日付全米ダンスチャート1位)、「Freelove」(2002年2月2日付全米ダンスチャート1位)の3曲がダンスナンバーワンをマーク。トータル4曲が連続で首位を獲得するという快挙を成し遂げています。
ちなみにリミックスアルバム『Remixes 81…04』からも「Enjoy The Silence (Remixes)」がカットされましたが、こちらは全米ダンスチャート25位(2004年12月4日付)と、残念ながらトップを獲得することはできませんでした。

Club 69のディープで力強いダンスビートにデイヴ・ガーンのクールなヴォーカルがマッチして、まさに大容量のメインフロアーでかけるには最高の重低音サウンドが繰り広げられる「It's No Good (Club 69 Future Mix)」。ポップだったりキャッチーだったりするワケじゃなく、かなりマニア向けのクラブ系ミックスなので個人的評価は☆☆☆★★(三つ星)とやや辛口ですが、時価2万円相当のリミックスがわずか229円でダウンロードできてしまう文明の進化には脱帽です。

■デペッシュ・モード■
1976年、ヴィンス・クラークとアンドリュー・フレッチャーの二人がイギリスのバジルドンでノー・ロマンス・イン・チャイナを結成。グループは短命に終わり、ヴィンス・クラークは新たにマーティン・ゴアと二人でフレンチ・ルックを創設。そこにアンドリュー・フレッチャーが再加入し、グループ名をコンポジション・オブ・サウンドに変更する。1980年にヴォーカルのデイヴ・ガーンが加わってデペッシュ・モードと改名。オルタナティヴなシンセサイザーサウンドがロンドンのクラブシーンで人気となり、ミュートレコーズからメジャーデビューを飾る。1stアルバム『Speak & Spell』(1981年)発売後にグループのソングライター、ヴィンス・クラークが脱退し、アリソン・モイエと組んでヤズーの活動をスタート(後にアリソン・モイエはソロに転向、ヴィンス・クラークはイレイジャーを作る)。新ソングライターのアラン・ワイルダーを迎えたデペッシュ・モードは「People Are People」(1984年イギリスチャート4位、1985年全米チャート13位)、「Enjoy The Silence」(1990年イギリスチャート6位、1990年全米チャート8位)などがアメリカでもヒットを記録。時代がオルタナティヴ志向を目指す1990年代に入ると、彼らの人気はますます加速し、1993年のアルバム『Songs Of Faith And Devotion』は全米アルバムチャート初登場ナンバーワンを樹立。1995年のアラン・ワイルダー脱退やデイヴ・ガーンの麻薬中毒・自殺未遂を乗り越え、グループは3人体制でアルバム『Ultra』(1997年)を発表する。オリジナルアルバムとしては2001年の『Exciter』が最新作。


■Club 69■
本名Peter Rauhofer(ピター・ラウホファーと読む人もいれば、ピーター・ローファーと読む人もいて、どれが正確なのかは不明)。オーストリアのウィーンで生まれ育ち、輸入レコードショップで働きながらウィーンのクラブでアンダーグラウンド系のDJを始め、同時にオーストリアのGIGレコーズのディレクターとしても活躍。後に「Rock Me Amadeus」(1986年全米チャート1位)のヒットを放つファルコも担当アーティストの一人だった。1992年、ピター・ラウホファーはClub 69名義でセルフプロデュースによる自らのシングル「Let Me Be Your Underwear」(1993年全米ダンスチャート18位)をリリース。このヒットによって世界各国でのDJ依頼やリミックスのオファーが飛び込むようになる。レコードショップの経営、クラブDJ、レコード会社のディレクター、ダンスのリミックス&プロデュースなどなど、幅広い活動を続けることが物理的に不可能になり、レコーディングとDJのキャリアに特化するため1995年ニューヨークに転居。音楽の中心ニューヨークでは、Tribal America、Twistedとレーベルを移り、最終的に独自レーベルのStar 69を設立。70枚以上の作品を送り出すとともに、リミキサーとしても、マドンナ「Nothing Really Matters」(1999年3月13日付全米ダンスチャート1位)、ユーリズミックス「17 Again」(1999年12月25日付全米ダンスチャート1位)、クリスティーナ・アギラレ「Beautiful」(2003年4月19日付全米ダンスチャート1位)、ブリトニー・スピアーズ&マドンナ「Me Against The Music」(2003年12月27日付全米ダンスチャート1位)をはじめ、ポップフィールドとオルタナティヴなアンダーグラウンド系のクラブサウンドを融合させた膨大なナンバーワンリミックスを手がける。ちなみにリミックスワークは故郷のウィーンで行っているとのこと。第42回(2000年開催)グラミー賞最優秀リミキサー賞受賞。


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メラニー・Cの「I Turn To You」

2005年04月22日 15時44分21秒 | 全米チャート
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今回はメラニー・C(スパイス・ガールズ)の「I Turn To You」を、ヘックス・ヘクターによるダンスリミックスバージョンで紹介します。

まず先にご説明しておきますと、個人的にスパイス・ガールズのファンでもなければ、メラニー・C嬢のフリークでもありません。リミックスを担当してるヘックス・ヘクターの大ファンなのです。

「I Turn To You」のオリジナルバージョンは、スパイス・ガールズで活動中のメラニー・Cが1999年に発表した1stソロアルバム『Northern Star』からのイギリス第4弾シングルとしてカットされ、2000年8月にイギリスのシングルチャートで1位を記録。

この「I Turn To You」をアメリカのヴァージンレコードがヘックス・ヘクターのダンスリミックスとともに全米のクラブでプロモーションしたところ、全米ダンスチャートをあっという間に急上昇。チャートインからわずか8週間で全米ダンスチャートのトップに輝いたのでした。
オリジナルはストリングスの音色が哀愁ムードを誘うダンスポップですが、ヘックス・ヘクターのリミックスではシンセサイザーがギュンギュンうなるイケイケムード満点のキャッチーなリミックスに生まれ変わってます。

ヘックス・ヘクターの詳細は後述するとして、メラニー・Cがブレイクした2000年はヘックス・ヘクターの当たり年とも言え、

エヴリシング・バット・ザ・ガール「Temperamental」(2000年2月12日付)
ホイットニー・ヒューストン「I Learend From The Best」(2000年2月19日付)
ヴェロニカ「I'm In Love」(2000年5月20日付)
ララ・ファビアン「I Will Love Again」(2000年5月27日付)
ジェニファー・ロペス「Feelin' So Good」(2000年6月3日付)
トニ・ブラクストン「Spanish Guitar」(2000年8月19日付)
マドンナ「Music」(2000年9月16日付~5週間連続)
メラニー・C「I Turn To You」(2000年11月11日付)
ナタリー・コール「Livin' For Love」(2000年12月23日付)

…と、9曲もの全米ダンスナンバーワンを量産。中でもマドンナの「Music」は年間のダンスナンバーワンに選ばれています。

ちなみに、2000年ダンスシーンを振り返って個人的ベスト曲を挙げるとすれば、以下の7曲になりますでしょうか(カッコ内はリミキサー名)。

1.トニ・ブラクストン「Spanish Guitar」(Hex Hector)
2.エンリケ・イグレシアス「Be With You」(Thunderpuss)
3.ユーリズミックス「17 Again」(Peter Rauhofer)
4.メラニー・C「I Turn To You」(Hex Hector)
5.ホイットニー・ヒューストン「I Learned From The Best」(Hex Hector)
6.ララ・ファビアン「I Will Love Again」(Hex Hector)
7.オリーヴ「I'm Not In Love」(DJ Skribble & Anthony Acid)

やっぱり、7曲中の4曲がヘックス・ヘクターになっちゃうんですよね。

すっかりメラニー・Cの話題が薄くなってしまいましたが、全米ダンスシーンだけに限ってみれば、スパイス・ガールズのメンバー5人の中で最も成功しているのがメラニー・Cです。なんたって「I Turn To You」がダンスナンバーワンに輝いてますからね。
次に活躍してるのがエマ・バントン。フル・インテンションがリミックスを手がけた「Free Me」(2004年11月13日付全米ダンスチャート4位)と、オールマイティによる「Maybe」(2005年3月19日付全米ダンスチャート6位)の2曲がヒット。エマの2曲ともプロモーション盤オンリーなので入手は非常に困難かと思われます…。

そんなワケで、メラニー・Cが歌う「I Turn To You (Hex Hector Radio Mix)」は☆☆☆☆☆(五つ星)の最高評価です。

■メラニー・C■
「有名になりたいですか?」のオーディション広告に集まったティーンの中から、ヴィクトリア・アダムス、メラニー・ブラウン、エマ・バントン、ジェリ・ハリウェル、メラニー・チザムの5人が選ばれスパイス・ガールズを結成。メラニー・Cは、ブライアン・アダムスとの共演ヒット「When You're Gone」(ブライアン・アダムスの1998年のアルバム『On A Day Like Today』収録)や、サウンドトラック『Big Daddy』(1999年)へのソロ参加(「GA GA」を収録)を経て、1999年に1stソロアルバム『Northern Star』をリリース。「Goin' Down」(1999年10月イギリスチャート4位)、「Northern Star」(1999年12月イギリスチャート4位、「Never Be The Same Again」(2000年イギリスチャート1位)、「I Turn To You」(2000年8月イギリスチャート1位)、「If That Were Me」(2000年12月イギリスチャート18位)の5曲がアルバムからヒットを記録し、2003年には2ndソロアルバム『Reason』を発表。「Here It Comes Again」(2003年3月イギリスチャート7位)、「On The Horizon」(2003年6月イギリスチャート14位)、「Melt」(2003年11月イギリスチャート27位)の3曲がシングルヒットをマークしている。



■ヘックス・ヘクター(Hex Hector)■
ニューヨークで生まれ、サンタナ、アル・グリーン、ティト・プエンテ(ラテン)、ローリング・ストーンズなど、幼いころから幅広い音楽を聴いて育つ。パラダイス・ガレージ、ロキシーといったニューヨーク屈指のナイトクラブに通い、1990年ごろにはトンネル、ライムライト、サウンドファクトリーでレジデントDJを担当。まだ無名だったジェニファー・ロペスは当時のクラブ仲間。1992年前後からアーティストのリミックスワークをスタートさせ、ジェニファー・ロペス「Waiting For Tonight」(1999年10月全米ダンスチャート1位)、トニ・ブラクストン「Un-Break My heart」(1996年12月全米ダンスチャート1位)をはじめ、日本のMISIA「Everything」(2000年)、浜崎あゆみ「Seasons」(2001年)、平井堅「Kiss Of Life」(2001年)など、これまでに200曲以上のリミックスを手がける。第43回(2001年開催)グラミー賞で最優秀リミキサー賞を獲得。その対象作品は旧友ジェニファー・ロペスのリミックスだった。


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シャラマーの「You Can Count On Me」

2005年04月20日 18時40分27秒 | 全米チャート
Shalamar

今回はロサンゼルスの男女3人組R&Bグループ、
シャラマーのバラードナンバー「You Can Count On Me」を紹介します。

シャラマーと言えば、「The Second Time Around」(1980年全米R&Bチャート1位)や、
「A Night To Remember」(1982年全米R&Bチャート8位)などのディスコクラシックスが日本でも有名ですよね。

グループは何度かメンバーチェンジを繰り返しますが、力強さと繊細さを併せ持つヴォーカルが特徴のハワード・ヒューイット、1980年代のR&Bディーヴァ、ジョディ・ワトリーが在籍していた時代こそが、シャラマーの黄金期と言えるのではないでしょうか。

ハワード・ヒューイットの精細な歌声とロマンティックなメロディが優しい「You Can Count On Me」は、1983年のアルバム『The Look』からの3rdシングルとしてカットされ全米R&Bチャートで77位を記録(わずか4週間でチャートから落ちた)。
同アルバムからは既に強力なダンスチューン「Dead Giveaway」(1983年全米R&Bチャート10位)と、クールなミディアムダンス「Over And Over」(1983年全米R&Bチャート26位)の2曲がヒット済みで、次いでアイリーン・キャラ主演映画のサウンドトラック『D.C. CAB』(1983年)からの2ndシングルとしてシャラマーの「Deadline U.S.A.」(1984年全米R&Bチャート34位、アルバム『The Look』未収録)がカットされたこともあり、それを受けての「You Can Count On Me」のシングルリリースは、さすがにマーケットには新鮮に映らなかったのでしょうね。
アルバム『The Look』の1stシングルだったら、もうちょっと違ったチャートアクションが期待できたのかもしれませんが、ディスコ全盛期にいきなりバラードをカットしてくるチャレンジャーもなかなか存在しないのが現実でした…。

アルバム『The Look』を最後にジョディ・ワトリーはソロに向けてグループを脱退。そんなワケで、ハワード・ヒューイットとジョディ・ワトリーが同時に在籍した黄金期シャラマーのラストアルバムということになります。

当時のアルバム(LP)には「Dead Giveaway」(A面2曲目)の次に「You Can Count On Me」(A面3曲目)が収録されていて、ハデなカットアウトの「Dead Giveaway」の余韻を残しつつ、ゆっくりとスタートする「You Can Count On Me」への緊張感は、まさにディスコでチークタイムに突入するのと同じ感覚を楽しませてくれました。

1985年、ハワード・ヒューイットもグループを抜けてソロに転向。1stソロアルバム『I Commit To Love』(1986年)からの大ヒットバラード「I'm For Real」(1986年全米R&Bチャート2位)では、ジョージ・デューク(キーボード)、スタンリー・クラーク(ベース)、ウィルトン・フェルダー(サックス)といった豪華ゲスト陣が参加。オープニングのシブいサックスに続き「♪フゥ~」と歌い出すハワード・ヒューイットのセクシーさは鳥肌モノですよ。

そう言えば、今から10年ぐらい前のことですが、原宿で偶然ジョディ・ワトリーに会いました。来日してることも知らなかったし、原宿を歩いてたら目の前をシャープな顔立ちのジョディ・ワトリーが通ったんですよ。ラフォーレ前の交差点に黒い車が待っていて、それに乗り込むとこだったんですかね。だれも彼女に気付かなかったみたいで、一人で交差点まで追い駆けて「ジョディ・ワトリーさんですよね?? シャラマーのころからファンなんです」と話しかけたら、向こうもビックリしたらしく、握手だけして車を見送ったのを覚えています。

話は脱線しましたが、あまりヒットしなかった「You Can Count On Me」。それでも大好きなバラードなので☆☆☆☆☆(五つ星)の大甘評価です。

■シャラマー■
日本でも人気の全米テレビ番組『SOUL TRAIN』を通じて1976年にデビューを飾ったシャラマー。当初のメンバーは、ソウルトレインダンサーズで活躍中のジョディ・ワトリー、ジェフリー・ダニエルズ、ジェラルド・ブラウンの3人。1978年にジェラルド・ブラウンが脱退しハワード・ヒューイットが加入。ジョディ・ワトリーとハワード・ヒューイットのヴォーカルで「The Second Time Around」「A Night To Remember」などの大ヒットを生み出すが、アルバム『The Look』(1983年)を最後にジョディ・ワトリーとジェフリー・ダニエルズが脱退。デリサ・デイヴィスとミッキー・フリーを迎えた新生シャラマーは、アルバム『Heart Break』(1984年)を発表。このアルバムを最後にグループの重要人物ハワード・ヒューイットもグループを離れ、1987年のアルバム『Circumstantial Evidence』からはシドニー・ジャスティンがヴォーカル参加。ベイビーフェイスが全8曲中6曲のプロデュースを担当したにもかかわらず、アルバム『Circumstantial Evidence』はヒットに結び付かなかった。現段階において1990年のアルバム『Wake Up』以降のニューリリースはない。


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