最新のR&Bチャートをご紹介

最新のR&Bチャートをご紹介します。
速藤年正 Toshimasa Hayato

ピーボ・ブライソン

2005年06月29日 13時38分48秒 | 全米チャート
peabo_bryson今回は男性R&Bシンガー、ピーボ・ブライソン(Peabo Bryson)の「Heaven Above Me」を紹介します。

ロバータ・フラック(Roberta Flack)との「Tonight, I Celebrate My Love」(1983年11月5日付全米チャート16位)、セリーヌ・ディオン(Celine Dion)との「Beauty And The Beast」(1992年4月18日付全米チャート9位)、レジーナ・ベル(Regina Belle)との「A Whole New World」(1993年3月6日付全米チャート1位)など、本人のソロナンバーよりも女性シンガーとのコラボレーション作品のほうが有名なので、どうしても影が薄くなってしまいがちですよね。
それでも「Show & Tell」(1989年7月1日付全米R&Bチャート1位)、「Can You Stop The Rain」(1991年8月17日付全米R&Bチャート1位~2週連続)と、堂々2曲のR&Bナンバーワンを放っています。(やっぱり知らないですか??)

スリリングなアレンジが光る「Heaven Above Me」は、ロバータ・フラックとの共演アルバム『Born To Love』(1983年)A面3曲目に収録されていたナンバーで、残念ながシングルカットはされませんでした。
アルバム『Born To Love』(邦題タイトル『愛に生きて』)からは、バラードの定番「Tonight, I Celebrate My Love」、キャロル・ベイヤー・セイガー(Carol Bayer Sager)とバート・バカラック(Burt Bacharach)がソングライトを手がけた心温まるバラードナンバー「Maybe」(1983年11月26日付全米R&Bチャート68位)、「Heaven Above Me」と同じプロデューサー陣によるミディアムスロー「You're Looking Like Love To Me」(1984年2月11日付全米R&Bチャート41位)の3曲がシングルヒット。

「Heaven Above Me」のプロデュースは、ボブ・ゴーディオ(Bob Gaudio)とボブ・クリュー(Bob Crewe)のコンビが担当。1960年代に活躍していたフォー・シーズンズ(The 4 Seasons)のメンバーがボブ・ゴーディオで、そのサウンドプロデューサーがボブ・クリューという関係です。さらに「Heaven Above Me」は、フォー・シーズンズのリードヴォーカル、フランキー・ヴァリ(Frankie Valli)のソロアルバム『Heave Above Me』(1980年)収録曲がオリジナル。ちょっとややこしい連携ですが、ベテランが手がけたいい曲だということだけ理解してくださいな。

ピーボ・ブライソンの個人的お気に入りナンバー。

1.「Tonight, I Celebrate My Love」←10thアルバム『Born To Love』収録
2.「Heaven Above Me」←10thアルバム『Born To Love』収録
3.「Blame It On Me」←10thアルバム『Born To Love』収録
4.「Can We Find Love Again」←10thアルバム『Born To Love』収録
5.「If Ever You're In My Arms Again」←11thアルバム『Straight From The Heart』収録
6.「Can You Stop The Rain」←16thアルバム『Can You Stop The Rain』収録
7.「A Whole New World」←17thアルバム『Through The Fire』収録
8.「Without You」←14thアルバム『Positive』収録
9.「Beauty And The Beast」←17thアルバム『Through The Fire』収録

上位4曲はすべて10thアルバム『Born To Love』収録曲ですね。ソングライター、プロデューサー、演奏陣と、ハイクオリティなメンバーが集結するアルバムだけに、機会があったらぜひ聞いてみてください。

バラードヒットの多いピーボ・ブライソンですが、シングルカットはされなかったものの、キラリ☆と光るアップナンバー「Heaven Above Me」は個人的評価☆☆☆☆☆(五つ星)のオススメ作品です。

■ピーボ・ブライソン■
1951年4月13日サウスキャロライナ州グリーンヴィル生まれ。14歳の時にアル・フリーマン&ザ・アップセッターズ(Al Freeman & The Upsetters)のシンガーとしてプロ活動をスタートし、1968年から1973年までの6年間はモーゼ・ディラード&ザ・テックス・タウン・ディスプレイ(Mose Dillard & The Tex-Town Display)に在籍。レコード会社のプロデューサー兼コンポーザーを務めていた1976年、マイケル・ゼイガー(Michael Zager)のゲストシンガーに迎えられ「Do It With Feeling」(1976年全米R&Bチャート25位)をシングルリリース。マイケル・ゼイガーは、ディスコクラシック「Let's All Chant」(1978年全米R&Bチャート15位)で知られている人物。「Do It With Feeling」のヒットが認められたピーボ・ブライソンは1976年に1stアルバム『Peabo』を発表し、1978年の2ndアルバム『Reaching For The Sky』から「Reaching For The Sky」(1978年全米R&Bチャート6位)が初のR&Bトップ10ヒットを記録。その後も、3rdアルバム『Crosswinds』(1978年)からの「I'm So Into You」(1979年全米R&Bチャート2位)、ナタリー・コールを迎えた共演アルバム『We're The Best Friends』(1979年)からの「Gimme Some Time」(1980年全米R&Bチャート8位)とヒットが続き、6thアルバム『Live & More』(1980年)でロバータ・フラックとのデュエットを初披露。「Let The Feeling Flow」(1982年全米R&Bチャート6位)のヒットが生まれた8thアルバム『I Am Love』(1981年)、ロバータ・フラックとの2度目の共演アルバム『Born To Love』(1983年)を経てエレクトラに移籍。後にホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)のデビューアルバム『Whitney Houston』(1985年)を手がけるマイケル・マッサー(Michael Masser)作の「If Ever You're In My Arms Again」(1984年7月14日付全米R&Bチャート6位)を収めた11thアルバム『Straight From The Heart』(1984年)、レジーナ・ベルとのデュエット「Without You」(1988年2月27日付全米R&Bチャート14位)収録の14thアルバム『Positive』(1988年)など4枚のアルバムを残し古巣のキャピトルに移る。移籍第1弾アルバム『All My Love』(1989年)からアル・ウィルソン(Al Wilson)のカバー「Show And Tell」(1989年7月1日付全米R&Bチャート1位)が初のR&Bナンバーワンを獲得するが、このアルバム1枚限りでキャピトルを離れコロムビアと契約。心機一転となる16thアルバム『Can You Stop The Rain』(1991年)からも、マライア・キャリー(Mariah Carey)のバラードで知られるウォルター・アファナシエフ(Walter Afanasieff)作の1stシングル「Can You Stop The Rain」(1991年8月17日付全米R&Bチャート1位~2週連続)が2曲目のR&Bのナンバーワンを記録。そして、ディズニーアニメ『美女と野獣』からのセリーヌ・ディオンとの共演「Beauty And The Beast」(1992年4月18日付全米チャート9位)に続いてリリースされたのが、初の全米ナンバーワンに輝くレジーナ・ベル(Regina Belle)とのデュエット「A Whole New World (Aladdin's Theme)」(ディズニーアニメ『アラジン』主題歌、1993年3月6日付全米チャート1位)である。17thアルバム『Through The Fire』(1994年)発表後、コロムビアからプライヴェートミュージックに移り、クリスマスアルバムと18thアルバム『Unconditional Love』(1999年)をリリースした。


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レヴァートの「Baby I'm Ready」

2005年06月24日 09時56分57秒 | 全米チャート

Levert今回は男性3人組R&Bグループ、レヴァート(LeVert)の「Baby I'm Ready」を紹介します。
キース・スウェット(Keith Sweat)、ジョニー・ギル(Johnny Gill)とのLSGや、前回取り上げた幅広いソロ活動など、多彩な活躍を見せるジェラルド・レヴァート(Gerald LeVert)も、もともとは兄弟グループのレヴァートがスタート地点です。

アダルトムード満点なバラードナンバー「Baby I'm Ready」は、4thアルバム『Rope A Dope Style』からの3rdシングルとしてカットされ、1991年7月27日付全米R&Bチャートでナンバーワンを獲得。ゆったり落ち着いたサウンドとジェラルド・レヴァートのディープな歌声は、まさにオトナの時間のBGMですよ。レヴァート作品の中でも1~2を争うシブさじゃないですかね??

この4thアルバムには、ファンキーな「Rope A Dope Style」(1990年12月1日付全米R&Bチャート7位)、泣きのバラード「All Season」(1991年3月9日付全米R&Bチャート4位)といった名曲がたくさん詰まってるのですが、なんてったってジャケットがツラいですよ…。一番左でヤンキー調サングラスをかけてるショーン・レヴァート(Sean LeVert)なんて、どう考えたって売れないヒップホップ系でしょ?? それにこのハデ(?)な衣装…。まあ、R&Bは見た目じゃないということでお許しくださいな。

参考までにR&Bチャートを調べると、上記4thアルバム『Rope A Dope Style』からの1stカット「Rope A Dope Style」が最高7位を記録した時の1位はホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)の「I'm Your Baby Tonight」、2ndシングル「All Season」が最高4位を記録した時の1位もホイットニー・ヒューストン「All The Man That I Need」でした。上には上がいると言うべきなのか、はたまた彼女が強すぎるのか、(過去に紹介した)フレディ・ジャクソン(Freddie Jackson)、ポートレイト(Portrait)も含め、ことごとくホイットニー・ヒューストンの前に玉砕です…。

レヴァートの個人的お気に入り曲。

01.「My Forever Love」←2ndアルバム収録
02.「Baby I'm Ready」←4thアルバム収録
03.「(Pop, Pop, Pop, Pop) Goes My Mind」←1stアルバム収録
04.「Casanova」←2ndアルバム収録
05.「Let's Go Out Tonight」←1stアルバム収録
06.「Sorry Is」←6thアルバム収録
07.「All Season」←4thアルバム収録
08.「abc-123」←5thアルバム収録

現時点においてレヴァート最後の全米R&Bナンバーワンヒットとなっている「Baby I'm Ready」は、個人的評価☆☆☆☆★(四つ星)のオススメ作品です。

■レヴァート■ 大御所フィリーソウルグループ、オージェイズ(The O'Jays)のエディ・レヴァートを父に持つジェラルド・レヴァートとショーン・レヴァート兄弟に、親友のマーク・ゴードン(Marc Gordon)が加わって1984年に結成されたR&Bグループ、レヴァート。インディレーベルからアルバム『I Get Hot』(1985年)をリリースし、1986年のアルバム『Bloodline』でメジャーデビュー。メジャー1stシングルとなったスローナンバー「(Pop, Pop, Pop, Pop) Goes My Mind」(1986年9月13日付全米R&Bチャート1位)が全米R&Bチャートで初のナンバーワンに輝くとともに、2ndアルバム『The Big Throwdown』(1987年)からの1stカット「Casanova」(1987年8月22日付全米R&Bチャート1位~2週連続)も堂々のR&Bナンバーワンをマーク。ちなみにこの「Casanova」はミッドナイト・スター(Midnight Star)のレジナルド・キャロウェイ(Reginald Calloway)がソングライト&プロデュースを担当している。1988年にはエディ・マーフィー(Eddie Murphy)主演映画『Coming To America』サウンドトラックからの「Addicted To You」(1988年10月1日付全米R&Bチャート1位~2週連続)が3曲目の全米R&Bナンバーワンを獲得。1988年の3rdアルバム『Just Coolin'』からの2ndシングル「Just Coolin'」(1989年3月11日付全米R&Bチャート1位)、1990年の4thアルバム『Rope A Dope Style』からの3rdシングル「Baby I'm Ready」(1991年7月27日付全米R&Bチャート1位)と、レヴァートはこれまでに5曲の全米R&Bナンバーワンヒットを量産。その後も、5thアルバム『For Real Tho'』(1993年)、6thアルバム『The Whole Scenerio』(1997年)とリリースを続けている。2006年11月10日、処方薬と一般薬の誤服用によりGerald LeVert死去。40歳の若さだった。

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ジェラルド・レヴァート

2005年06月20日 09時18分22秒 | 全米チャート

gerald_levert今回は男性R&Bシンガーソングライター、ジェラルド・レヴァート(Gerald LeVert)の「Thinkin' Bout It」を紹介しましょう。

ジェラルド・レヴァートに関しては、一度LSGのメンバーとしてピックアップしましたよね。ここではジェラルド・レヴァートのソロワークにスポットを当てて取り上げたいと思います。

フィリーソウルの大ベテラン、オージェイズのエディ・レヴァートを父に持ち、自らのグループ活動、ソロワーク、プロデュース業、新人発掘など、幅広い分野で大活躍。まさにサラブレッド中のサラブレッドと言えるのが、このジェラルド・レヴァートです。
ところが、アメリカでの成功にもかかわらず日本ではどうにも人気薄なのが苦しい現実で、1998年の3rdアルバム『Love & Consequences』(邦題『愛ゆえに』)以降、日本盤アルバムのリリースがないんですよ…。

その3rdアルバム『Love & Consequences』からの1stシングルとしてカットされたのが切ないオトコ心を歌った濃厚スローナンバーの「Thinkin' Bout It」です。
プロデュースはダレル・"ディライト"・アランビー(Darrell "Delite" Allamby)が担当し、1998年9月12日付全米R&Bチャート2位を記録。

1990年代中ごろから頭角を現してきたダレル・"ディライト"・アランビーは、ビリー・ローレンス(Billy Lawrence)の「Come On」(サウンドトラック『Set It Off』収録、1997年6月7日付全米R&Bチャート19位)を皮切りに、LSG「My Body」(1997年11月22日付全米R&Bチャート1位~7週間)、バスタ・ライムス(Busta Rhymes)「What's It Gonna Be」(1999年4月3日付全米R&Bチャート1位)、シルク(Silk)「If You (Lovin' Me)」(1999年4月3日付全米R&Bチャート4位)などのヒット曲プロデュースで知られています。

ジェラルド・レヴァートと言えば、第45回(2003年開催)グラミー賞最優秀サウンドトラック賞受賞『Standing In The Shadow Of Motown』の中でフォー・トップス(Four Tops)のカバー「Reach Out I'll Be There」を熱唱していました。なかなかポップシーンに出てこない人なので、今は亡きジェラルド・レヴァートを知る(見る)最大の機会がこのサウンドトラックor映画なのかもしれません。

ジェラルド・レヴァートの個人的お気に入り曲。

01.「Baby Hold On To Me」(1stアルバム収録)
02.「Private Line」(1stアルバム収録)
03.「How Many Times」(2ndアルバム収録)
04.「Thinkin' Bout It」(3rdアルバム収録)
05.「School Me」(1stアルバム収録)
06.「Answering Service」(2ndアルバム収録)
07.「Made To Love Ya」(5thアルバム収録)
08.「Closure」(6thアルバム収録)
09.「U Got That Love (Call It A Night)」(7thアルバム収録)
10.「So What (If You Got A Baby)」(8thアルバム収録)

とりあえず個人名義でシングルカットされた曲の中からピックアップしましたが、アルバム曲、ゲスト参加曲、お父さんとの曲、グループとしての曲なんかを集めてジェラルド・レヴァートの個人的ベストアルバムを作りたくなっちゃいますよね?? まあ、夜にしか聞けない内容になると思いますが…。

ジェラルド・レヴァートの「Thinkin' Bout It」は個人的評価☆☆☆☆★(四つ星)のオススメ作品です。

■ジェラルド・レヴァート■ 1966年7月13日オハイオ州クリーブランド生まれ。父はオージェイズ(The O'Jays)のエディ・レヴァート(Eddie LeVert)。1985年、親友のマーク・ゴードン(Marc Gordon)、弟のショーン・レヴァート(Sean LeVert)とともにレヴァートを結成。レヴァートは、インディレーベルから1曲のシングルをリリースした後、大手アトランティックレコードと契約。1986年の1stアルバム『Bloodline』を皮切りに1997年のアルバム『The Whole Scenario』まで6枚のアルバムを発表し、5曲もの全米R&Bナンバーワンヒットを生み出している。ソロとしてはミキ・ハワードの2ndアルバム『Love Confessions』(1988年)からの2ndシングル「That's What Love Is」(1988年全米R&Bチャート4位)にデュエットで初参加。その後プロデュースワークも積極的に手がけるようになり、グループ活動と並行してトゥループ(Troop)やルード・ボーイズ(Rude Boys)といった新人グループを発掘。レヴァートの4thアルバム『Rope A Dope Style』(1990年)発売後の1991年、初のソロアルバム『Private Line』をリリース。ファンキーな1stシングル「Private Line」(1991年12月14日付全米R&Bチャート1位)、父親エディ・レヴァートを迎えた極上スローバラードの2ndシングル「Baby Hold On To Me」(1992年2月29日付全米R&Bチャート1位)と、2曲連続でR&Bナンバーワンを獲得。その後も、2ndアルバム『Groove On』(1994年)、3rdアルバム『Love & Consequences』(1998年)、4thアルバム『G』(1999年)、5thアルバム『Gerald's World』(2001年)、6thアルバム『The G Spot』(2002年)、7thアルバム『A Stroke Of Genius』(2003年)、8thアルバム『Do I Speak For The World?』(2004年)、デュエットコンピレーションアルバム『Voices』(2005年)と、コンスタントに作品を発表。2006年11月10日、処方薬と市販薬の誤服用により帰らぬ人となる。生前に録音されていたラストアルバム『In My Songs』は2007年3月3日付全米R&Bアルバムチャート初登場1位を記録。どのアルバムをピックアップしても、シブいバリトンヴォイスが奏でる濃密なスローバラードの数々が、ジェラルド・レヴァートならではのハイクオリティな世界を楽しませてくれる。1995年には父親エディ・レヴァートとの共演アルバム『Father And Son』から、1stシングル「Already Missing You」が1995年11月11日付全米R&Bチャート7位のヒットを記録。キース・スウェット(Keith Sweat)、ジョニー・ギル(Johnny Gill)とともにスペシャルユニットのLSGを結成し、『Levert, Sweat, Gill』(1997年)、『LSG2』(2003年)と、2枚のアルバムを発表した。

DSC00038全然関係ありませんが、現在ハワイに来ています。ホノルルのKIKI (93.9MHz)では、マライア・キャリーの「We Belong Together」と、グウェン・ステファニーの「Hollaback Girl」が大量にかかってます。2005年6月18日、オアフ島 カエナポイントにて。

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タミアの「Stranger In My House」

2005年06月16日 17時20分47秒 | 全米チャート
Tamia

今回はカナダ出身の女性R&Bシンガー、タミア(Tamia)の「Stranger In My House」を紹介しましょう。

タミアも先に紹介したテヴィン・キャンベル(Tevin Campbell)同様、クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)の秘蔵っ子として輝かしいデビューを飾りました。クインシー・ジョーンズの「You Put A Move On My Heart」にヴォーカル参加して以来、1stアルバムがリリースされるまでの期間に数多くのアルバムゲストとして迎えられ、天才シンガーぶりを発揮しています。

空虚な気持ちを切なく歌い上げるスローバラード「Stranger In My House」は、2ndアルバム『A Nu Day』(2000年)からの2ndシングルとしてカットされ、2001年4月14日付全米R&Bチャートで3位をマーク。
プロデュースは、アンソニー・"シェップ"・クロフォード(Anthony "Shep" Crawford)が担当。デボラ・コックス(Deborah Cox)「Nobody Supposed To Be Here ←感動の名曲!」(1998年11月7日付全米R&Bチャート1位~14週連続)、シスコ(Sisqo)「Incomplete」(2000年8月5日付全米R&Bチャート1位~5週間)、ルーサー・ヴァンドロス(Luther Vandross)「I'd Rather ←涙の名曲!」(2002年5月4日付全米R&Bチャート40位)といった叙情作で知られているプロデューサーです。

ちなみにこの「Stranger In My House」はダンスリミックスもリリースされていて、サンダーパス(Thunderpuss)、ヘックス・ヘクター(Hex Hector)などの豪華リミキサー陣が集結。2001年3月3日付全米ダンスチャートで堂々のナンバーワンを獲得しています。

男性ラッパー、ファボラス(Fabolous)に「Into You」(2003年8月23日付全米R&Bチャート6位)というヒット曲がありましたよね?? メロウなトラックをバックにファボラスと女性ヴォーカルがコラボレートするナンバーです。この曲、もともとのアルバムバージョンではアシャンティ(Ashanti)が歌ってたんですよ。ところが、いざシングルカットする際にプロモーションビデオをアシャンティと撮影しようとしたところ、売れっ子のアシャンティはファボラスとスケジュールが合わず、急きょ女性ヴォーカル部分をタミアに入れ替えて撮影&再レコーディング。タミアの代理にアシャンティというなら理解できますが、アシャンティのピンチヒッターがタミアでしょ! この時、タミアの時代は終わったんだなと実感しましたよ…。

個人的タミアのお気に入り曲(ゲスト参加作品を含む)。

01.「You Put A Move On My Heart」←クインシー・ジョーンズのゲスト
02.「Stranger In My House」
03.「Spend My Life With You」←エリック・ベネイのゲスト
04.「Slow Jams」←クインシー・ジョーンズのゲスト
05.「So Into You」
06.「Officially Missing You」

う~ん、ゲスト作品が多いですね。いっそのことテヴィン・キャンベルとデュエットなんていうのも説得力があっていいのではないでしょうか??

R&Bシーンでもダンスシーンでもヒットを記録した「Stranger In My House」は、個人的評価☆☆☆☆★(四つ星)のオススメ作品です。

■タミア■
1976年5月9日カナダのオンタリオ州生まれ。6歳のころから教会で歌い始め、10歳で演劇とヴォーカルのレッスンに通う。地元の聖歌隊や劇団公演でパフォーマンスを披露し、カナダ国内のさまざまな賞を獲得。7万5千人を集めたマルルーニ首相の記念行事をはじめ、フリオ・イグレシアス(Julio Iglesias)、ケニー・ロギンス(Kenny Loggins)などが出演するチャリティイベントにも参加。1994年、タミアのマネージャーがルーサー・ヴァンドロス(Luter Vandross)の誕生パーティを主催し、その席でクインシー・ジョーンズと初めて出会う。後日、ラスベガスで開催されたカナダ人アーティストの授賞式にクインシー・ジョンズが列席。偶然にもタミアへのプレゼンターを務めたクインシー・ジョンズは、自らのアルバム『Q's Jook Joint』(1995年)へのゲスト参加を打診。こうして生まれたのが、タミアの出世作「You Put A Move On My Heart」である。アルバム『Q's Jook Joint』からの1stシングルとしてカットされた同曲は1996年1月27日付全米R&Bチャートで16位を記録。以前ポートレイト(Portrait)紹介時にも書いたとおり、アルバム『Q's Jook Joint』からの2ndカット「Slow Jams」(1996年4月27日付全米R&Bチャートで19位)のシングルバージョンには、アルバムバージョンで歌っていたSWVに替わってタミアがヴォーカル参加。次いで、ブランディ(Brandy)、グラディス・ナイト(Gladys Knight)、チャカ・カーン(Chaka Khan)との豪華競演シングル「Missing You」(1996年10月26日付全米R&Bチャート10位)がサウンドトラック『Set It Off』(1996年)からの1stシングルとして大ヒット。そのほかにも、サウンドトラック『The Associate』(1996年)、LLクールJのアルバム『Phenomenon』(1997年)、サウンドトラック『Speed 2: Cruise Control』(1997年)にゲスト参加を果たし、1998年待望のデビューアルバム『Tamia』を発表。アルバムからは、「Imagination」(1998年5月2日付全米R&Bチャート12位)、「So Into You」(1998年9月26日付全米R&Bチャート7位)、「Loving You Still」(1999年3月6日付全米R&Bチャート78位)の3曲がヒット。エリック・ベネイ(Eric Benet)の2ndアルバム『A Day In The Life』(1999年)では、2ndシングル「Spend My Life With You ←名曲!」(1999年9月18日付全米R&Bチャート1位~2週連続)で見事なデュエットを披露。続く2ndアルバム『A Nu Day』(2000年)からは、「Can't Go For That」(2000年10月7日付全米R&Bチャート23位)、「Stranger In My house」(2001年4月14日付全米R&Bチャート3位)、「Tell Me Who」(2001年7月7日付全米R&Bチャート63位)の3曲がシングルカットされ、2004年の3rdアルバム『More』も、「Officially Missing You」(2003年10月4日付全米R&Bチャート31位)、「Questions」(2004年4月24日付全米R&Bチャート40位)、「Still」(2004年11月20日付全米R&Bチャート83位)と、3曲のシングルヒットを生み出した。2004年には、ビヨンセ(Beyonce)、アリシア・キーズ(Alicia Keys)、ミッシー・エリオット(Missy Elliott)とともに《Ladies First Tour》を開催。1999年に現NBAオーランド・マジックの人気プレイヤー、グラント・ヒル(Grant Hill)と結婚。現在は1児(女の子)の母。


quincy_jonesクインシー・ジョーンズとタミアがアルバム『Q's Jook Joint』のプロモーションで来日した際にサインをもらいました。クインシー・ジョーンズのサイン(クインシーの頭の部分あたり)が「クインシー」とカタカナなってますよね。日本が好きみたいで、いつも決まったホテル(@銀座)に泊まるそうです。

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テヴィン・キャンベルの「One Song」

2005年06月13日 15時51分23秒 | 全米チャート
tevin_campbell

今回は男性R&Bシンガー、テヴィン・キャンベル(Tevin Campbell)の「One Song」を紹介します。

クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)がプロデュースを手がける「One Song」は、デビューアルバム『T.E.V.I.N.』(1991年)に収録されていたミディアムチューンで、シングルカットはされませんでしたが、伸び伸びと歌う魅力的な高音域テノールと壮大なクインシー・ジョーンズのサウンドが光る珠玉のナンバーではないでしょうか。

最終的にアルバム『T.E.V.I.N.』からは実に7曲ものシングルヒットが生まれました。どうして「One Song」をシングルリリースしなかったのかは分かりませんが、最終シングル「Confused」(1993年2月13日付全米R&Bチャート33位)をカットするぐらいであれば、この「One Song」のほうが格段にクオリティが高いと思うんですけどね、個人的には…。

まあシングルカットはされませんでしたが、1992年のバルセロナオリンピック記念アルバム『Barcelona Gold』に、フレディー・マーキュリー(Freddie Mercury)、ロッド・スチュワート(Rod Stewart)、マドンナ(Madonna)、エリック・クラプトン(Eric Clapton)などの大物アーティストと肩を並べて、堂々と「One Song」も収録されていました。

オリンピック記念アルバムと言えば、1996年のアトランタオリンピック記念アルバム『Rhythm Of The Games 1996 Olympic Games Album』にもベイビーフェイスのプロデュースによるスローナンバー「The Impossible Dreams」を収録。2大会連続で記念アルバムに参加しているのはテヴィン・キャンベルだけです。

クインシー・ジョーンズの秘蔵っ子として華々しいデビューを飾って15年。最初の5年は絶好調でしたが、次の5年がやや下り坂傾向。それ以降の5年はチャート上で名前を見るとも少なくなってしまいました。
あんなに歌のうまい子だったのに…と思うと、全米エンターテインメント業界の厳しさを実感しますよね。ぜひ、いつの日か逆転ホームランを打ってほしいものです☆

テヴィン・キャンベルの個人的お気に入り曲。

01.「Can We Talk」
02.「Tomorrow (A Better You, Better Me)」
03.「Tell Me What You Want Me To Do」
04.「One Song」
05.「Knocks Me Off My Feet」←スティーヴィー・ワンダーのカバー
   ※サウンドトラック『A Thin Line Between Love & Hate』(1996年)収録
06.「Goodbye」
07.「Always In My Heart」

名曲の多いテヴィン・キャンベルの中でもなぜかシングルカットされなかった「One Song」は、個人的評価☆☆☆☆★(四つ星)のオススメ作品です。

■テヴィン・キャンベル■
1976年11月12日テキサス州生まれ。3歳のころから教会で歌い始め、大御所プロデューサー、クインシー・ジョーンズに認められ、クインシー・ジョーンズのアルバム『Back On The Block』(1989年)にシンガーとして大抜てき。わずか13歳で歌った「Tomorrow (A Better You, Better Me)」が1990年6月16日付全米R&Bチャートでナンバーワンに輝き、天才少年デビューとマスコミから大絶賛を受ける。プリンス(Prince)もテヴィン・キャンベルを高く評価し、プリンス総指揮映画『Graffiti Bridge』への出演を果たすとともに、サウンドトラックからの「Round And Round」(1990年12月8日付全米R&Bチャート3位)も大ヒット。満を持してリリースされたデビューアルバム『T.E.V.I.N.』(1991年)からは、サウンドトラック『Boyz N The Hood』収録の「Just Ask Me To」(1991年9月21日付全米R&Bチャート9位)をはじめ、「Tell Me What You Want Me To Do」(1992年1月18日付全米R&Bチャート1位)、「Goodbye」(1992年4月25日付全米R&Bチャート2位)、「Strawberry Letter 23」(1992年7月25日付全米R&Bチャート40位)、「Alone With You」(1992年10月10日付全米R&Bチャート1位)、「Conufsed」(1993年2月13日付全米R&Bチャート33位)が次々とヒットチャートを駆け上り、先の「Round And Round」も含め、7曲ものシングルヒットが生まれるモンスターアルバムとなった。1993年の2ndアルバム『I'm Ready』では、1stシングル「Can We Talk」(1993年12月25日付全米R&Bチャート1位~3週連続)、2ndシングル「I'm Ready」(1994年4月23日付全米R&Bチャート2位)、3rdシングル「Always In My Heart」(1994年8月13日付全米R&Bチャート6位)と、ベイビーフェイスのプロデュース作品がヒットを記録するものの、3rdアルバム『Bac To The World』(1996年)、4thアルバム『Tevin Campbell』(1999年)とセールスは下降線をたどってしまう。ベストアルバム『The Best Of Tevin Campbell』(2000年1月国内盤発売)以降、最新作はりリースされていない。


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