旅慣れた二人のお気に入り

北から南から有名な場所を巡り 旅行した中でのすばらしき大きな感動を得られたお気に入りの場所です。

二尊仏

2013-04-05 09:05:35 | 日記




  二尊仏の間から、スカイツリーが見えています。

二尊仏

 宝蔵門の手前で、右側に大きな露座の大仏が2基並んで建っています。
 人呼んで濡れ仏とも言われる、二尊仏であります。

 観音・勢至の二菩薩、金銅坐像である。

 貞享4年(1687)、今の群馬県館林の在、板倉町大久保の
 高瀬善兵衛直房が、主家 江戸の米問屋 成井善三郎の没落を
 悼み、菩提を弔うために建立。

 この二尊仏は浅草大仏とも呼ばれ、江戸初期を代表する
 すぐれた仏像と言われます。

 二尊仏の傍らには、その由来を紹介する碑銘があり、英文のもあります。

台東区教育委員会の碑銘に書かれています内容です。

「濡れ仏」の名で知られる、この二尊仏は、観音(右)、勢至(左)
 二菩薩の金銅坐像で、像の高さは共に2,36メートル
 蓮台を含めれば、4,54メートルに及ぶ。

 基壇の組石は、長さ約12メートル、幅6,21メートル
 高さ1,5メートルとなっている。

 蓮台座銘によれば、願主は上野国(群馬県)館林在大久保村の高瀬善兵衛

 かって奉公した、日本橋伊勢町の米問屋 成井家より受けた恩を謝し、

 観音像は、旧主善三郎の菩提を弔うため、勢至像は、その子次郎助の繁栄を
 祈るため、貞享4年(1687)8月に造立した。

 江戸時代初期の優秀な鋳造仏の一つで、神田鍋町の太田久衛門正儀の作。
 安永6年(1777)2月、高瀬仙右衛門が施主、千住の高瀬奥右衛門が
 願主となり、修理したことが観音像銘に追刻されている。

 平成10年5月 台東区教育委員会となっています。


 高瀬家は回船問屋として栄えた豪商で当時は
 「利根川の水は涸れても、高瀬の金は尽きまじ」と言われてます。
 浅草寺の境内に故人を弔うために、二尊仏を造立出来るとは
 本当にすごい力を持つ豪商だったのが、それだけでも窺い知れますね。
 浅草寺には普通のお寺のような、境内に檀家のお墓はありません。