臼杵城の周辺の風景
かって臼杵城は丹生島(にうじま)という島に造られた城で
回りを海に囲まれた海城でしたが、その後臼杵城は稲葉氏
により改築され、明治初年に城郭のほとんどは破却されました。
明治6年(1873)明治新政府は全国の城郭を残すものと
残さないものとに分けました。(城郭存廃決定)
軍の施設にならなかった臼杵城は廃城と決定され、本丸・二の丸
は当時、新政府が進めていた公園制度による「公園地」に
指定され、三の丸は宅地となりました。
今は埋め立てられ、この写真のように周辺は家に囲まれて
昔、島であった面影はまったく見あたらず残っていません。