旅慣れた二人のお気に入り

北から南から有名な場所を巡り 旅行した中でのすばらしき大きな感動を得られたお気に入りの場所です。

上杉鷹山公・「伝国の辞」・ケネディ大統領

2009-11-28 14:10:17 | 日記
 上杉鷹山公



 宝暦元年(1751)日向国(宮崎県)高鍋藩秋月家の二男として江戸に生まれ
 9歳で上杉家の養子となる。

 鷹山とは隠居後の雅号で幼名は松三郎、元服後は治憲を名乗り、17歳で家督を相続して
 米沢藩10代藩主になった。

 当時、藩財政は著しく貧窮していたため鷹山公は大規模な緊縮財政と漆(うるし)・桑等の
 大量植樹や製紙・織物等の産業開発による殖産興業政策を実行し、自ら木綿の服に一汁一采の
 食事という倹約を実践、自ら田に鍬を入れ「籍田の礼」を行う

「成せば成る 為さねば成らぬ 何事も成らぬは人の為さぬなりけり」の和歌は鷹山公が
 残した教訓として有名。

 今や置賜地域の特産品として名高い米沢織や笹野一刀彫、成島焼、コイの養殖等を
 奨励し、発展させたのも鷹山公である。行政改革の先駆者として名高い。
 鷹山の袴・・いつも身に着けていた鷹山の袴を直江袴と言うんだそうです、直江廉続が考案
 したものを鷹山は仕事着として常に着用しており、後の女性のモンペと形を変えてゆくことに
 なったとか言われています。

 また「してみせて 言って聞かせて させてみる」 この言葉も残している。

  私はとっても気に入っているので相棒にも伝えていますが反応なし?

「受次ぎて国の司の身となれば、忘れるまじきは民の父母」

 上杉鷹山が17歳で米沢藩主となった時の決意を込めた言葉である。
 わずか17歳の鷹山がそこまで自分を律し、米沢藩のため愛情をもってつくす決意には
 感動します。相棒にも少し自分を律して欲しいものです?

「伝国の辞」

 上杉鷹山が家督を譲るに当たり、藩主の心得として伝授したのが「伝国の辞」
 境内に「伝国の辞」の石碑があります。

 一、国家は先祖より子孫へ伝え候
 一、国家にして我私すべき物には無之候
 一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物には無之候
 一、国家人民の為に立たる君にして君の為の立てたる国家人民には無之候

 右三条御遺念有るまじく候事

 「伝国の辞」は上杉家の明治版籍奉還に至るまで代る家督相続者に家訓として伝承された。
 35歳で隠居した後も藩の財政復興に携わり、晩年には軍用金の備えも出来るほどに
 財政は改善したという。
 鷹山公は文政5年(1822)72歳でこの世を去ったが、その人柄や画期的な改革や政治姿勢が
 今日でも称賛されている。

 その名君としての評価は、日本国内にとどまらず、ケネディ米国大統領をして
「最も尊敬する日本人」と言わしめたという。



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