奥の院の左側の大仏殿
石段終着点の左側にあるのが大仏殿である、左側の大仏殿にはピカピカの像。
高さ5mの金色の阿弥陀如来像が安置されており、毎日、卒塔婆供養が行われています。
また、大仏殿の奥には沢山の絵馬が奉納されている。左側の写真です。
奥の院の右側の如法堂
石段の終着地点、右の建物が奥の院
参道の終着点にあることからそう呼ばれ、正式名称を「如法堂」と言う
明治5年(1872)の再建
慈覚大師が中国で修行中に持ち歩いた釈迦如来と多宝如来を本尊とする写経道場。
奥の院(如法堂)の写経
「奥の院(如法堂)」には今も残る4寺院から交互に僧侶がお務めにきて
「一字三礼の法」の写経をしています。
これは一文字書くたびに、五体を地に投げて三度礼拝する、このやり方で一日に
七行半づつ4年かけてつとめる。
この折「石墨草筆」と言って石器時代の堅い石の墨で磨る、少しも減らないそうで
たまに血のような色も出ると言う、こうして行われた写教が百丈岩の赤い「納経堂」に奉納される
金灯篭
写真右の建物奥の院(如法堂)の階段下、手前に見えるのが大きな金灯篭です。
宮城県の金華山・香川県の金毘羅山のものと、ともに日本三大灯篭に数えられる。
石段終着点の左側にあるのが大仏殿である、左側の大仏殿にはピカピカの像。
高さ5mの金色の阿弥陀如来像が安置されており、毎日、卒塔婆供養が行われています。
また、大仏殿の奥には沢山の絵馬が奉納されている。左側の写真です。
奥の院の右側の如法堂
石段の終着地点、右の建物が奥の院
参道の終着点にあることからそう呼ばれ、正式名称を「如法堂」と言う
明治5年(1872)の再建
慈覚大師が中国で修行中に持ち歩いた釈迦如来と多宝如来を本尊とする写経道場。
奥の院(如法堂)の写経
「奥の院(如法堂)」には今も残る4寺院から交互に僧侶がお務めにきて
「一字三礼の法」の写経をしています。
これは一文字書くたびに、五体を地に投げて三度礼拝する、このやり方で一日に
七行半づつ4年かけてつとめる。
この折「石墨草筆」と言って石器時代の堅い石の墨で磨る、少しも減らないそうで
たまに血のような色も出ると言う、こうして行われた写教が百丈岩の赤い「納経堂」に奉納される
金灯篭
写真右の建物奥の院(如法堂)の階段下、手前に見えるのが大きな金灯篭です。
宮城県の金華山・香川県の金毘羅山のものと、ともに日本三大灯篭に数えられる。