人柱およし伝説
天守閣建造の折、土台となる石垣の構築はたび重なる崩壊があり、
石垣の崩壊に頭を悩ませた普請奉行は当時の慣習であった
人柱を決め、神路村(かみこむら・現大和町神路)の
百姓 吉兵衛の美しい一人娘およしに白羽の矢が立ちました。
およしは数え年17歳であったと伝えられる。
命令は絶対です、名主も村の者もそれだけは出来ないと頼みましたが
およしは泣く泣く城の中心となる土の下に生きたまま
人柱として生き埋めにされました。
絶世の美人で、里の小町と言われたおよしは白のりんずの振袖に
白の献上帯をしめ、城山の露と消えたと伝えられます。
その後、石垣からおよしの泣き声が聞こえるようになり
哀れに思った善光寺の住職が供養を行い、祠を建てたと伝えられています。
現在、天守閣前にはおよしの霊を祀る観音堂があります。
善光寺にはおよしの稲荷があって、8月3日には慰霊祭が欠かさず行われています。
今でも、城の石垣に向かって「およし、およし」と声をかけ手をたたくと
そのこだまが、およしの泣き声に聞こえる場所があるという
言い伝えが残っているそうです。(城内案内板より)
可哀想なお話ですね、今でも天守閣の真下の土の中にいるわけですよね。