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畑に咲く花

家庭菜園の野菜を残したら、
どんな花が咲くのやら、楽しみが増えそう

忘年会

2013年12月16日 | 鬼瓦
 写真くらぶの例会。
この写真は提出しませんでした。
Y型の木が邪魔でも、切るわけにも。
鬼瓦も逆光で肝心の表情がはっきりしません。
酷評されるのは見え見えでした。



 終わった後忘年会です。
飲めない人や今まで飲んでいたのにストップがかかっている人、
だんだんと量が減ってきましたね。
撮影会に行くとお昼には必ず飲んでいたのが昔話しになってしまいました。

八時過ぎに帰ってきたらもうお帰りですかの一言でした。

東京へ

2013年05月20日 | 鬼瓦
 今月の写真くらぶは撮影会でした。
建て替えが完了した歌舞伎座と浅草の神輿に。

 浅草神社の三社祭、三日間の期間に100万人以上の見物人が訪れるという。昨日は最終日で歩くのも大変、写真を撮るにも狙うこともできません。
カメラを持ちあげてシャッターを押すだけです。

 

 浅草寺界隈には鬼瓦がたくさんありました。
お寺の建物や、遊園地(花やしき)、仲見世の屋根にも、



 こちらのほうが楽しく一杯撮ってきました。
あまりの混雑で仲間にはぐれてしまう。



 4階(?)まで上れてそこから街を見下ろせるという話でしたが、
鬼瓦が気にいらなかったので帰ってきてしまいました。
 
 

 

鬼瓦

2013年03月23日 | 鬼瓦
 今鬼瓦を撮り続けています。
桜と一緒に可愛くと思っていますが、高い屋根の上でなか々思い通りには。

 鬼瓦にはこんな話があるそうです。
都に仕事で上京し(今でいう単身赴任でしょうか)お寺巡りをしている時、
屋根の鬼瓦を見つけました。顔をしみじみ眺めていると国もとに残したきた妻を思い出し、泣きだしてしまいました。

 

 付き人は、怒った時のグワっと開いた口が似ているとはやしたてます。



 そんなに怖かったら都に住みついてしまうでしょうね。
寂しさを思い出して泣きだしてしまうくらいなので、
優しくて、朗らかな思いやりのある妻だったに違いありません。

 えー
ブルーメ算とこはですか?



 こんなところでしょうか。
跳ッ返りで手がつけられません。



 
 

立春

2013年02月04日 | 鬼瓦
 とうとう立春を迎えてしまいました。
さぼっていた訳ではありません。
ブログを書いても文章がまとまらず下書きで終わり頭を掻いてます。
 きのうは節分。
新聞を読んでいたら鬼と女性はとても縁がある事。
鬼は外といって鬼を邪見に扱っているのに、
屋根に鬼瓦を乗せて災いを防いでいてもらいます。
 そしたら鬼瓦を撮りたくて走り回りました。
鬼面が彫刻されていない瓦も鬼板というそうです。
これはちょっとした古い家、大きな家にはあるのですが、
 鬼を彫刻した瓦を見つけるには時間がかかりました。



この後の文章が出てきませんでした。

 鬼婆という言葉はあるけど、鬼爺とは聞いたことがありません。
時々家にも現れます。
 遅く帰ってきた時、洗濯物がしまってない。お米を洗ってないと。
反対にこちらが遅くなった時、風呂を準備することはありません。
 
 災いを防ぐ存在の鬼だけならいいのだが。 




 

二日目

2013年01月19日 | 鬼瓦
 ここの家には蔵があって現在も使われていて。
そこに味噌を保存させて頂いてます。



 鬼瓦には家紋が。揚羽蝶といえば平清盛を思い出します。
主は桶狭間で今川義元が負け逃げてきた人が先祖だといっています。
江戸時代の末期、本家が村の代官役、(貧乏旗本で住む農民を代官にしたそうです。役目は江戸に住んでいた旗本に年貢代を納める仕事なので農民でもよかった)分家なので名主の時もあったそうです。



 今日は豆を煮るだけなので楽です。
1940年代このあたりはどこの農家でも豚を飼っていました。
その餌を作るため大きな釜を持っていました。
その名残です。

 明日が味噌作り、
早い人は6時出勤。普段でも犬の散歩や6時には朝ごはんを食べる人がいて、その人が引き受けてくれました。大豆を温めて、8時から味噌作り、
その間にもう一釜を茹でて、味噌を仕込みます。

 夜は写真くらぶの新年会で帰りが遅くなりますのでコメントを閉めて出かけます。


足元

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