ハーベスト・タイム『収穫の時』

毎月発行の月刊紙『収穫のとき』掲載の聖書のお話など。

◆6月号◆ 愛の随想録(29)「ピンチはチャンス」

2009-06-01 | 愛の随想録
変化を好まない体質
 地球を取り巻く環境は、激変しつつある。誰もが、従来通りのエネルギー消費を前提とした経済活動や日常生活は成り立たないことを肌で感じている。その結果、世界の諸国における「国造りの議論」は、極めて「哲学的」なものに傾斜しつつある。今人類が直面している最重要課題は、食糧問題と、エネルギー問題である。将来を展望する議論が、形而上学的な内容になるのは当然のことである。
 では、そのような世界の潮流の中で、我が国日本はどこに向かおうとしているのか。残念ながら、日本の政界や経済界の議論の中には、将来この国をどういう形にしたいのかという「哲学的議論」が欠落している。むしろ、今直面しているさまざまな課題を、旧態依然とした手法で解決しようとしているように感じる。この手法では、一時しのぎにはなっても、将来により大きな禍根を残すことになる。私たち日本人は、この国の将来像について、なぜ「哲学的な議論」をしない、あるいは、できないのであろうか。その理由は、変化を嫌い、現状維持を望む人が多いからではないか。しかし、現状維持は、保身体質と怠惰な習性を生み出すことにつながる。

危機意識の共有
 国家に関して言えることは、どのような組織に関しても言えることである。
 激変する政治・経済状況の中で、倒産の危機に直面している企業は多い。今は、大企業から町工場に至るまで、すべての企業にとって非常に厳しい時代である。危機に直面している企業では、リーダーの責任は極めて大きい。このままでは倒産すると感じた時、リーダーはどのような行動を取るべきか。何よりも優先させるべきことは、「危機意識の共有」である。つまり、現状がいかに厳しいものであるかを全社員に理解させ、危機を乗り越えるために総力を結集することである。その場合、危機の内容と深刻さについて、ことあるごとに語り続ける必要がある。また、言葉だけでなく、リーダーが率先して「画期的な行動」を起こす必要がある。さらに、企業を永続させるために、今どのような手を打てばよいかを論じる必要もある。この議論は、当然「哲学的」なものにならざるを得ない。自分たちの会社の存在目的は何か、その目的から逸れていることはないか、もしあるなら、その無駄を省くためにはどうしたらいいのか。
 変革を求めるリーダーにとっての最大の敵は、社内にいる「現状維持派」である。彼らは、保身と怠惰を具現した社員たちであり、組織の中のガン細胞である。悪性の細胞が良性に変化する可能性がないなら、リーダーが取るべき道は二つに一つしかない。ガン細胞が活発に動かないようにその力を封じ込めてしまう(権限を剥奪する)か、義性を払ってでも摘出手術(退職勧告)をするかの、いずれかである。どの道を選ぶにしても、大切なことはリーダーの「本気力」である。リーダーが本気で改革に挑もうとしているかどうかは、すぐに組織の構成員たちに伝わる。

人生の危機を乗り越える
 国家レベルで、また企業レベルで言えることは、個人レベルでも言える。
 私の知り合いに、体調不良であるが決して診断を受けに行かない人がいた。その理由を聞いてみると、どうやら、診断結果が悪い場合のことを恐れて、行動が起こせないようなのだ。気持は分かるが、それでは取り返しのつかないことになりかねない。その人の行動が鈍った原因は、危機意識が希薄だったからである。つまり、何らかの危機は感じていたのだが、深刻さの理解が不足していたのである。もし自分の健康が重大な危機に直面していることが分かったなら、その人は直ちに医師を訪ねていたことであろう。
 
 ルイス・パラウ師と言えば、世界的に有名なアルゼンチン人の大衆伝道者である。筆者は何度も彼のメッセージを聞いたことがあるし、通訳のお手伝いをさせていただいたこともある。ラテン系独特の陽気さを持った伝道者で、特に南米では圧倒的な支持を受けている。そのパラウ師も、人生の危機を乗り越えた一人である。
 青年時代に彼は、英国から来たチャーリー・コーヘンというユダヤ人クリスチャン(二〇歳)に導かれて、信仰に入った。当時彼は寄宿学校で学んでいたが、そこから毎週、コーヘン宅で行われる聖書研究会に通っていた。それが一年ほど続いたが、ティーンエイジャーであった彼は、次第に神から離れて行き、およそ二年にわたる「空白の時期」を過ごすことになる。彼は、信仰のない友人たちの価値観に自分を合わせながら生きるようになった。ある時、友人たちと一週間にわたるカーニバル(放蕩と飲酒の祭りである)に行こうという相談がまとまった。それは、感謝祭の休暇シーズンのことであった。
 当時彼は、祖父母とともに教会には通っていたが、祈りの生活は完全に停止していた。ところが、カーニバルに出かける前夜、彼は祈るようにとの強い促しを受けた。カーニバルに行くべきではないと分かっていたが、友人たちのことを考えると、断る勇気がなかった。もしカーニバルに行くなら、自分の人生が破船状態に陥ることは分かっていた。彼は、人生の曲がり角に立っていたのだ。その夜、彼はこう祈ったという。
 「主よ、もしあなたがこの状況から私を助け出してくださるなら、私はこの世との関係を断ち切り、あなたにお仕えします」
 そして、驚くべきことが起こった。翌朝目覚めると、なんと彼の口がテニスボールほどの大きさに腫れていたのだ。彼はこれを、神からの劇的な答えであると理解し、早速友人の一人に電話してカーニバルには行かないと伝えた。その朝が、彼の人生の再出発の時となった。彼は新しい聖書を購入し、それまで住んでいたブエノスアイレスを去って、両親と四人の姉妹たちが住むコルドバに向かった。それに続く数年間は、彼にとっては、伝道者になるための霊的土台を築く時となった。

 パラウ師の体験は、すべての人が自分の人生に適用できる教訓を含んでいる。私たちの人生にも、自分はどのように生きたいのかを決めなければならない時がやって来る。そしてそれは、往々にして、危機とともにやって来るのだ。
 「ピンチはチャンスである」。このことは、国家に関しても、企業に関しても、また、個人に関しても言えることである。