ハーベスト・タイム『収穫の時』

毎月発行の月刊紙『収穫のとき』掲載の聖書のお話など。

◆1月号◆ 愛の随想録(36)必要不可欠なものとは

2010-01-01 | 愛の随想録
 明けましておめでとうございます。
 年末年始は、人生の棚卸しをする時期です。日常生活の忙しさに追われていると、ついつい余計なものまで抱え込んでしまいます。年に一度は自分の生活を総点検し、不要なものを取り去って身軽になりたいものです。 

必要不可欠なものトップ一〇


 『ニューズウィーク』のホームページ(英語版)に、「一九九九年には知られていなかったが、今や必要不可欠になったもの、トップ一〇」という特集が掲載されました。読んでみると、意外なものが出ていました。下から紹介しましょう。( )内は私のコメントです。

⑩飛行機のオンライン・チェックイン。(そう言えばEチケットは非常に便利。しかし、自動チェックインは、世知辛い感じがする。チェックインする荷物が有料になったのには憤慨した。大きな荷物を機内に持ち込む乗客が増え、混乱が増した)
⑨クレジットカード記録のネット上での無料閲覧。(これもまた、便利かな。およそ二五パーセントの人たちが、請求ミスを発見しているという。私ももう少し厳密にチェックせねば)
⑧レッドブル。(ご存じだろうか。スタミナドリンクのことであるが、私はまだ飲んだことがない。一番下の息子がアメリカに行った時に飲んだが、それから二日間心臓の痛みを感じたそうで、自分には合わないと言っていた)
⑦TMZ。(これは知る人ぞ知る、米芸能専門のウェブサイト。マイケルの死去をいち早く報道したことで、一躍有名になった)
⑥チポトレ。(全米にチェーン店を広げるメキシカンレストラン。メニューはブリトーとタコスしかないが、新鮮素材を使用しているので大人気とか。メキシカンフードは結構好きなので、今度渡米したら食べてみようかな)
⑤ガーダシル。(これは、子宮がん予防ワクチン。特にヒトパピローマウイルス(HPV)が原因となって発症する子宮頸部がんに有効とのこと。うーん、相当専門的で難しい)
④デジタル・ビデオ・レコーダー。(相当普及しているのかな。私はまだ持っていない。これから先も持たないだろう。録画しても観る時間がない)
③アイチューンズ(iTunes)。(利用している人は多いだろうな。私のメッセージを通勤途上で聴いてくれている人もいるようで、ありがたい。大きな声では言えないが、私はまだ使っていない。我ながら遅れているな)
②ユーチューブ(YouTube)。(あなたが作るテレビというコンセプトで、世界を席巻している。私の場合は、重要なニュースを確認する程度のアクセス数)
①ウィキペディア(Wikipedia)。(フリー百科事典。誰もが書き込みに参加できる点が新しい。便利ではあるが、情報の信頼性を判断する目がないと危険でもある)
 確かに、過去一〇年間で人類は多くのものを手に入れるようになったのでしょう。しかし、それが必要不可欠かどうかは、また別問題です。レッドブルを必要不可欠と言われても、とまどうばかりです。これらのものがすべてなくなっても、私に関しては何の不自由も感じないでしょう。


大事にしたい三つのもの


 今私の頭には、ベタニヤのマリアの話が浮かんでいます。よく知られた個所です。
 「御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。『さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう』」(「一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。『主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。』主はお答えになった。『マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。』」(ルカ10・38~42)

①健全なセルフイメージ。マリアはイエスの足もとに座って、話に聞き入っていました。イエスはマリアのその選びを評価し、「必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」と言われました。当時のユダヤ人女性は、ラビから直接教わることを禁じられていました。女性は家で母親からトーラー(聖書)を学んだのです。しかしイエスは、マリアの学びの姿勢を高く評価されました。つまりイエスは、女性の価値を男性と同じものと見なされたのです。これはマリアにとっては朗報でした。
 この世の価値観というフィルターを通して自分や周りの人を見ることを止めましょう。それに代えて、イエス・キリストの価値観というフィルターを通して自分を見、隣人を見ることを学びましょう。私の命の値段がキリストの十字架であることを覚え、健全なセルフイメージを保持しましょう。キリストを離れては、私たちは無価値な者ですが、キリストにあっては豊かな者です。

②優先順位の判断力。マルタは、イエスの一行をもてなすためにせわしなく立ち働いていました。これもまた立派な行為です。しかしイエスは、忙しく働いているマルタよりも、座り込んでイエスの話に耳を傾けているマリアの方をほめました。これは、マリアが示した優先順位を評価されたということです。
 私たちに与えられている時間や財には限りがあります。それゆえ、自分なりの優先順位を明確にしておく必要があります。そうでなければ、世の流行に押し流されてしまいます。結局のところ、永遠の価値がないものは、取るに足りないものなのです。そのようなものを優先順位のトップにおいてはなりません。イエスは、「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである」と言われました。その一つとは、神とともにいるということです。

③霊的洞察力。先日、犬についてこのような話を読みました。犬には人間よりも鋭い嗅覚が備わっていますが、それには生物学的な理由があります。人間が持っている匂いを感知する細胞は六〇〇万程度ですが、ビーグル犬の場合はその五〇倍の三億もあるそうです。そのために、人間には感知できないような微量の匂いも、犬には感知することができるのです。犬と人間の嗅覚に程度の差があるように、同じ人間でも、ものごとを感知する能力に差があります。聴覚が他の人たちよりもすぐれている人、他人の感情を読み取るのが上手な人、知的理解に優れている人など、いろいろです。中でも重要なのは、ものごとを霊的に、また道徳的に感知する能力です。これは、祈りと聖書の学びに時間を費やし、それを自分に適用している人たちに備わってくる能力です。
 イエスが十字架にかかる直前に、高価な香油をイエスに注いだのはマリアでした。どうやらマリアには、他の人たちにはない霊的洞察力が与えられていたようです。それは、彼女が主イエスのことばに耳を傾けていたから与えられた力です。

 私が慕い求めるのは、目新しい文明の利器ではなく、①健全なセルフイメージ、②優先順位の判断力、そして、③霊的洞察力という三つの目に見えないものです。それさえあれば、新しい年も大胆に乗り切ることができると確信するからです。