ハーベスト・タイム『収穫の時』

毎月発行の月刊紙『収穫のとき』掲載の聖書のお話など。

◆7月号◆ 三浦綾子さんの初代秘書として

2009-07-01 | 番組ゲストのお話
作家・茨城県在住 宮嶋 裕子


 若い日に、三浦綾子さんの秘書として働くことができたことを、私は神さまに感謝せずにいられません。綾子さんは、召されてから一〇年になろうとしていますが、今も私の中で生き生きと語りかけ励まし続けてくれています。それは聖書の中に「彼は死にましたが、信仰によってまだ語っています」(ヘブライ人への手紙一一章四節)とあるみことば通りです。類稀なる一途な信仰者であった綾子さんから受けた力、励ましの言葉などを、綾子さんに直接会えなかった方々にお伝えすることが、今私に与えられた務めだと感じ、書いたり、講演をしたり、綾子さんの愛唱讃美歌を歌ったりという働きをさせていただいています。

 この働きを通して出会う方々に最も尋ねられる問いが二つあります。
 一つは、なぜ綾子さんの秘書になったのか、もう一つは、綾子さんはどんな人だったか、というものです。
 第一の問いの答えは、『神さまのお導きとしか言いようのない一〇年以上に及ぶ出会いの中で、気付いたら三浦家の居間で働いていて、それが秘書という立場だった』ということなのですが、詳細に書くと、長すぎて紙面が足りません。一つだけ面白い事実をお伝えしたいと思います。何と、私が中学~高校生であった頃、綾子さんの夫「光世さん」のお兄さんご一家がお母さんと共に、隣に住んでおられました。私は光世さんのお母さんを“おばあちゃん”と呼んで日々を過ごしていました。おばあちゃんは、新聞で興味深い記事を見つけると、「裕子ちゃん、こんなことが書いてあるよ」と言って新聞を持って来て玄関先で、読んでくださったものでした。お小遣いをくださったり、食事をごちそうになったり、「教会に行かんかい」と誘ってくださったのもおばあちゃんでした。光世さんは、結婚する前、この家にお兄さんたちと暮していたのですから、その隣に、私が住むことになったのは、不思議なことでした。私が気付く前から、神さまの備えがあり、一足一足導かれていたのだと思います。

 もう一つのご質問、どんな人だったか?
 綾子さんの大きな仕事については、お伝えしたいことは、山ほどあります。例えばデビュー作『氷点』がテレビで放映される時間には、(今のように録画の手段が無かったため)商店街から人影が消えたとか、その作品は一三の国の言葉に訳され、世界一六カ国で売られている等々。でも、私への問いは、たぶん人柄についてでしょう。その答えをしたいと思います。綾子さんが召されてから、お姉さんのご夫君にお会いする機会がありました。その方は、しみじみと「綾さんは、人の良いところを見つけることに一生懸命でした」と語ってくださいました。思い返せば、本当にそうでした。私が出しゃばって「こうしたらどうですか」などと発言しても、「裕子ちゃんは意欲的で偉い」と誉めてくださり、大失敗をして謝ると、「あんた、黙っていたら分からんかったのに、よく謝ったネ!!偉いねぇ」と誉められたりしたものでした。綾子さんの元で働くのは、地上の天国にいるように快いことでした。

 ある日、昼食の時に綾子さんは言いました。「裕子ちゃん、あのサ、人の欠点って、見方を変えると長所になると思わんかい」。さらに、「だってサ、嘘つきって想像性豊かだっていうことでしょ」と。確かに、その通りです。また、その逆、長所が短所とみなされる、とも言えます。私は、常に全体を見まわしてあれこれ配慮しているつもりだったのに、お節介だと嫌われていました。しかし、綾子さんの側にいるとお節介ではなく、「裕子ちゃんは、良く気配りができて親切で」と、誉められる材料になってゆくのです。私は、人から堂々としているように見られていましたが、心の中は劣等感の塊でした。つまりお節介だと言われ、おしゃべりだと言われ、出しゃばりだと言われて、いつも劣等感と自己嫌悪の中を歩いていました。でも、綾子さんは、繰り返し誉めてくださったのです。「裕子ちゃんは親切で、話題が豊富で、意欲的で偉いねぇ」と。

 綾子さんはなぜ、そんなにも懸命に良いところを見つけようとしたのか、また、どうして人々を誉めて誉めて、向き合えたのか。私なりに考えていた日々、聖書のことばに出会いました。
 「わたしの目にあなたは価高く、貴く、私はあなたを愛している」(イザヤ書四三章四節)
 アー、綾子さんは、ご自分も神さまに価高く、貴く、愛していると呼びかけられていると、このことばを信じ、また、すべての人が神さまの愛の対象として存在していると信じていたと改めて思いました。綾子さんは言うのです。「神さまは不要な人をお創りになるような方ではない」と。
 晩年、パーキンソン病が進行して幻覚もあったある日、小さな小さな声で何か言っていました。耳を近づけると、「誰も仲間外れになる人がいないようにして」とのこと。綾子さんは最後まで、愛を携えて生きた人でした。